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陳情令(魔道祖師)【歌詞考察してみた②】荒城渡/薛洋


こんにちは、不香花(ふこうか)です♪
まだ体に馴染んでいない歌詞考察、少しの間が空くと文章化の勝手がわからず恐ろしく手間取ることが発覚しました……反省。

それにしてもこの一ヶ月で随分冷えるようになりましたね。これくらいの気温が一番好きです。寒い、動こう!ってなれる気温です。これ以上寒くなると温かい布団、部屋から出たくない…に変わるんですけどね(笑)

さてさて、大変お待たせしてしまいました。薛洋の「荒城渡」考察の第二部です。変則的ですがサビについてもこちらで触れていますので、よければ他と併せてご覧ください♪

ちなみに和訳の記事がこちらです!
原文+ピンイン付きで載せているので、よければご覧ください。


そして前半(タイトル+一番Aメロ、Bメロ)についての考察は、こちらで書いています。

ということで、さっそく歌詞を考察していきましょう。




Bメロ2

悲劇に終わりはない
目を塞ぎ疑問を持たず 憎悪の念を知らぬ人よ
あなたがこの世に戻るのを待ち続ける
人の世は無常 この一生に悔いはない


「悲劇に終わりはない」
復讐を次の段階に進める事を放棄して3年、暁星塵達と一緒に過ごしていた薛洋ですからもしかするとバレなければこの生活を続けたかったんだと思うんです。でもどこかで幸せな人生があるわけないと自分の人生に諦めて、更に他人の人生や暁星塵の清廉さが疎ましく、どうせ悲劇は終わらないと冷めた考えを持っていたのかもしれません。


「目を塞ぎ疑問を持たず 憎悪の念を知らぬ人よ」
ここ、何のことを歌っているのかわからなかったんです…!先に出てくる悲劇に対して、見ず問わず恨みを持たずって言ってるのか?とも考えました。でも解釈をしていく上で薛洋の心がいくら変化していっても、自分自身でそんな悟りを開いたみたいな考えを抱くだろうか、と思い至り次に続いていく暁星塵への呼び掛けではないのかなと。

彼らしく言うなら

〝なあ暁星塵、善人のお前は知らないだろう。
運命ってのはどこまでいったって残酷なものなんだ〟

といった風に。


「あなたがこの世に戻るのを待ち続ける」
全てを知っても最後の最後は憎しみに飲まれず、己に怒りをぶつけ絶望から自害してしまった暁星塵。彼への執着を素直に吐露している一文です。

私たち外野から見るとなんと一途な奴なんだ!となりますが、暁星塵からすれば堪ったものではありません。なんせ3年間で築き上げた薛洋との信頼関係は完全に崩れ去っています。

自害するのは予想外であったものの、それで手放すと思ったら大間違い。待つという行為さえ薛洋にとっては復讐です。決して暁星塵が好きだからという動機ではありません。
しつこく言います、薛洋は好きなんて感情知らないんです。あるのは復讐心だけ……と、本人がそう信じているんです。


「人の世は無常 この一生に悔いはない」
人の世は移り変わるもの。常氏への復讐に水を差した暁星塵にもまた、薛洋は憎悪を募らせました。しかし薛洋の最期は復讐を遂げたとは言い難いです。暁星塵の霊識を修復も出来ず、自分が傀儡にした宋嵐に胸を貫かれてしまうんですから。

だとしたら「恨みを晴らせず命尽きてなるものか」と歌ったはずの彼が指す〝悔いのない一生〟って何でしょう?

それは暁星塵(への復讐)に執着し、最期の瞬間まで〝悪を貫き復讐に捧げた一生〟ではないでしょうか。しかも未完成の復讐に終わったからこそ、薛洋には死後も暁星塵に執着する理由が残りました。
一番では復讐を遂げることに意味を見出していた薛洋が、二番では復讐心を抱き、形はどうあれその人を想うことに意味を見出した。これは大きな変化といえます。




サビ1

心を縛り付ける色褪せないあの姿
いつまでも夜闇に求め続けてる
小さな蛍火でもいい どうか光を
孤城の言い伝え 誰が証人たるか
与えられる運命の導き


「心を縛り付ける色褪せないあの姿
いつまでも夜闇に求め続けてる」
ぽつり、ぽつりと零されるどこか冷えきった雰囲気を感じた言葉から、サビに入って一気に薛洋の胸の内が明かされるようです。熱いものが沸き上がるような……、いつも斜に構えて歪に笑っている薛洋が時折見せる必死に訴える姿。
ここに描かれている事が誰一人として触れられなかった彼の核心の部分なのでしょうか。

本当は原文の「当往事困住我」を素直に訳すと「あの瞬間が心を掴んで離さない」になるんですが、あの瞬間って何だよ!となって(本来、その余白が大切なのかも笑)〝あの姿〟としました。手の届かない存在になった星(暁星塵)を諦めきれず、闇の中で藻搔き捜し回る姿が浮かびます。

更に夜を表現する一言があるだけで孤独、絶望、薛洋の心の闇の深さや、その中でいかに暁星塵が輝く存在であったかが伝わってきますね。
個人的に曲の中でも特に好きな一文です。


「小さな蛍火でもいい どうか光を」
こちらもあえて蛍火と歌われている事で光の淡さや儚さ、頼りなく揺れる灯りにでさえ縋りたい思いが描かれています。薛洋にとってその光は希望の象徴でもあるのでしょう。

ちなみに、原文に含まれる「盼」には「首を長くして今か今かと待ち焦がれる」といった意味があります。言葉にするより、もっと切々とした思いを表現したくて〝どうか…〟と懇願するように思える一言を置きました。一瞬の微かな光でも構わないと、それほどに追い詰められている彼の心情が伝わるものになっていると嬉しいです。


「孤城の言い伝え 誰が証人たるか」
孤城とはタイトルに使われていた荒城とほとんど同義で使われているのかなと。孤城=荒城=義城。古くからの謂れが死との縁が深く民が短命だと、誰がその身で証明したのか。 自分が暁星塵の魂を呼び戻す奇跡を誰が目撃するのか。または続く一文と合わせて〝あの時〟義城を訪れた魏無羨たち一行に向けての言葉でしょうか。

物語の中心人物は自分と暁星塵で、その他の人間は外野であり証人なのだと、区別をして突き放しているような印象を受けました。


「与えられる運命の導き」
原文でこの部分に使われている与」という言葉が私にはすごく印象的で、神々しく映りました。え、どんだけポジティブ!?と。諦めなければ暁星塵が戻ってくると、薛洋が心の底から信じきっていた事が伺えます。それこそ導かれるように。
そして確信めいた言葉の裏には魏無羨の存在もあるのでしょう。敵味方関係なく、ある意味で頼りにされてしまう魏無羨…さすがの奇才っぷりです。




サビ2

報われると信じている
この心が 体が 魂が
絡まる因果を絶つ術はなくとも
もしも心に巣食う魔を振り払い赦されるなら
悲劇の中に見たあの光よ もう一度


「報われると信じている
この心が 体が 魂が」
引き続き薛洋の胸の内が吐露されます。
前半が物理的な行動も含めて薛洋の熱意、執着が描かれているのに対して、後半はより心の奥深くを明かすものになっています。ぐずりながら〝ごめんなさい〟を言う子どものような懺悔、懇願といった雰囲気を感じます。

そうして描かれる中でも切迫した想いには変わりありません。〝因果〟というものに拘っているのが薛洋です。

〝運命は残酷だ、悲劇は終わらない〟と言いながらもやはり希望は捨て切れず、今生が悲劇的であればあるほど来世には自分の全てが報われると信じていたのでしょう。

ちなみに原文の「魂」と「魄」は同じ〝たましい〟を指しますが陰陽のように対の表現とのこと。陰陽の陽に当たるのが魂。精神を司ります。そして陰に当たるのが魄。肉体を司り人の成育を助けるのだとか。
「渡魂渡魄渡我」と繰り返されている所に、思いの強さが表れています。


「絡まる因果を絶つ術はなくとも」
複雑に絡む因果は次から次に憎しみを呼びました。薛洋も許され難い罪の重さや、復讐の連鎖から逃れる術はない事を理解していたのでしょう。しかも、彼は自分の恨みを晴らしただけなので結果は痛み分け。罰を受ける必要は感じていないので、因果は連なるばかりで終わりなどありません。

本来、こちらの原文を訳すと「たとえ執着を捨て難くとも」となります。しかしこの一文が指すものには薛洋自身の執着、そして薛洋に傷付けられた者達からの執着、どちらもあると思いこのように訳しました。

憶測になりますが、魏無羨と同じく本当は薛洋が手を下してはいないのに第三者によってなすりつけられた罪も中にはあったのではないでしょうか。すると薛洋は当然復讐する、新しい罪が生まれる…と悲しい負の連鎖もあったのではないかと思います。


「もしも心に巣食う魔を振り払い赦されるなら
悲劇の中に見たあの光よ もう一度」
自分の心に魔が住み着いていると自覚がある薛洋。因果からは逃れられなくても、人を憎み陥れて自分を満たす邪な心を払う事で今までの清算が叶えばと……これが彼の本心だったのでしょうか。

〝恨みを晴らせず命尽きてなるものか〟

〝あなたがこの世に戻るのを待ち続ける
この一生に悔いはない〟

そう言っておきながら本当は救いを求めていました。どんな過去があろうと自分を許して、受け入れて欲しかった。

しかし薛洋は誰かに大切にされたことがありません。
昔から誰も彼の声に耳を傾けなかったのでしょう。傷つける事でしか人と繋がれなくて、どんどんやる事がエスカレートしていって、恐れでいいから自分を認めさせたかったのだと思います。
そうした孤独な道を行く中で交わった暁星塵との道はどんなに血塗れでも、どんなに憎しみに心が支配されていても、再び求めてしまうほど楽しい日々だったのでしょう。

〝もしも心に巣食う魔を振り払い赦されるなら〟

これを意味するものが魏無羨と同じく死んで償う事なら、最後に願いは叶った…のかも知れません。来世では幸せになって欲しいと願うばかりです。




まとめ〜もう一人の無垢な子ども〜

ふと思ったのですが阿箐も一緒に三人で生活していたのって、薛洋の方が阿箐に比べて暁星塵に近い存在で意見が優遇されたから、殺す必要がなかったのかもしれませんね。序列が下と見なした者に構う必要はないと、余裕があったのかな?それでいて、暁星塵と同等の存在でいたいが為に他の人間を傷付けさせていた一面もありそうです。

しかし、もし生まれ変わった先で暁星塵の側にいられたら……いつかは。

作中でも掴みどころがなく一筋縄ではいかない薛洋は、曲中でもやはり中々本心が見え難く梃子摺りました。二面性と割り切るにはそれぞれの感情が複雑に絡んで割り切る事も出来ず、苛烈な人柄に反したバラードというのも納得です。
自分のやってることが正しいことではないとわかっていたのでしょうね。でも、彼の人生にはあまりにも救いがなかった…。

無羨は他人を守るための力を求め、
薛洋は自分を守るために力を求めた

これも仕方なく思えます。

陰鉄を手にしながら、それに対しての執着は一切ありませんでした。彼だって本当に求めていたのは光だったんですね。それを得るために陰鉄を利用しただけ。強くなければ、とっくの昔にのたれ死んでいたから。

あぁ…!考えれば考えるほどに薛洋を責めきれなくなってしまいます…!!

周深さんの繊細で透明感のあるお声が余計にグッと胸を刺してきますよね。中国の歌手に詳しくない方なら、絶対にはじめは女性が歌ってるのかと思ったはずです。これ、絶対。
全体の楽器の響きも切なさを増幅させています。オーケストラ映え?しそう…。三人で暮らしていた義荘で二人分の食事を用意して、窓から星の見えない夜空を見上げている姿が想像できます。親の帰りを待つ子どものように。

ということで、今回はこれで「荒城渡」の考察完了です!……いかがでしたか?陳情令を見る際、少しでも薛洋の気持ちを思いながら考えられるお手伝いになっていたら嬉しいです。

ここまでありがとうございました!
またお会いしましょうね。

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