見出し画像

アファンタジア日記 ~感覚連動で絵と映像が浮かぶ?~

はじめに

さて、今回は私がアファンタジアとして特殊であると思われる話を書きたいと思います。実は今回書くことは、一連の記事を書くまで気づいておらず、自分の状況を客観的に見直して気付いたことになります。

まずは私のスペックを書いておくことにしましょう。

ブリオニア 1980年生 男 アファンタジア
絵と映像のイメージ想起不可
音のイメージ想起可能
味のイメージ想起不可
においのイメージ想起不可
感覚(触覚)のイメージ想起不可

脳内でほとんどイメージできないのですが、逆に言うと聴覚はイメージができるのです。しかも、おそらく、ハイパーファンタジア並みに…
それにより、脳内で特殊な状況を生み出しているようなのです。

アファンタジアとは何かを再度考える

さて、アファンタジアとは何なのか?
そこを改めて考えていきたいと思います。

アファンタジアは脳内で絵や映像的なイメージを想起できない人のことを指します。想起という言葉だと難しく聞こえますが、要は脳内で絵や映像を再現したり、新しく生み出したりをすることができないということです。

普段はイメージできないのが当たり前すぎて気にもしていないのですが、普通の人=ファンタジアの方々と話していると、たまに気になる場面というのが出てきます。
それは思い出話です。

絵のない思い出

妻や子供、友人や会社の人など、多くの人と会話するときは、必ずと言っていいほど、過去の経験や体験が話題になります。
そうしたとき、ファンタジアの方々はとても細部まで記憶をしており、すごいなぁと感心することが多いのです。
ですが、これはおそらく、記憶力の差というよりも、思い出を絵や映像でイメージできると思い出しながら話せるので表現力が高まるなのではないかと最近思うようになりました。教科書見ながらテストを解く方が有利なように、脳内で鮮明な答えを持った状態で表現した方が、情報量が多くなる訳ですね。

ただ、この思い出話。私はおそらく、他のアファンタジアの人よりは少し得意なのではないかなと思うのです。それは、聴覚のイメージは使えるからです。
その場での音、声、なんかはイメージができますので、何もイメージできない人よりも、取り出せる情報量が多くなります。

視覚はアファンタジア、聴覚はハイパーファンタジア

以前から記載している、アファンタジアを研究されている福島大学人間発達文化学類の高橋純一教授のアンケートに参加したときのことです。

視覚イメージのことだけを聞かれるのかと思ったら、五感すべてについて聞かれて驚いたというのは以前も記載しました。
その結果、五感のうち、視覚、味覚、嗅覚、触覚は脳内でイメージ想起ができないことを自覚したのですが、同時に聴覚だけは脳内イメージが異常なまでに鮮明であることも自覚しました。

そもそも、脳内で聴覚しか使えない私は、脳内では常に音が流れ、考えるときは自分の声を脳内で発しているのです。すごい脳内がうるさいです。
そして、その音のイメージはかなりはっきりしています。アンケートには汽笛の音を脳内でイメージできるか聞かれたのですが、リアルに聞くのと同じくらいはっきりとイメージできます。音楽など、複雑な音の場合は記憶している範囲(の楽器)しか再生できませんが、通常の音であればほぼ脳内で再現できると思います。

あまり意識していなかったのですが、聴覚だけはハイパーファンタジア(脳内イメージを鮮明に想起できる人)であるっぽいのです。

ハイパーイメージが他感覚の次元を高める?

聴覚だけがハイパーファンタジアであることにより、私の脳内は不思議なことを起こすことができます。
それは、普段は映像をイメージできないが、触媒となる音があると映像のイメージ力が高めることができるというものです。

これは例を出さないと難しいと思うので1つ例を紹介します。

まず、脳内で絵を単独で思い描く場合です。
頭の中で、丸いボールを思い描こうとすると、私の脳内はそれを映像として取り出すことができません。
目をつぶっても真っ暗なだけ、ボールをイメージすることはまったくできません。
そういう意味で、私はアファンタジアであると言えます。

ところが、音を先行させた場合は違います。
私が好きな昔のロボットアニメで『勇者王ガオガイガー』というものがあるのですが、そのアニメのロボット合体シーン(ファイナルフュージョン)は、映像がある程度浮かんでいる…気がするのです。
ただし、これはファイナルフュージョンの音楽を脳内で再生(イメージ)したときだけ起こります。音楽を頭で流さずに映像を思い浮かべても何も出ません。音楽を頭の中で歌ったとき限定で、脳内イメージが見えてるような気がする、くらいまでイメージができるようになるみたいなのです。

ただ、音なら何でも良いわけではないようです。イメージするには、アニメやゲームのように、映像に多くの音がミックスされていることが必要なようです。
現実と異なり、アニメやゲームは1つのシーンにBGM、SE、声、など、音の情報がかなり多く含まれています。そのため、複数の音を脳内でイメージした際に、それに引っ張られるような形で映像っぽいものが脳内に浮かぶみたいなのです。

脳内イメージと言っても、鮮明さはほぼないです。
見えているという感覚もないです。
表現がすごい難しいのですが、音をイメージしている脳の部位が、脳内の記憶領域に太く結びつき、映像の記憶を強めに引きずり出してる、みたいな感じなんですよね。
うん、やっぱり、通じずらいぞ…!

映像が見えている訳ではないのですが、映像が見えている気になれる。
なんとも不思議な感覚になります。

これを私は、聴覚に他の感覚が連動する=感覚連動と呼んでいるのです。

絵のない思い出、絵のある思い出

こうして脳内では、イメージ可能なものと、そうでないものが混在する形になっています。
もっとも、本当の意味で映像が脳内に浮かんではいないと思います。
感覚的には見た気になっているという表現が近く、見えてないのに見ているときと同じ体験を脳がしているだけに過ぎません。

しかし、これは、できないのとは大きな違いです。
私は昔からアニメとかゲームのサウンドトラックCDを集めるのが大好きで、今でも特定のゲームのサウンドCDは購入します。
が、それも音楽があれば絵や映像を思い出すことができるから、だったのかもしれません。オープニングテーマやエンディングテーマのように、BGMと映像ががっちりタッグになっているものは、音楽をイメージすると映像がかなり見えているような気になります。

あと、現実の記憶でも、印象的なセリフ(声)が紐づいている記憶は映像的なものが見えている気になりますね。
まったくイメージできてないんですけど、声に引っ張られて記憶の解像度が上がります。

うーん、私は厳密な意味でアファンタジアではないのでしょうか?
いや、そもそも厳密なアファンタジアって何なのか?っていう話になるんですけど…

さいごに

という訳で、今回は私の感覚連動について書いてみました。

この能力、便利なようで不便でもありまして、音を完璧に記憶してないと感覚連動が発動しないという欠点もあったりします。
それなので、ゲーム音楽などは、何度もCDで聞いてきちんと記憶して、ようやく感覚連動できるようになる訳です。手間暇かかります。

ただ、これ、メリットだけでなくデメリットもめちゃくちゃあります。
いいことだけじゃなく、悪いことも感覚連動できちゃうんですよね

そのため、特定の音を思い出すことで、辛い経験や悲しい経験の能なイメージが高まることもあります。
私は不安障害っぽいところがあるので、そういうのが出たときはマジでヤバいです。

それにしても、私はいつも思うんです。
ファンタジアの方々が辛い記憶や悲しい記憶を脳にイメージできてしまうの大変なんじゃないかなって。

私はメンタルが強い方ではありませんが、ファンタジアだったら心が折れて自殺とかしてるんじゃないの?って思う時があります。ほんとに。

そういう意味で、アファンタジアは悲観的なものではなく、私の人生にとっては最良のパートナーなのかもしれないな、と考えております。


ここまで読んでいただいてありがとうございます。

一旦、私が書こうと思っていたものはすべて書いたつもりですが、また何かあったら書こうかなと思っております。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?