見出し画像

第一原因の消去とエントロピーの関係について考える

まずはじめにこの記事は科学的記事ではなく形而上学的存在論に関する個人の随想に過ぎないことを明記しておきます。

この記事を書こうと思ったのは先日、読書ノート「すごい物理学講義(著:カルロ・ロヴェッリ 河出文庫)」の雑感にちょこっとだけ書いたビッグバウンスと永遠回帰の関係をもう一度考えてみたいと思ったからです。

「第一原因」とは西洋哲学おいて自然界における万物の運動の根本原因をあらわす形而上学的概念で古代ギリシアの哲学者アリストテレスは「不動の動者」と呼びました。自らは動かされることなく他のものを動かす存在という意味です。古代中国の思想家である老子にも「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。」という言葉があるので自然界について存在論的に考察すると第一原因に行きあたってしまうというのは西洋近代思想の基礎付けの概念をまたずとも普遍的な思考様式なのではないでしょうか。他方、第一原因というのは神にも等しいのでこれがあると宇宙が神秘によって始まったことになってしまうという問題があります。

宇宙の在り方についてはニーチェが「永遠回帰」という考えを提示しています。時間が無限で物質界が有限であるならば決定論的な物理学を適用すると同じことが永遠に繰り返されるという考えです。ニーチェの著作は文学的で彼が永遠回帰を語った真意は計り知れないですが、私の個人的見解として永遠回帰における時間的反復単位の始点と終点は宇宙全体の状態であることから第一原因論によらない形而上学につながるのではと思っていました。

ただこれについて物理学的にみると時間が無限であって、かつ物理法則が変化しないならエントロピー増大の法則によって一定の時間が経過した後に熱死した宇宙が永遠に続くだけだから現在の宇宙の状態が無限に反復することはないだろうという考えになりそうです。逆に今の状態を含んで宇宙内部で無限に同じ事態を反復していたりすると永久機関になってしまうから熱の供給かエントロピーの捨て場が別途必要になるでしょう(あるいは宇宙全体というような系には熱力学は適用できない可能性もあるが。)。つまり私見では形而上学的な第一原因論を宇宙から消去するためにはエントロピーが邪魔になるということです。

ループ量子重力理論では宇宙空間は離散的な体積と面積によって規定される有限個の空間の量子が織りなすスピンフォームです。「すごい物理学講義」の著者カルロ・ロヴェッリ氏は宇宙空間を閉じた三次元球面と考え、これが収縮と膨張を繰り返す「ビッグバウンス」を提唱しています。現時点で宇宙が閉じた三次元球面だという証拠はないと思われますし、宇宙の膨張は加速しており収縮に転ずるかどうかは分からないのですが仮にこれが正しいとします。その場合、宇宙にある量子全体を宇宙の内部状態としてこれがビッグバウンスを通じて変化しないならば繰り返されるどのビッグバウンスでも始まりと終わりの状態は同一であり、その間の経路総和も始まり(終わり)の状態から計算すると同一ということになるのではないかと思いました。ただし途中で宇宙内部の部分系が別の部分系と相関するときに得られる物理量は確率的に決まるので波束が収束した時の状態でみると同じにはならないでしょう。

これとは別に以前読書ノートを書いた「時間はどこから来て、なぜ流れるのか?」(著:吉田信夫 ブルーバックス)の中には、時間も含めて物理変数を1本の軸にまとめると世界は量子的にぼやけた広がりを持ったスタティックな「世界点」になるという見方が示されていました。上述の推測があたっているならビッグバウンスと世界点は同じことであり、永遠回帰の現代版なのではないかと思った次第です。

他方、ロヴェッリ氏は「情報」を重視しています。同氏の考えでは、有限で離散的なスピンフォームである空間において粒性を持った量子である素粒子が運動する場合、取り得る状態の数=情報は宇宙全体で有限であり、統計力学的なエントロピーと量子状態に対して欠けている情報は同一ですからループ量子重力理論とエントロピー増大の法則は情報理論を介して相互に補強しあうような立て付けになってます。

そうするとビッグバウンスとエントロピーはどうやって折り合いをつけるのかが気になったのですが「すごい物理学講義」にはその辺のことは書かれていないようです。私は文系人間なので数式をもとに自分で計算したりはできないのですがスピンの泡が収縮して潰れていくときはエントロピーも減少し、熱の時間が逆行するのか、なんて想像してしまいました。

【関連記事】


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?