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陳情令(魔道祖師)【歌詞考察してみた①】荒城渡/薛洋


こんにちは、不香花(ふこうか)です♪
近頃真夜中にひぐらしが鳴き始めました。夕方のイメージがあったのですが……彼らの体内時計が狂ったんでしょうか。君達も寝よう?ね?お肌(羽?)に悪いよ!

そして前回はコメントをありがとうございました!初めてのことで興奮し過ぎてお礼がすっかり抜けていることに書き込んでから気付きました…。やっぱり薛洋は憎みきれない素敵な人物ですね。

今回も二つに分けて「荒城渡」の歌詞を考察していこうと思います!温情の曲とは違い薛洋の内面に焦点を当てた箇所が多いので、少し形式を変えて一文ずつ私なりの解釈を添えています。原文で道教や仏教の用語が散らばっているので、そこにもちらちら触れていきますね。


ちなみに和訳した記事がこちらです!
原文+ピンイン付きで載せているので、よければご覧ください。




荒城渡


まずはこのタイトルについて。
日本語に訳すなら「荒城渡り」でしょうか。いかにも演歌っぽいタイトルになります…(笑)
荒城とは「荒れ果てた城」。すなわち義城を指していると思われます。そして渡りは「川などの渡る場所。渡し。/ある所へやって来ること。また、来訪すること。」などがありました。


素直に受け取ると荒城を渡る、荒城を訪れるでしょうか。しかし不香花、それだけでは終わりたくありません。

英題は「No one knows」。本当にそれ!と言いたくなります。「誰も知らない、誰にもわからない」という意味がありますが、どちらも当てはまりますよね。孤独な彼の本心を知る人はいなかった。最期まで誰も触れるには至れなかった、彼の心深くを描いたこの曲にぴったりです。

こんな感じで原題や日本語にだって意味を持たせたい…!ということで少々こじつけにはなりますが、私の妄想力を働かせました。

薛洋が願ったのは暁星塵の生まれ変わり。
荒城=義城だとして、義城では葬儀に使う装飾や葬具で生計を立てている人が多かった。若くして命を落とす人が多かった。魏無羨が訪れた時も、鬱蒼とした義城を一目見て「風水が最悪だな…」と呟いています。以上のことから義城はひどく「陰の気、死」に縁のある場所ということが伺えます。

その義城を渡る……つまり「死(悲劇)の向こう側」という意味が込められているのではないでしょうか。暁星塵に戻ってきて欲しい執着とも、薛洋自身が魏無羨のように死を経てもう一度やり直したいという意味にも取れそうですよね。
そう考えると、とても切ないタイトルです…。




Aメロ

瞼の裏には払子 手には魂の欠片
それは荒城で交わる物語
修練に明け暮れ 心に抗わず
手にした一粒の飴で孤独を慰む

初っ端から!
これは!
薛洋……どんだけ!?ってなる始まりです。

「瞼の裏には払子」
払子ってなに?と思われた方、暁星塵と宋嵐が胸に抱えていたふさふさの筆っぽいアレです。道教では煩悩を払うための法具とのこと。清廉潔白な暁星塵を象徴するものの一つですね。そして薛洋には一番縁のないものかも知れません。いの一番に出てくるものがそれ。…彼にはとても印象的で美しいものに見えていたんでしょうか。

「手には魂の欠片」
バラバラに砕けた暁星塵の霊識ですよね。本当に薛洋の頭の中は彼でいっぱいなんだなぁ、と早くも思い知らされてしまいます。

そして後半でやっと薛洋自身のこと。

「修練に明け暮れ 心に抗わず」
若くして実力のあった彼ですから、元々天才肌だったのでしょう。それでもひたすらに修練をして暁星塵を呼び戻す術を探しました。自分の抱くものが何という感情なのかはわからないまま。
わからないけど暁星塵には自分の元に戻ってきて欲しい。だから無理矢理、自分の知ってる復讐心に暁星塵に対する執着をカテゴライズしたんじゃないかと思います。そうやって心を奮い立たせて進むことでしか残酷な運命に抗えなかったんです。

「手にした一粒の飴で孤独を慰む」
表面上ではどんな言葉を吐いても、暁星塵にもらった飴のお陰で孤独が紛れる気がした……。目の前にいる男が敵だとは気付かず、大好きな飴を与える暁星塵は愚かだ。飴を手にしていると優越感に浸れるから心が温かくなる。薛洋はそう思い込む事で、初めて心を許せた存在である暁星塵からもらった飴を大切にする理由にしたのかも知れません。




Bメロ

絡まる悲劇は残酷で
恨みを晴らせず命尽きてなるものか
やり直せるまであと少し もう少し
善悪は分たれ星は光を失った

「絡まる悲劇は残酷で」
一難去ってまた一難。どころか薛洋の場合は、自ら進んで悲劇で悲劇を呼び込んでいるように映りました。

「恨みを晴らせず命尽きてなるものか」
彼は憎しみ以外の感情を知らないから、この悲しくも確固たる信念こそが生き抜くための力だったのでしょう。しかし彼の誤算は暁星塵との心穏やかな生活の中で、自覚がないままに心を通わせる喜びを見出してしまったこと。今まで自分が繰り返してきた残虐非道な行為から得る快楽とは、全く異なる感情を知ることになったのです。

〝暁星塵と共にいたら、これほど満ちた気持ちになれるんだ。もし彼を自分のものにしたら、きっともっと愉快なのでは?〟

愛情に触れた事のない薛洋は暁星塵さえ自分の手に落ちたなら、終わりのない悲劇、復讐劇を終えられるかも知れないと考えたのではないでしょうか。だから綺麗すぎる暁星塵にも許されがたい罪を背負わせました。

「やり直せるまであと少し もう少し」
この復讐を終えたら人生をやり直せるという意味なのか、それとも暁星塵へ復讐を誓いながらも共に暮らす日々の居心地が良く、手放すのが惜しくなったからもう少し時間が必要なのか…個人的には後者だと解釈します。

復讐心、優越感、それと同等以上の大きさに育っていく安心感、初めて知る温もりや信頼される喜び…。暁星塵が絶命するまで阿箐を結局傷付けなかったのも、彼の中で変化があったからではないでしょうか。自分一人では抱えきれない矛盾と重く暗い感情。だからこそ全ては復讐のためだと自分に言い聞かせ残酷な事を暁星塵にさせておきながら、3年もの間、次の段階には踏み切れなかったのかなと。

「善悪は分かたれ星は光を失った」
そして予想だにしないタイミングで現れた暁星塵の知己。善人である暁星塵と悪人である薛洋の、誰にも邪魔されなかった歪な日々が唐突に終わりを迎えます

知己を愚弄する行為に宋嵐は憤りますが、薛洋は宋嵐と暁星塵との間にあった出来事の種明かしをして〝なぜまた現れる?(暁星塵を)苦しませるだけだ。〟と挑発するのではなく、恐らく本心として宋嵐を咎めました。自分以外はどうなってもいいと考えているはずの薛洋から、そんな言葉が出てきたことにまず驚きです。
自分との日々は、少なくとも宋嵐に会うよりはマシだと言いたかったのでしょうか。それとも二人が和解し、暁星塵が光の道へ戻るのを妨ぎたかったのでしょうか。

そして薛洋は宋嵐を傀儡に変えたあと〝楽しいか?〟と暁星塵から問われることに。なぜその台詞に繋がるのかは描かれていませんが、幼少期からの因縁、毒を用いて暁星塵を欺いていたこと、宋嵐でさえ罠の餌食になってしまったことを明かしているため、恐らく薛洋だと名を告げた、またはバレてしまったんだと思います。

薛洋は錯乱して自分に斬り掛かってくるのを想定していたのかも知れません。他人のせいだと恨み、常に復讐に燃えてきた自分と同じ感情を抱くことに期待したのでしょう。しかし暁星塵は予想外の行動を取ります。それが自害でした。

Bメロの終わり、原文の羽化というのは道教用語で「人の死を意味する婉曲表現/(羽化登仙の形で)人が背に羽を生やし仙人になること」を意味しています。そして続く星辰(xīng chén)は星塵(xīng chén)と同じ発音。羽化した命は星と暁星塵、どちらも含んでいるのではないでしょうか。

比喩として闇の中に唯一光り輝いていた星が光を失った。また羽化が人が仙人になることを差しているなら、暁星塵は己の志を貫いて美しく昇華したともとれます。大切なものが自分の手の届かない場所に行ってしまったと、本当は薛洋もわかっていたのかも知れません。




1部まとめ

薛洋って壊滅的に感情を知らないだけなんですよね、きっと。この子こんなですけど根は良い子なんですよ…!って親戚のおばちゃんみたいなことを言いたくなっちゃいます。

では続きは次回にして、今回は中途半端ですがここまで!
お付き合いありがとうございました(*´ω`*)
またお会いしましょう。

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