続いてること

すき家あるある、常連さんが頼むものはだいたい決まってるので入店した段階で打ち込むことがあるが、その日は『つゆぎり』で取り戻せないことがある。おはようございます、小澤です。

実は今日のこの投稿で100日間連続投稿ということになりました。
いつも読んでくださりありがとうございます。人生で100日間連続で続いたこと未だかつてなかったかもしれません。一人でやろうと思ったらきっと無理です。
今日はそんな節目なので、今まで歴代続いたことを発表していきます。なんとなく思い出したことをつらつら書いていきますね。

2ヶ月:ベッドメイキングのバイト
なんかたしか紹介してもらってやったやつでした。2ヶ月という期間ですが正確には2回しか入ってないです。なんかたしか夫婦でやられてるベッドメイキングの会社で、2回目にしてベッドメイキングの才能が溢れかけてた小澤に跡を継がせようとしていたので逃げました。たぶん僕の勘違いです。

3年:サッカー
やったりやめたりだったので続いたと言えるのは中学生の3年間だけです。でも夏休みの練習参加しない、不真面目なのでこの3年間強めに握ったらたぶん2時間くらいの出来事です。
コスパ悪すぎ。同じ2時間ならフォレスト・ガンプみるわ。

4年:荷揚げ屋
小学校の頃から一貫して絶対にやることのないと思っていた工事現場系の仕事を4年間も続けることになりました。向いてる蚊向いてないかでいえば圧倒的にむいてなかったです。なんかわからないけどやるまでは力に自信がありました。最初の現場で木製の棚持った瞬間に筋肉痛になり、2日くらい寝込みました。夏場、高校の足場解体のときはほんとにあと1度気温が高かったら死んでました。普通に鉄の部品とか降り注いできたし。よくやってたと思います。おかげで建物がどうやってできていくか、どれだけの人間が関わっているのか我が身を持って体験することができました。
今でも壁に何かぶつけたとき近くにクロス屋さんがいないか確認します。ここ荷揚げ屋ドッカーンのはずです。荷揚げ屋がいないことを祈ります。

6年:大学
もはやここまで来ると長く続けることがいいことに思えなくなってくる。正確には1年休学しているので5年。もう少し楽しい場所に自分で出来た気がすると今では思いますが当時はインターネットが友達。ニコニコ動画に入り浸る日々で大学には足を向けて寝てました。大学卒業したり就職活動したりしてる人に僕は心からリスペクトしてます。たぶん本気を出せば卒業できました。ただ本気を出せなかったのが実力です。
今思い出したのがサークルで大人しそうな爆乳の女の子が入ってきての飲み会。年齢確認されて学生証も免許証もなかったその子が『お酒飲めないなら帰りますね』といち早く帰ってたのが僕の大学生活のハイライトかもしれません

8年:すき家のアルバイト
人生で初めて始めたアルバイトが一番続きました。というよりやめ方がわかりませんでした。思えば飲食店で10年くらい働いてます。仕事をすることはどういうことかなんとなく教わった気がします。たぶん気のせいです。入ったときとか超キツかったし。昼ピーク一人残されて店回すとか平気であったし。というか入って一週間で店に一人にされたし。肉の煮方とかギリギリわからなくてお客さん来たとき震えながら牛丼だしたし。やめる頃には改善されてたと思いますが働くことの過酷さを学びました。常連のお客さんで『牛皿定食並』を絶対頼む人がいて、店員から『牛皿定』と呼ばれていました。よく行くお店でも頼むものは変えたほうがいいと教えてくれました。

30年:小澤隆史
やめられない止まらないです。
もはやベテランの域ですがわからないことが多すぎます。



だらだら書きましたがお開きです!
読んで頂きましてありがとうございました🙇‍♀

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