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命の値段

 タイトルほどシリアスな内容ではありません。

 都電荒川線には「お話ししてはいけない人(変な人)」の出没率が非常に高い。と思う。

 帰りに、都電のホームで電車を待っていた時のこと。
僕の前には小柄なおっさんが一人。お世辞にもキレイとは言えないが、かといってホームレスほど酷くもない。

 おっさんはおそらく日本語であろうが、とても常人にはそれが日本語と判断できないような言葉を発し、日頃から特殊な訓練を受けてその手の言語のリスニング能力の卓越した僕だからこそそれが日本語であると認識できるレベルの独り言をのべつまくなししゃべっていて、途中、「沖縄のおじさんは」とか「生きてゴニョゴニョ・・・」とか、やっと一般人の聴解力でも理解できる単語が盛り込まれる。

 時折小刻みに震え、時折何かに取り憑かれたようにホームにある金属のポールに鉄拳制裁を浴びせ、その間も誰と何の交信をしているのかわからないミステリアストーキングは続く。
 
 電車を待っている列の一番先頭がおっさんで、少し離れて後に僕、30代であろうカップル、その後ろにも数人が連なっていた。

 おっさんの後ろに並んで、おっさんがなんかブツブツ言ってるのに気付いてすぐ僕のipodはシャッフルするのをやめているが、周りから見ればそんなことはわからないので、一見右足でエアーバスドラムをしているボクのイヤホンからは軽快なロックサウンドが流れていると思われているだろう。実際スタートボタンを押してもアニソンしか流れないのだが、それは今の論点とは全く別の話だ。

 後ろのカップルもおっさんの奇行には気づいているらしいが、彼らは彼らなりに一所懸命希薄な都会人を演出して興味が無いフリを決め込むことにしたらしい。

 僕はと言えば、音楽を聴きながら携帯を片手にメールを打っている兄ちゃんを装ってはいるが、前述したとおり、音楽は聴いていないしメールも実際は打っていなくて「受信メール一覧」を行ったり来たりスクロールを繰り返しているだけなのだが、それでも周囲は十分納得できる演技っぷりだったと思う。

 おっさんは「死んでやる」とか「日本が腐ってる」とか言いながらホームから線路に足をプランプランさせなら座っているし(結局やめるのだが)、逆隣りのカップルは知人のコンテストか何かの結果の話をしていて、
「審査員特別賞だったよ、でもあれはグランプリに値する審査員特別賞だった」
 と、準グランプリも何もかもすっ飛ばした訳のわからない過剰評価をしていて思わず突っ込みたくなっているときに「都電ミュージカル」は最大の山場を迎えることとなる。

 おっさんは二度目の「ホームで足プランプラン」を実行していて、僕は「シャッターチャンス!」と思い急いでメールモードからフォト機能に切り替え、シャッター音が漏れないように携帯のスピーカーを几帳面に人差し指で押さえておっさんの後ろ姿にロックオンした時のことだ。

 おっさんはすっくと立ち上がり、僕の方によって来た。
「バレた!!!」と思い、携帯に目をやったまま神経は急いで臨戦態勢へ。さっき金属のポールにそうしていたように、僕に殴りかかってきたらどう対処すべきかということのみに全思考回路を集中させる。なんか小汚いから手で受けるのも嫌だし、当たる前に前蹴りで距離をとった方がお互いに冷静に対処できるか?いや。いかんせん今日はブーツだ。いつもより足が重たいから加減が利かずおっさんにクリーンヒットしてしまったらそれはそれで気まずい。

 とか思っている間にもおっさんは僕に歩み寄り、ポケットに手を入れて何かをまさぐっている。

「き…凶器!?」

と思い身構えたが、おっさんはポケットからくしゃくしゃの1万円札をボクに差し出し、

「命、あげます・・・」

と言った。

 僕の脳はもうてんやわんやで、自宅に内閣総理大臣と林家ぺー・パー子夫妻とモーガンフリーマンがいっぺんに上り込んできたかような、要するに軽いパニック状態に。

怖くなった僕は完全に無視を決め込んで、打ってもいないメールを送信するかのように必死に親指を動かす。

僕とおっさんの間、いや、早稲田行きのホーム全体に数秒間の沈黙が流れ、その後おっさんはまたブツブツと独り言の世界に誘われていった。

冷静になった今でも尚理解に苦しむその言葉。

「命、あげます・・・」

 確かにそのクシャクシャの1万円が全財産と言っても決して過言ではない風体の彼だが、だとしてもそれで僕に「命」を委ねたことになるとは思えない。かといって、その一万円札が命より大切な、何か思い入れでもある物だとも思いがたい。彼がそのクシャクシャの一万円に「命」という名前を付けてかわいがっていたわけでもなかろう。

 とはいえ、彼が「命」と言って差し出した万券が喉から手が出る程欲しかったボクの命の値段もたかが知れていよう・・・。

 理解ができないことは世の中にたくさん転がってる。
「命、あげます」と「グランプリに値する審査員特別賞」は理解に苦しむ。

 と言うお話でした。

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