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【NBA】スーパーチームを振り返る【BIG3】2023年

(2023.02.最終更新)

 オーナーら球団経営陣が強力な力を持っていた旧来に比べ,昨今のNBAは今まで以上に選手が力を有するように変化してきた。それによって「スーパーチーム」の結成という潮流が生まれ,優勝を求めるスター選手が同じチームでプレーする機会を得るようになったといえる。

 数年前までは実績のある選手を3人結集させ,「BIG3」を結成することがトレンドであったが昨年のオフシーズンに代表されるような「Dynamic Duo」の結成が現在のトレンドと言えよう。

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 考えれば「BIG3」を結成する方が頭数で有利であるし,単純な足し算でいえば間違いなく「Dynamic Duo」よりも強力だ。しかしバスケはスターターの5人に加え,バランスよくベンチメンバーを揃える必要がある。また,チームで使えるサラリーにも上限があるため,スター選手3名だけに心血を注いだとしても真に強いチームが作り上げられるわけではない
 そして,バスケはボール1つで行う競技であることも忘れてはならない。例えばそこにボールを多く必要とするプレイヤーが集結しても良いコミットが生まれるとは限らないのだ。

 そこで「Dynamic Duo」はどうだろうか。選手によるとはいえ,「BIG3」よりもロールプレイヤーに割けるサラリーも生まれるし,ボールの取り合いになることも避けられる。これは「BIG3」を経験したからこその「ハイブリット型BIG3」ともいえる。

 今回のNoteでは2007年以降に結成された「BIG3」及び「Dynamic Duo」に触れていきたい。何故2007年以降かと言えば今の潮流を生み出したきっかけが2007年だと感じているからである。勿論,これらは2007年以前にも非常に多く存在したが,ほとんどは生え抜きのスターが3人揃った状況であったり,「ハイブリット型BIG3」ではないスーパースターのDuoであるために区別している。そのため,本記事ではJordan&Pippen&Rodmanのような「BIG3」や,Shaq&Kobeのような「Dynamic Duo」は取り上げません。

①ボストン・セルティックス(2007年~)【BIG3】

ポール・ピアース(BOS)
ケビン・ガーネット(MIN⇒BOSへトレード移籍)
レイ・アレン(SEA⇒BOSへトレード移籍)

 NBAの歴史において最も偉大なチームの一つであるボストン・セルティックスは1992年にラリー・バードが引退して以降,かつての黄金時代から想像できないような低迷を迎え,1998年に加入したスター選手であるポール・ピアースは優勝できないままキャリアの後半を迎えようとしていた。06-07シーズンには18連敗を喫すなど,遂にピアースはチームが補強を行わない場合にはトレード要求も辞さない構えを見せ,セルティックスは大型補強に乗り出す。

 時を同じくして,西のミネソタ・ティンバーウルブスには支配的なパワーフォワードとして君臨していたケビン・ガーネットが満足に勝利を得られずにチームにトレードを要求していた。2004年にMVP&最優秀守備選手に輝いたオールスター選手を狙うチームは数多く,ピアースに背中を押されたセルティックスも名乗りを上げたのだ。

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 しかし,ティンバーウルブスと同じく低迷にあえぐセルティックスにガーネットが興味を示すはずもなく,当落線上から姿を消すこととなる。

 数奇なもので,当時もう1人のスター選手が似たような境遇を迎えていた。シアトル・スーパーソニックスのエースであり,歴代指折りの3ポイントシューターであるレイ・アレンだ。ソニックスも04-05シーズンを最後に低迷し始めており,2007年ドラフトでは全体2位指名権を有していた。ソニックスの目論見は有力ドラフト候補のグレック・オーデンかケビン・デュラントを獲得し,その選手を軸としたチームを再建したい狙いであったが,すでにキャリアの後半に差し掛かるアレンにとっては彼らが戦力になるのを待つ時間は残されていなかった。
 そしてソニックスがケビン・デュラントを指名したドラフト当日にセルティックスとのトレードが成立。ピアースとアレンという強力なデュオが誕生した。

 奇しくもこのトレードにより,一度は白紙となったガーネット獲得案が再び浮上する。ガーネット本人も,他球団へ行くよりもピアース,アレンといったバランスの良い選手がそろったセルティックスの方が勝機が見えたのだろうか。2007年7月13日,1対7のトレードによってガーネットのセルティックス移籍が実現したのだ。

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左から 歴代屈指のシューターAllen,2004MVPで何でも屋のGarnett,歴代最高のクラッチプレイヤーPierce

 80年代では「Kareem・Magic・Worthy」,「Bird・McHale・Parish」90年代後半のブルズでは「Jordan・Pippen・Rodman」といったBIG3は存在したものの,2007年のセルティックスのように,チームの1stオプションであった全盛期の選手が一度に集結するのはおおよそ今回が初めてであった。

 もっとも,サラリーの問題がセルティックスを襲った。チーム年俸の1/4を彼ら3人で占めており,冒頭語ったように満足なベンチメンバーを揃えることが難しいと思われた。しかし「BIG3」結成の波及効果は非常に面白く,「BIG3とプレーすれば自分にも優勝の機会が再び訪れるかもしれない」として,ジェームズ・ポージーやP・Jブラウンのような優秀なロールプレイヤーが名乗りを上げたのだ。

 また,それぞれがシュート回数を減らしたものの,ピアース・ガーネット・アレンの3人が自己中心的なプレイを行わずにアンセルフィッシュに徹したことで,レギュラーシーズンでは66勝16敗という快進撃を果たし,プレーオフに返り咲いた。

 接戦にもつれ込むことはあったがイースタン・カンファレンス・ファイナルまで駒を進め,3年前の王者であった強豪ピストンズを撃破。遂にファイナルに進出することが叶ったのだ。

 相手は往年のライバルであるロサンゼルス・レイカーズ。率いるはこの年MVPに輝いたコービー・ブライアントとリーグ屈指のビッグマンであるパウ・ガソル。拮抗した試合が続く中,セルティックスは敵地で2勝を挙げ,第6戦で見事レイカーズを下したのだ。

 この時,初めて優勝の美酒を味わったケビン・ガーネットは興奮のあまり放った言葉として,かの有名な「Anything is Possible!(不可能なことなんてないんだ!)」というフレーズが生まれた。

 その後,2012年にレイ・アレンがFAでマイアミ・ヒートへ移籍。翌13年にはピアースとガーネットがネッツへトレードされたことでボストンを彩ったBIG3は解体となった。

 2度目の優勝を飾ることはできなかったものの,3人がともにプレーした時期は毎年プレーオフに進出するなど,セルティックスのBIG3は大きな成功を収めたといえるだろう。
 ただし,このBIG3がその後に与えた影響とNBAのストーリーからすれば,これはほんの序章に過ぎないかもしれない。

②ロサンゼルス・レイカーズ(2008年~)【Dynamic Duo】

コービー・ブライアント(LAL)
パウ・ガソル(MEN⇒LAL)

 史上最高のDynamic Duoといえば支配的なセンターであるシャキール・オニールと若くもトップクラスの得点能力を有したコービー・ブライアントが挙げられる。圧倒的な体格でポストを蹂躙し,得点・リバウンド・ブロックを重ねたシャックと,あのマイケル・ジョーダンと比較されるような得点能力を武器にスコアリングマシンと化したコービーは99-00年,00-01年,01-02年シーズンをスリーピートで制した。2021年現在でもこのレイカーズ以来,三連覇を果たしたチームがないことを考えても,彼らは一時代を築き上げたといっても過言では無い。

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NBAを恐怖に陥れたDuoのShaq&Kobe

 以降,残念なことに彼らは性格やプレイスタイルの違いから決別し,3度の優勝に留まった。

 シャックはマイアミ・ヒートへ移籍し,若きドウェイン・ウェイドらと共に自身4度目を優勝を果たすなど波に乗っていたが,コービーは自身のスキャンダルなどによりバッシングを受ける他,共にプレーする選手は決してスター選手とはいえず,優勝から長らく遠ざかっていた。その後も個人としては一試合81得点に始まり,得点王を受賞するなど順調であったもののチーム成績は伴わず,一部のファンやメディアからは「独りよがりのプレー」と批判されることもあった。

 2007年,先述のピアースと似たような状況にあったコービーはチームにトレードを要求。これにはファンやチーム首脳陣が不信感を表すなどの騒ぎとなり,コービーは要求を撤回。ただこれを受けて,本拠地ステイプルズ・センターでの試合ではレイカーズファンからもブーイングされる事態となった。しかし,コービーはこの一件を機にプレーに集中し,シーズン中盤までチームを好成績に導く。

 そして2008年のトレードデッドライン,コービーに報いたいレイカーズは勝負に出る。メンフィス・グリズリーズから当時リーグで屈指のビッグマンであったパウ・ガソルを獲得したのだ。シャックがチームを去って以降,フロントコートに支配的な選手を常に求めていたコービーにとっては最高のトレードであったに違いない。

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グリズリーズのエースビッグマンとして2006年にはAS出場を果たしたGasol

 この流れは直接的にセルティックスのBIG3の影響を受けたとは言いがたいが,レイカーズが結成したDynamic Duoにとって,かのBIG3は大きな因縁となる。

 先程触れたように2008年のファイナルに進出したレイカーズはピアース・ガーネット・アレン率いるセルティックスに敗れ,涙を呑む。しかし,ひとたび逆境を乗り越えてきたコービーは2009年,ガソルとともに再びファイナルの舞台にたどり着き,オーランド・マジックを4勝1敗で下したのだ。Dynamic Duoの下,シャックと決別してから一度も手にできなかった栄冠を手にしたことでコービー・ブライアントのLegacyは大きく変化することとなったのは言うまでも無く,現在コービーがNBA史において絶大な地位を築き上げているのはこの優勝に依るものがあるだろう。

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Shaq抜きでの優勝を勝ち取ったKobe

 そして2010年,あのBIG3擁するセルティックスとDynamic Duo擁するレイカーズが再びファイナルの舞台で激突し話題を呼んだ。

 第1戦はファウルトラブルでレイ・アレンを欠いたセルティックスを退けるも,第2戦ではセルティックスで頭角を現したラジョン・ロンドがトリプルダブルのパフォーマンスを見せイーブン。その後ボストンで臨んだ3連戦を1勝2敗とし,先に王手をかけられてしまう。

 後が無いレイカーズは第6戦でコービーとガソルが奮闘を見せ3勝3敗に持ち込む。運命の第7戦,拮抗した試合の中,レイカーズを支えたのはロン・アーテストやデレク・フィッシャーといったベテラン達。第4クオーター残り僅かで79-76でリードしていたレイカーズ。ここでコービー・ブライアントがフリースローをもぎ取り見事2本成功。その後はリードを守り抜き,見事レイカーズが連覇を達成。コービー自身5度目となるチャンピオンタイトルを獲得したことで名実ともにシャックを追い越すことができた瞬間でもあった。

 その後,2014年にはガソルがシカゴ・ブルズへ移籍し,「5度の優勝を成し遂げたレジェンド」として名を刻んだコービー・ブライアントは2016年に引退。セルティックスの「BIG3」同様,ロサンゼルス・レイカーズを再び復活させたDynamic Duoは解体となった。

 コービーとガソル,彼らが成し遂げた優勝について欠かせないエピソードがある。2008年,セルティックスにファイナルで敗れた後の北京オリンピックにてアメリカとスペインが決勝で激突。アメリカ代表の中心選手はコービー,スペイン代表の中心選手はガソルであった。ここでスペインを下したコービーは08-09シーズン前のトレーニングキャンプの初日,ガソルのロッカーの前に自身の金メダルを飾り立てるという暴挙にでたのだ。当然祖国を愛するガソルはコービーに怒るのであったがここにはジョーダン譲りの負けん気を持つコービーらしい理由があった。

 「俺たちはセルティックスに負けて,オリンピックでは俺に負けた。今シーズン負けて3連敗になることだけは避けよう。優勝を勝ち取ろう」とのメッセージを伝えたという。これに檄を受けたガソルは肉体強化に取り組み,以前に増してフィジカルなプレイにも強くなったとのこと。ガソル抜きではコービーの連覇は無かったように思えるが,ガソルの活躍というのもコービー抜きでは為し得なかったように思える。

③マイアミ・ヒート(2010年~)【BIG3】

レブロン・ジェームズ(CLE⇒MIA)
クリス・ボッシュ(TOR⇒MIA)
ドウェイン・ウェイド(MIAに残留)

 歴史上最も豪華なドラフトクラスと呼ばれた2003年の新人達。その中でも飛び抜けていたのは圧倒的な身体能力とスキル,そしてサイズを兼ね備えた「Chosen One」,今なおトップクラスの活躍と人気を誇るレブロン・ジェームズだ。セント・ビンセント・セントメアリー高校に所属していた時からESPNの全国放送が試合中継を行うなど,彼のNBA入りは一大行事であった。

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歴代最高とも謳われる03年ドラフトクラスの面々

 当然この年の全体1位指名権を手にしたクリーブランド・キャバリアーズはレブロンを指名。しかしこの年はオフェンシブビーストのカーメロ・アンソニーやスキルフルビッグマンのクリス・ボッシュ,そしてレブロンに並ぶような身体能力とスキルを持ったドウェイン・ウェイドが控えていた。

 2位指名権を有していたのは前年イースタン・カンファレンス・ファイナルまで勝ち進んだデトロイト・ピストンズ。ピストンズはこの才能溢れる3人には目もくれず,「ノヴィツキー2世ダーコ・ミリティッチを指名。これにより大きな運命の歯車が回り始める。

 ナゲッツに3位指名されたアンソニーの次に指名されたのはクリス・ボッシュ。彼を獲得したのは「Air Canada」ことビンス・カーターが所属していたトロント・ラプターズ。そしてマイアミ・ヒートが5位指名したのがドウェイン・ウェイドである。ピストンズが起こした「指名順位のねじれ」はこの数年後,NBA全体を大きくねじれさせる事態を引き起こすことは当時誰も知ることはなかった。

 オハイオ州アクロンで生まれたレブロンは,同じくオハイオ州クリーブランドに本拠地を置くキャバリアーズファンに大きな歓声を受けて出迎えられる。レブロンはルーキー・イヤーには20.9得点5.9アシスト5.5リバウンドを記録し新人王に輝く。その後も弱点であったロングレンジシュートを克服するなどリーグ屈指のオールラウンダーとして成長していく。

 ボッシュは1年目から本来のポジションと異なるセンターを任されるもルーキー1stチームに選出されるなど躍動し,翌年ビンス・カーターがチームを去ってからはラプターズのエースとして台頭。オールスター常連選手としての地位をモノにした。

 そしてウェイドは3人の中で最も早く栄冠を手にすることとなる。ルーキーイヤーから随所でクラッチなシュートを決めるなど人気を得たウェイドは,2年目にコービーと決別したシャックがヒートに加入すると爆発。3年目にはチームのエースとしてファイナル進出に導き,ダーク・ノヴィツキー率いるダラス・マーベリックスを破って初優勝を飾った。

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Kobeと決別したShaqと共に優勝を手にしたWade

 しかし翌年,チームを支えたベテランや屋台骨のシャックが相次いで故障するなど苦境に立たされると,プレーオフでは初戦スイープ負けという屈辱を味わった。07-08シーズンにはシャックがトレードされ,ウェイド自身も怪我によってプレーが出来ず,ヒートは苦境にあえいだ。
 08-09シーズンはウェイドが得点王に輝くなどプレーオフに返り咲いたものの,翌09-10シーズンはプレーオフ初戦負けに終わった。今のヒートでは勝ち進めない現状を察したウェイドはFAとなったこの年に移籍を決意することとなる。

 時を同じくしてクリーブランド・キャバリアーズではレブロン・ジェームズが衝撃のパフォーマンスを見せていた。チームメイトに恵まれない中,2006年には自身初のプレーオフに進出すると翌年にはファイナルの舞台に足を踏み出す。ここで対するは「Dancan・Parker・Ginobili」の生え抜きBIG3擁するサンアントニオ・スパーズ。レブロン以外に得点力が乏しいとみたスパーズは時には4人がかりでレブロンをディフェンスし,0勝4敗で敗北することとなる。翌年は得点王・MVPを獲得するもプレーオフではセミファイナルにて敗北。そして09-10シーズンにはBack-To-BackでMVPを受賞するもプレーオフではあのセルティックスの「BIG3」に叩きのめされた。

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MVPを2度受賞するも優勝経験がなく批判されていたLeBron

 同年,FAとなったレブロンには『セルティックスの「BIG3」やレイカーズの「Dynamic Duo」のように自分と同じようなスター選手とプレーしなければ勝ち進むことはできない』といった想いも少なからずあったと思われる。

 ボッシュは06-07シーズンに初めてオールNBAチームに選出されるなど活躍し,自身初のプレーオフに出場。初戦の相手,ビンス率いるニュージャージー・ネッツには力及ばず2勝4敗で敗れてしまう。翌年もプレーオフに出場できたものの初戦敗退。08-09,09-10シーズンは自身の活躍とは裏腹にプレーオフ進出を逃すなどボッシュにとっては先の見えない闘いが続いていた。そして彼も同じくこの年にFAとなったのである。

 この3人に共通していたのは「飛び抜けた個人成績」「芳しくないチーム成績」「全盛期真っ只中」といったセルティックスのBIG3と似た境遇であった。そして2010年7月7日,ウェイドが残留を決めたマイアミ・ヒートにボッシュがFA移籍すると発表。そして翌日の7月8日,テレビ番組「The Decision」の中でレブロンがマイアミ・ヒート入りを発表。レブロン・ウェイド・ボッシュという超強力なBIG3がサウスビーチに誕生したのである。

 俗に「スリー・キングス(3KINGs)」と呼ばれたこの3人の集結に対するNBAファンの反応は言うまでも無く,たちまちバッシングの嵐となり,行く先々でヒートはブーイングを浴びる「ヒール(悪役)」な存在として名乗りを挙げた。

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スーパースター3人が結集したHeatはすぐさま優勝候補筆頭へ

 迎えた10-11シーズン,序盤はケミストリーに不安があったものの,徐々にバランスを掴み始め,危なげなくプレーオフに進出し,見事ファイナルまで勝ち進む。対するはノヴィツキーやジェイソン・キッドなどのベテラン率いるダラス・マーベリックス。下馬評では圧倒的にヒート有利とされた中,怪我と発熱を抱えたノヴィツキーがテイクオーバーし,3KINGsが集結したヒートは優勝を逃す。この敗因のひとつにレブロンの不調が挙げられ,連日ヒートアンチやメディアからバッシングを浴びるのであった。

 しかし11-12シーズン,レブロンが3度目のMVPを獲得する活躍などもあり,再びプレーオフの舞台にヒートの姿はあった。ニックス,ペイサーズを退け,カンファレンス・ファイナルではまたもや登場「BIG3」擁するボストン・セルティックスと激突。第1,2戦を勝利するもそこから3連敗を喫して後が無くなったヒート。毎度批判のやり玉に挙がっていたレブロン叩きもピークに達し,ここで敗戦した場合,レブロンのLegacyに大きな影響を及ぼすことは必至であった。

 そして迎えた第6戦。レブロンが見せたパフォーマンスは彼が「Chosen One」であることを全米に再び知らしめることとなった。この日,45得点15リバウンドの活躍でチームを勝利に導いたレブロン。第7戦でもセルティックスを退け見事ファイナル進出を果たす。

 ファイナルの相手はオクラホマシティ・サンダー。語るまでもないが「Durant・Westbrook・Harden」という後に全員がMVP&得点王に輝く強烈なBIG3を擁したチームである。第1戦は彼らに敗れたもののそこから4連勝を飾ったヒートは遂にチャンピオンに輝いた。勿論FinalMVPはレブロンが受賞し,プレーオフでも輝けることを証明することができた。
ちなみに,今となっては忘れ去られているものの,当時の下馬評としては圧倒的なオフェンス力を持つサンダーが有利と見られていました。後年,レブロンアンチによって「Young OKC」と揶揄されていることが多く,筆者も首を傾げてしまいます。

 そして12-13年シーズン前,ヒートに頼もしいプレイヤーが加わった。宿敵セルティックスのシューター,レイ・アレンである。アレンは優勝の経験もさることながら,スタープレイヤーとの共存を誰よりも心得ている頼もしいベテランであった。(もちろんアレンがライバルチームに移籍したことは当時大きく批判されており,この移籍が起因となって今現在もアレンとガーネットは不仲である。)
 同年,三度ファイナルの舞台に駒を進めたヒートに対するはかつてレブロンが完膚なきまでに叩きのめされたサンアントニオ・スパーズ。この年のSASは「Dancan・Parker・Ginobili」のBIG3はベテランとなっていたが未だ強力で,更には成長著しいカワイ・レナードが躍動していたチームである。

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生え抜き主力を中心に99,03,05,07年と4度の優勝を誇っていたSpurs

 このファイナルでヒートは大いに苦しめられ,第5戦に敗れた時点で2勝3敗。背水の陣で臨んだ第6戦でも終始スパーズがリードする展開であったが第4クオーター残り30秒で5点差まで持ち込む。ここでレブロンがクラッチな3ポイントショットを決めて2点差に。スパーズはここでレナードがファールをもぎ取りフリースローを獲得。1本を外したものの点差を3点とする。

 そして残り10秒,再びレブロンが3ポイントショットを放つもリングにぶつかりボールが跳ね上がる。ここでリバウンドをモノにしたのがボッシュであった。ボッシュはここで焦らずコーナースリーを狙うアレンにパス。「精錬された」というに相応しい美しいキャッチ&シュートから放たれたボールは,試合を諦めかけていたヒートファンを熱狂させる同点ショットとなった。

 オーバータイムを制したヒートは接戦となった第7戦も勝利し,見事連覇を飾ったのである。FinalMVPはレブロンとなったものの,今後何十年と記憶に刻まれるのはレイ・アレンの同点ショットに違いない。

 翌年,文字通り復讐に燃えるスパーズに3連覇を阻止されてしまうものの,サウスビーチに誕生した3KINGsは4年連続でファイナル進出という快挙を成し遂げた。

 そしてチームを支えたレブロンはこの年のオフにクリーブランド・キャバリアーズへ復帰。チームの顔であったウェイドは2016年にシカゴ・ブルズへ移籍。ボッシュも15-16年シーズンを最後に血栓のため引退。4年で4度のファイナル進出,そして2度の優勝を成し遂げた王者達はここに解散した。

 このチームも成功の要因は多くあるが3つほど特筆したい。1つは長年ヒートで1stオプションを勤めたウェイドがマブスに敗れた後,エースの座をレブロンに譲ったことである。これによりレブロンにも今まで以上に責任感が生まれ,より強気にクラッチシュートを放てる自信がついたように思われる。
 二つ目はボッシュがアンセルフィッシュに徹し,自らの役割をも変える決心をしたことだ。ラプターズ時代は制限区域付近でのポストプレイを得意としていたが,中に切り込むプレイスタイルのレブロンとウェイドとの共存を考え,ペリメーター付近からのショットを増加させた。
 三つ目はレイ・アレンやシェーン・バティエ,マイク・ミラーなどのロールプレイヤーの存在である。アレンは先述のとおりボールを必要としないオフボールシューターであるものの,クラッチなショットをいつでも決めることが出来る経験と勝負強さを有していた。バティエはロケッツなどでヤオミンやトレイシー・マグレディを支えた3&Dプレイヤーであり,そのプレーへの姿勢はヒートを更に熱くさせてくれた。またこういったロールプレイヤーの契約のために3KINGsが減俸を受入れたのもチーム運営において不可欠なプロットだったに違いない。

④ロサンゼルス・レイカーズ(2012年~)【?】

コービー・ブライアント(LAL)
パウ・ガソル(LAL)
スティーブ・ナッシュ(PHO⇒LAL)
ドワイト・ハワード(ORL⇒LAL)

 レイカーズは2009年と2010年にコービー,ガソルのDynamic Duoによって連覇をもたらしたものの,その後のプレーオフではマブスとサンダーに敗れるなどファイナルの舞台に到達できずにいた。特にコービーの現役中に1つでも多くチャンピオンリングを獲得したい狙いから,ガソルを獲得したようなビッグディールに打って出る。

 2000年代最高のポイントガードと言えば2005年と2006年に2年連続でMVPに輝いたスティーブ・ナッシュが筆頭候補であろう。ナッシュはコービーと同じ1996年ドラフトクラスの一人としてフェニックス・サンズに入団。その後,ダラス・マーベリックスに移籍しダーク・ノヴィツキーとともに活躍。2004年にディフェンスにおけるハンドチェックのルールが禁止された時期にサンズへ復帰すると彼の真価が引き出される。「ラン・アンド・ガン・オフェンス」「セブン・セカンズ・オア・レス」に代表される超オフェンシブ戦術を駆使するマイク・ダントーニ監督の下,絶対的な司令塔としてアシストと得点を量産。優勝はできなかったものの,今日における3ポイントとアップテンポなゲームスタイルを彼らが確立したといってもいい。

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05,06年と2年連続でMVPを受賞した司令塔Nash

 その後,アマレ・スタダマイヤーやショーン・マリオンといったコア・メンバーを失ってもなおサンズを支え続けたナッシュは,無情にも若返りを図るサンズに再契約のオファーを受けることが出来ず,2012年7月11日,ロサンゼルス・レイカーズへ移籍した。とりわけ,キャリアの中で強力なポイントガードとプレー機会がなかったコービーにとって,ナッシュのようなプレイメイクができるバックコートメイトの加入は自身の負担軽減に繋がるとして歓迎した。

 しかしこの年のレイカーズの補強はこの程度で終わらなかった。
 かつてオーランド・マジックで支配的なセンターとして君臨したシャキール・オニール。先ほども触れたが彼はレイカーズへ移籍後,スリーピートを果たすなど大成功を収めた。シャックが去った後,2004年ドラフト1位で高卒のドワイト・ハワードを獲得。その後,シャックに劣らない支配力で3年連続最優秀守備選手に輝くなど現役最強センターの座に君臨していた。チームとしても2009年にイースタン・カンファレンスを制覇しファイナルに進出。しかしDynamic Duo率いるレイカーズに敗れ,優勝を逃していた。その後もプレーオフに挑み続けるがファイナルの舞台に返り咲けないまま年数だけが過ぎていった。そんなハワードに目をつけたレイカーズは4チーム12選手が絡む超大型トレードを敢行し,ハワードを獲得

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リーグ最高センターとして数々のタイトルを手にしたHoward

 これにより東のヒート,セルティックスにも劣らないコービー,ガソル,ナッシュ,ハワードというBIG3を通り越す「Premium4」が爆誕した。

 結論からしてこのPremium4は大失敗に終わる。まずはナッシュがレギュラーシーズン第2戦目に新人の「Dame Time」ことデイミアン・リラードと交錯し右脚骨折で離脱。負担軽減が予想されていたコービーのプレイタイムが真っ先に増加。また,極めてプレイエリアが限られているハワードが加入したことでガソルは全く共存できず個人成績は急落。ここにマイク・ブラウン監督の取り入れた戦術が複雑であったことも加わってチームは大ブレーキ。

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選手の実績だけを見れば歴代最高峰のラインナップであるが・・

 そこでサンズの元監督であり,ナッシュとお互いを理解しあっているマイク・ダントーニを監督に招聘。しかしナッシュが戦線復帰するまでの間はダントーニの超攻撃的な戦術は全く実らず,一時はプレーオフ進出すら危うい状況に。ナッシュ復帰後はかつてのナッシュ&スタダマイヤーを再現するかのごとく,ナッシュ&ハワードのピックアンドロールを試みるもハワードがPndRをいままで実践したことがなかったことにより失敗。4人による相乗作用が僅少のまま,コービーの活躍によりなんとかプレーオフに進出が決まった。

 しかし更なる悲劇がレイカーズを襲う。レギュラーシーズン終了直前,それまで休み無しでプレーし続けたコービーは勤続疲労によるアキレス腱断裂の大怪我を負い次シーズンほぼ全休が決まった。プレーオフでは初戦でスィープされるというあまりにも悲しい結末を迎えた。

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このアキレス腱断裂によってKobeのキャリアは大きく変わってしまう

 そしてかねてよりコービーとの関係が崩れかけていたハワードはわずか1年でヒューストン・ロケッツへ移籍。翌年もコービーとナッシュがシーズンのほとんどを戦線離脱するなどPremium4は解体を迎えた。

 このスター選手4人によるチームの構築はレイカーズにとって初めてではなかった。コービーとシャックによるスリーピート後,2003年にプレーオフで敗れたレイカーズは,ユタ・ジャズの伝説的なパワーフォワードであるカール・マローンを獲得。更には90年代を代表するディフェンシブガードであるゲイリー・ペイトンを獲得するなどの大補強を行った。この頃にはシャックとコービーの関係は破綻寸前であり,マローンは既に40歳,ペイトンも全盛期を過ぎていたが,それでも2004年のファイナルに進出。相手はスーパーチームとは対象的であったデトロイト・ピストンズ。シャックはベン・ウォレス,コービーはテイショーン・プリンスのディフェンスに苦しめられ,マローンはシーズン初めに負った怪我が響き,ペイトンはそもそもフィル・ジャクソンのトライアングル・オフェンスとのアジャストが最後までできず1勝4敗で敗北。スター不在のピストンズに完膚なきまでに敗れたのであった。

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MaloneとPaytonはファイナル出場経験があったもののJordanに敗れていた過去をもつ。

 この失敗を糧にしていればこのPremium4の失敗は無かったかもしれないがそれは結果論。特にコービーと喧嘩別れしたハワードは当時のことを今でも悔やんでおり,彼がヘリコプターの墜落事故で急逝したときには移動中の飛行機で人知れず涙を流したとのこと。それだけハワードにとってはコービーと過ごしたレイカーズ時代がかけがえのない時間だったのだろう。今季のプレーオフ,なんとしてもコービーに優勝を捧げたいハワードは,マンバメンタリティを胸に活躍を誓っているはずだ。

(2022年追記)
2度の失敗をまたもや省みず,ウェストブルックを獲得したことでチームは崩壊。結局プレーイントーナメントにすら滑り込めず,ネッツとともにお笑い球団としてその名を刻みそう。

⑤クリーブランド・キャバリアーズ(2014年~)【BIG3】

カイリー・アービング(CLE)
レブロン・ジェームズ(MIA⇒CLE)
ケビン・ラブ(MIN⇒CLE)

 レブロンが加入した2003年以降,特にレブロン以外の選手を揃える気概を持ち合わせていなかったキャバリアーズ。レブロン当人がヒートに移籍してからは当然成績を残せるはずもなくプレーオフから遠ざかることに。

 しかしそのお陰もあってキャバリアーズは2011年ドラフトの全体1位指名権を獲得。ここでデューク大学のポイントガードであるカイリー・アービングを指名すると一年目から新人王を獲得する大活躍。歴代有数のハンドリングスキルと正確なシュート力を兼ね備えたアービングは2013年にオールスターに選出されるほどの躍進を見せた。また,若くしてチームを任されたことで強力なリーダーシップも芽生え始めた。

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ハンドリングスキルは歴代№1と謳われるIrving

 キャバリアーズはその後,2013年と2014年にもドラフト1位指名権を獲得するなど幸運に恵まれ,アンソニー・ベネットアンドリュー・ウィギンスを指名。アービングにこの二人を加えた「ドラ1トリオ」でチーム再建を図ると思われた矢先,マイアミ・ヒートにて2連覇を果たしたレブロン・ジェームズがチームに復帰。これによって瞬く間に優勝争いモードとなったキャブスは育成に時間を要するとみられたベネット&ウィギンスをティンバーウルブスに放出。対価としてリーグ屈指のパワーフォワードであるケビン・ラブを獲得することに成功したのだ。

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 キャバリアーズが本拠地とするクリーブランドは50年以上プロスポーツチームが優勝を果たしていない都市であり,レブロンを筆頭とした新生BIG3にとってはクリーブランドに優勝をもたらすという意味で大きな使命感があったことだろう。特にレブロンはオハイオ州アクロンで生まれ育ったこともあり,クリーブランドでの優勝を果たすために故郷へ帰還したほど強い思い入れがあった。

 迎えた2014-2015年シーズンはイースタン・カンファレンス2位の成績で危なげなくプレーオフに進出。以前までとは違い,レブロンはヒート時代に4年連続でファイナルに進出していただけあってプレーオフで圧巻のパフォーマンスを披露し,ファイナル進出。しかしBIG3の一人であるラブがすでに故障により離脱しており,不完全な状態でステフィン・カリー率いるゴールデンステート・ウォリアーズと決戦を迎える。初戦,レブロンとアービングが奮闘を見せるもオーバータイムの末に敗北。また,アービングがこの試合で右脚を骨折するなどキャブスは苦境に立たされる。レブロンの獅子奮迅の活躍により2勝1敗とするも,そこから3連敗を喫してウォリアーズに優勝を許す結末に。

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07Finals同様にLebronにマークが集中し,押さえ込まれた

 翌15-16年シーズンはイースト首位を快走していたが途中で当時のアシスタンコーチであったティロン・ルーを監督に昇格。万全の体制でプレーオフを迎えた。前年とは異なり,ラブとアービングを失わずに再びファイナルへ進出することに成功。相手は前年チャンピオンリングを奪われたゴールデンステート・ウォリアーズ。第3戦までに1勝2敗のリードを許すと第4戦も敗れて1勝3敗と絶体絶命の状況に。今までファイナルで1勝3敗から逆転優勝を果たしたチームはおらず,この時点でウォリアーズ連覇を確信した人が大半であった。

 しかしキャブスはここからレブロンとアービングのモンスターパフォーマンス,そしてトップディフェンダー・グリーンの出場停止につけ込むことで2連勝。イーブンに持ち込む歴史的な巻き返しを見せる。運命の第7戦,両者一歩も譲らない状況で第4クォーターへ突入。残り4:00から試合は89-89の同点で膠着しており,予断を許さない状況。残り1:50でチャンスを手にしたのはウォリアーズ。リバウンドからの速攻でステフィン・カリーはJRスミスのディフェンスと逆方向にいたイグダーラへバウンドパス。イグダーラのレイアップにスミスが必死のブロックに行くも,これを空中で躱したイグダーラが拮抗を破るレイアップを決めかけていた。

 その時である。突如レブロン・ジェームズがイグダーラの背後から現れ,チェイスダウンブロック。NBAファイナル史に残るハイライトが生まれた後,チームの柱であるアービングがカリーの上から決勝3ポイントを決めて試合は決した。キャブスの選手が歓喜に沸き立つ中,クリーブランドに優勝を届けることができたレブロンは涙を止めることが出来なかった。

「神様はなぜ困難な道を授けてくれたかは分からない。だが神様は俺たちが乗り越えることのできない試練を与えることはしない。」

優勝インタビューの最後にはすべての想いが詰まった叫びがあった。

 「Cleveland!This For You!

 感動的なフィナーレを迎えた2016年シーズン。優勝により暫く続くかと思われたキャバリアーズのBIG3はその後早くも終焉を迎えることとなる。カイリー・アービングが2017-18シーズン開始前にトレードを要求。ボストン・セルテックスへの移籍が実現し,わずか3年で解体となった。アービングがトレードを要求した理由としては「レブロンではなく,自分がリーダーシップを取れるチームに移籍したい」とのことであり,フランチャイズプレーヤーとなることを想定していたチームやレブロンにとっては青天の霹靂の出来事であった。

 アービングはセルティックス移籍後,チームリーダーとなったものの,コミュニケーションの面で若手と衝突するなど苦心する場面も見られ,かつて自分と共存していたレブロンに感謝と賛辞を送るシーンもあった。リーダーシップの面でもレブロンの絶大な影響力が垣間見えたエピソードである。(その後,またもやレブロン批判を暗に行うなどバッシングを浴びたのは別の話)(そしてその後再びレブロンに釈明)(またまたその後,レブロンを「影のGM」呼ばわりするのは別の話)

⑥ゴールデンステート・ウォリアーズ(2016年~)【?】

ステフィン・カリー(GSW)
クレイ・トンプソン(GSW)
ドレイモンド・グリーン(GSW)
ケビン・デュラント(OKC⇒GSW)
デマーカス・カズンス(NOP⇒GSW) 

 1980年代はセルティックスとレイカーズ,1990年代はブルズ,2000年代はレイカーズやスパーズが一歩抜きん出たチームだとすると2010年代はどこのチームがそれにあたるだろうか。2度の優勝を誇ったヒート,4度ファイナルへ進出したキャブス,そして連覇含む3度の優勝を誇ったウォリアーズの名前は欠かせないだろう。

 1970年代に優勝して以降,「強豪」と呼べる時期は非常に少なく低迷に喘いでいたウォリアーズ。2007年には8位シードながらも1位シードのマーベリックスをジャイアントキリングした「We Believe Warriors」が一世を風靡するも08-09年シーズンには29勝53敗を記録するなど光明が見えないシーズンを重ねていた。

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8位シードながら,優勝候補の1位シードであったMavsをアップセットしたGSW

 しかし2009年のドラフトにてウォリアーズの歴史,ひいてはNBAの歴史を大きく変える選手を7位指名。デイビッドソン大学3年のポイントガード,ステフィン・カリーだ。当時のチーム内にはリッキー・ルビオなどの獲得を推す声もあったが,あのノヴィツキーやナッシュを育て上げたドン・ネルソン監督がカリー獲得を後押ししたと言われている。
 カリーは持ち前のシュート力とプレイメイク力を1年目から発揮し,3PT%は43.7%を記録するなどして新人王投票では2位につけた。その後は度重なる怪我に悩まされたものの12-13年シーズンには当時レイ・アレンが保持していた年間3ポイントシュート成功数を塗り替える272本を記録。チームを6年振りのプレーオフに導くなど大躍進を果たした。

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デイビットソン大出身のPGは競技そのものを根本から覆す

 もっとも,ウォリアーズの歴史を変えたドラフト指名はカリーだけではなかった。2011年のドラフトではシュート力に優れたクレイ・トンプソンを11位で指名。2012年はハリソン・バーンズドレイモンド・グリーンを指名するなど,その後チームの核となる選手を立て続けに獲得。
 とりわけカリーとトンプソンのバックコートは強力であり,12-13年シーズンには両名で483本のスリーポイントを決めるなど,「スプラッシュ・ブラザーズ」とよばれるまでに成長した。

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敵チームに血の雨を降らせた2人

 2014年のプレーオフでは強豪クリッパーズと激戦を繰り広げるも敗戦。誰もが来年への期待を膨らませる中,新たな監督としてスティーブ・カーが就任。カーはマイケル・ジョーダンらと共にシカゴ・ブルズで4度の優勝を果たした他,スパーズではグレッグ・ポポビッチ監督の下でプレー。勝ち方を知る監督という面ではこの上ない人材であった。

 14-15年シーズン,カリー&トンプソンに加え,成長著しいグリーン,バーンズの活躍によりシーズン途中には16連勝を記録。最終的には67勝を挙げ,カリーがMVPを受賞するなどの快進撃を見せた。プレーオフではベテランのアンドレ・イグダーラなどの活躍にも背中を押され,レブロン・ジェームズ率いるキャバリアーズを下し,40年振りのチャンピオンに輝いた。

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生え抜きを中心に戴冠。王朝の華々しい幕開けを予感させた。

 15-16年シーズンは開幕から24連勝を成し遂げ首位を独走。2月28日にはNBA史上最速でプレーオフ進出を決め,かつてのMJブルズの記録を更新するシーズン73勝を挙げた。連覇をかけて臨んだファイナルの相手はまたもやキャバリアーズであったが3勝1敗で王手をかける。しかし先述のとおり,ここから逆転優勝を許してしまったウォリアーズ。文字通り苦杯をなめた球団はNBAを震撼させる大補強を敢行することとなる。

 Note冒頭の2007年ドラフトの話を思い返して欲しい。レイ・アレンが所属していたシアトル・スーパーソニックス(後のオクラホマシティ・サンダー)はこの年,全体2位指名権を有しており,下馬評ではグレッグ・オーデンかケビン・デュラントを指名する予定であった。1位指名権を有していたポートランド・トレイルブレイザーズがグレッグ・オーデンを指名したため,スーパーソニックスはデュラントを獲得した。
 デュラントの成長は凄まじく,1年目には新人王,3年目には史上最年少で得点王を獲得するなどスコアリングモンスターと化していた。その後,サンダーのドラフト手腕によって加入したラッセル・ウエストブルック,ジェームズ・ハーデンと共にBIG3を形成すると2012年には西の横綱であったスパーズを打ち破ってファイナルに進出。しかし「3KINGs」率いるヒートに敗れ,優勝を逃す。その後はハーデンがチームを去るも,ウエストブルックと共にチームを支え,2014年にはMVPを獲得。そして2016年にはウエスタン・カンファレンス・ファイナルにてシーズン73勝を記録したウォリアーズと激突。3勝1敗のリードを奪ったのもつかの間,カリーとトンプソンが爆発し3連敗を喫し敗退。なんとしても優勝を手にしたかったデュラントはここでFAとなる。

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リーグ№2選手がリーグ最強チームに移籍するという大事件

 理想のパンチラインとしては再びサンダーがウォリアーズを倒してファイナルに進出することであったが,デュラントは自らを打ち負かしたゴールデンステート・ウォリアーズと契約することを決心。レブロンのヒート移籍並の大バッシングに揺れた。

 デュラントとのサイン&トレードによってバーンズは退団したものの,カリー,トンプソン,グリーン,イグダーラに加えてデュラントが顔を並べる「デス・ラインナップ」が完成。シーズン開幕前からウォリアーズの優勝を確信する者も多い中,予想どおり2017年ファイナルに進出。相手は三年連続でキャバリアーズ。前年の接戦を忘れるようなウォリアーズの圧倒的なバスケットにより4-0のスイープ勝ちを果たした。

 翌2018年にもファイナルでキャバリアーズと対戦し,4-1で勝利。念願の連覇を果たす他,過去4年の内で3度の優勝を果たす偉業も成し遂げた。連覇に際しては2年連続でデュラントがファイナルMVPに輝くなど,デュラント獲得が優勝を決定的にしてくれたのは言うまでも無い。

 そしてスリーピートを目論んだ翌年のオフ,アキレス腱断裂からリハビリ中のオールスタービッグマンであるデマーカス・カズンスを獲得。この補強にはファンのみならず,多くの現役選手から悲鳴が上がった。それもそのはずで,PGのカリーは得点王1回・MVP2回・AS5回出場,SGのトンプソンはオールNBA3rdチーム選出2回・AS4回出場,SFのデュラントは得点王4回・MVP1回・AS出場9回出場,PFのグリーンはスティール王1回・最優秀守備選手1回・AS3回出場等の受賞歴があり,そこにオールNBA2ndチーム選出2回・AS4回出場のセンターであるカズンスが加わるなど後にも先にも拝めないようなモンスターチーム,「BIG5」の結成となった。

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史上最強ラインナップとの呼び声高い5人

 1月にカズンスが怪我から復帰すると11連勝を果たしウエスタン1位でプレーオフに進出。8連覇を成し遂げたビル・ラッセルのセルティックス以来となる5年連続のファイナル進出を決めた。相手はカワイ・レナード率いるトロント・ラプターズであり,トンプソン,デュラント,カズンスを怪我で欠いたウォリアーズは遂に敗退。

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怪我を押して出場強行するもアキレス腱断裂を負ったDurant

 この年のオフ,デュラントはネッツに移籍し,カズンスはレイカーズへ。またロールプレイヤーとして活躍したイグダーラやリビングストンも退団となった。19-20年シーズンではディアンジェロ・ラッセルが加入するもトンプソンはシーズン全休,カリーも指の骨折により離脱。15勝50敗という成績で最下位に終わった。

 このウォリアーズ王朝,成功の要因は数あれどやはり優秀であったチーム編成力は欠かせない。カリー,トンプソン,グリーン,バーンズといった若手コアをドラフトで獲得し,イグダーラやリビングストン,パチュリアのようなロールプレイヤーも確保。そしてデュラントやカズンスのような大物を連れてくるという100点満点の動きをとることができた。

 また,カリーはキャリア序盤の怪我もあって破格の契約を結ぶことができたお陰でキャップスペースを確保でき,デュラント契約前には新たなCBA締結によってサラリーキャップが上昇,カズンスも怪我の影響であり得ないほどの低金額で契約を結ぶなど,普通であれば為し得ない形でスーパーチームが生まれた。

(2022/5追記)
息が途絶えたと思われたGSW王朝。数年の休憩を経て,またもやファイナル進出の快挙を果たした。生え抜きBIG3にウィギンスやプールといった人材を加えて西を制覇したチームマネジメントには「感服」の一言。

(2022/6追記)
そして2018年以来の戴冠。KD無しでの複数回優勝はCurry,Green,Thompsonの3人にとって更なるレガシーを作り上げたといえます。

(2023.2.9追記)
⑦ブルックリン・ネッツ(2021年~)【BIG3】

ケビン・デュラント(GSW⇒BKN)
カイリー・アービング(BOS⇒GSW)
ジェームズ・ハーデン(HOU⇒BKN)

 本Noteを投稿後の20-21シーズン。さすがに無視できないBIG3がブルックリンに爆誕することとなった。「いやお前今更取り上げんのかい!」とのツッコミは承知の上,備忘録として書かせていただく。

 ニューヨークのお隣,ニュージャージーに本拠を構えていたネッツは2000年に年代最高のポイントガードの1人となるジェイソン・キッドを獲得。そのリーダーシップに加え,リチャード・ジェファーソンやケニオン・マーティンといった実力者を懐刀にイースタンカンファレンスを支配。夢破れたものの2002~2003年と2シーズン立て続けにファイナルへ進出した実力は誰もが認めていた。その後「Air CANADA」の異名を持つ大スター,ビンス・カーターを獲得したネッツの王朝は長く続くかに見えた。

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 一転,カーター獲得以降はピストンズやヒートに敗れる日々が続き,遂には07-08シーズン以降5年連続でプレーオフに届かない事態に。
 チームの最低迷期であった2012年にはミハイル・プロホロフ新オーナーの実業家マネーによって本拠地をブルックリンへ移転。バスケのメッカ,ニューヨークに「ブルックリン・ネッツ」が誕生した。
 既存戦力としてブルック・ロペスがいたチームにデロン・ウィリアムス,ジョー・ジョンソンを加えていたが,当時東でスーパーチームを結成していたヒートに対抗できる球団を作り上げるため,指名権を売りに売りまくっての大補強を敢行。特に2013年のボストン・セルティックスとのトレードによるケビン・ガーネットとポール・ピアースの両穫りはNBAファンに大きな衝撃を与えた。しかしセルティックス時代ですらヒートに勝てなかった40歳手前の選手らが東を制覇できる訳もなく撃沈。ピアースに至っては入団1年でチームを去ることに。

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Vやねん!ブルックリン・ネッツ!

 さらにこのトレードで放出した指名権は後のボストンでオールスター選手となるジェイソン・テイタム,ジェイレン・ブラウンに成り代わるのだから面白い。
 この背水の陣で大敗を喫したネッツは「チームは弱いのに上位指名権は得られない」という地獄のスパイラルに両足を突っ込むこととなる。

・・・

 数年後の2018-19年プレーオフ。二度とこの舞台にカムバックできないはずだったネッツの雄姿がそこにあった。少し遡っての2016-17年シーズンに若手のビルドアップに定評のあるケニー・アトキンソンHCが就任すると,その辣腕っぷりを発揮。キャリス・レバート,ディアンジェロ・ラッセル,スペンサー・ディンウィディらを筆頭にジャレット・アレン,ジョー・ハリスといった選手の才能をわずか数年で磨き上げた。そして遂には42勝40敗でシーズン6位を記録し,4年ぶりのプレーオフ返り咲きを果たすのだった。初戦で敗れはしたものの,新進気鋭ながらも和気藹々とした若手達が作り出すチームカルチャーには多くのファンが胸を膨らませた。

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 しかしその年のオフ。歴代屈指のFA豊作年と見込まれた2019夏に向けてかねてよりキャップスペースを空けて照準を合せていたネッツは超大型補強をやってのけた。ケビン・デュラントカイリー・アービングの両穫りである。サイン&トレードでラッセルを失ったとはいえ,スコアリングの観点からすれば現役最高クラスのフォワードとガードを手にしたネッツは一気にタイトルコンテンダーとして名乗りを挙げることとなる。

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 先ほども触れたがデュラントは2019年ファイナルにてアキレス腱断裂の大怪我を負っていたために2019-20年シーズンは全休,アービングも開幕戦こそ50得点を取るものの,怪我がちなシーズンを過ごした。また,盟友ディアンドレ・ジョーダンの起用をめぐってアトキンソンHCを解任に追い込むなど,性格にやや難のある二名らしい初年度となった。

 話は替わって同年ウエスタン・カンファレンス。KD&カイリーの他にレブロン&AD,カワイ&PG13などのDynamic Duoが乱立する中,強豪ヒューストン・ロケッツにもジェームズ・ハーデン&ラッセル・ウエストブルックという爆発的な得点力を秘めたデュオが結成された。
 ハーデンは2009年にオクラホマシティ・サンダーに入団すると当時の2大エースであったデュラント&ウエストブルックをシックスマンとして支え2012年にファイナル進出。2013年のロケッツ移籍を皮切りにエースとしての才能が開花するとMVP1回,アシスト王1回,得点王2回に輝いていたスター選手。 

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「マイクロ・ボール」の二大エースWestbrookとHarden

 ウエストブルックも2008年にオクラホマシティ・サンダーに指名を受けると数年でリーグ屈指のポイントガードに成長。2016年にデュラントが移籍した後は「3年連続平均トリプルダブル」という前代未聞の化け物パフォーマンスを披露。2017年にはMVPを受賞している。

 ロケッツは2017年に歴代屈指のポイントガードであるクリス・ポールを補強。『7秒オフェンス』で一世を風靡したマイク・ダントーニHCがタクトを振り,飛び抜けたパスIQを持つハーデン&CP3のコンビの周りにスリーポイントを得意とするウイングを固め,高速&効率の高いオフェンスを展開した。しかしウォリアーズとのプレーオフにて2年連続の敗退を喫すると,怪我がちであったCP3に大量の指名権を付けてオクラホマシティ・サンダーへ放出。ウエストブルックの獲得に成功したのだ。

 シーズン当初はインサイドスペースをセンターのクリント・カペラがスペーシングを潰してしまいウエストブルックの強みが活かされていなかったが,冬にカペラがアトランタ・ホークスにトレード。これによって純粋なセンターをローテーションに入れない,オールスイッチ可能な「マイクロボール」が誕生した。スリーポイント全振りの「マイクロボール」においてのウエストブルックはパサー&スラッシャーとして大活躍。併せてハーデンも3度目の得点王を受賞するなど最大火力を有したままプレーオフに進出を決めた。
 しかしシーディングゲームの際にウエストブルックが太ももを負傷すると,チーム本来の能力が引き出せずにカンファレンス・セミファイナルでレイカーズの前に散ることとなる。
 遂にロケッツのマイク・ダントーニ監督が辞任するとウエストブルックとハーデンの両名は自分たちの満足できる監督を要望。結局,マブスで最高のオフェンスを確立したスティーブン・サイラス氏が就任するも,2人の望む監督ではなかったために両名はトレード要求を開始することとなった。

 これによってウエストブルックは2020年オフ中にジョン・ウォールとのトレードでワシントン・ウィザーズに移籍。
 対象に,再びハーデン中心のチーム作りを目論んだロケッツの戦略によってハーデンの移籍は行われずにシーズンを迎えた。
 しかしやる気の欠落とコンディションの調整不足に陥ったハーデンは開幕直後からウォールやカズンズと対立。開幕9試合で3勝6敗と散々なチームに業を煮やしたハーデンは「俺たちは優勝を狙ううえで十分じゃないということ。ケミストリー、タレント、全てでね。この数試合でそれが明らかになった」と批判を展開。自身の不振を棚に上げての発言はロケッツのチーム内に修復不可能な影響を与えたのは言うまでもないだろう。
 この直後,大量の指名権や選手が絡んだ4チームトレードが敢行。絶対に起こりえないとされていたジェームズ・ハーデンのブルックリン・ネッツ入りが現実となったのだ。

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 というのも,ハーデンがオフにトレード要求を行った時点で様々なチームが獲得に動いたが,ハーデン自身がネッツ入りを希望している旨の噂があったからだ。ただ,デュラントとアービング,ディンウィディーにレバートという既存スコアラーがいることに加え,ロケッツでハーデンが見せた「強すぎるエゴ」が一番の課題となることは明白であった。オフにもネッツとロケッツが『口頭合意』に至ったとの報道もあったが,結局はブロックバスタートレードは行われずにシーズン開始を迎えたのだ。

 しかしNBAは数奇なリーグである。開幕3試合目にして先発ガードのディンウィディーが右膝前十字靭帯断裂の重傷を負ってシーズン全休。またカイリー・アービングが「個人的な事情」と称して無断でチームを離脱。暗雲が立ち込み始めたネッツの前に飛び込んできたのは先の瓦解寸前ロケッツ。もちろん,大量の指名権ほかに平均28得点を残していたレバートや,将来のDPOY候補アレンなどを放出してまでハーデンを獲得したネッツの動きは当初懐疑的であったが,スコアリングに関しては『歴代最強BIG3』としても異存ないスーパーチームの誕生には筆者含むNBAファンも心躍らせた。
 アービング不在で迎えたハーデンのネッツでのデビュー戦。度肝を抜く32得点12リバウンド14アシストを飾るのであった。「強すぎるエゴ」を持ったハーデンはどこにもおらず,スコアリング重視からパス重視へ変化を遂げた最高のポイントガードがフロアを支配したのだ。(それでも30得点するあたり・・)
 ただし,移籍後のハーデンはMVPレベルで好成績を残したものの,各々の怪我などによってBIG3がそろい踏みしたのはわずか13試合。(プレーオフ含む)
 カンファレンス・セミファイナルではデュラントの獅子奮迅の活躍もあり,あと1cmまでミルウォーキー・バックスを追い詰めるも敗退。ケミストリーではなく,ドライビリティーに大きな課題を抱えた1年であった。
 それでも,BIG3に加えて現役屈指のピュアシューターであるハリス,かつて「ロブシティ・クリッパーズ」でオールスターのブレイク・グリフィンなどを脇に携えたラインナップは来季も強力であり,来る2022年シーズンの優勝候補筆頭であることは間違いない。オフには一度引退表明したラマーカス・オルドリッジが復帰し,パティ・ミルズやポール・ミルサップなども獲得。「ロールプレイヤー」と呼ぶにはビッグネームすぎる選手がセカンドユニットを盛り上げるだろう。

【2022年3月追記】
2021-2022年TDL,加入わずか1年のハーデンが76ersのベン・シモンズとトレード。わずか17試合しか共演を果たせぬままに史上最高のスコアリングBIG3が水泡に帰した。
思えばこの解散劇,性格に一癖ある3人らしい結末ともいえる。アービングは新型コロナウイルスワクチンを頑なに接種せずにホームゲーム出場不可とされていたが,ネッツは「チームに影響を与える」としてアウェイゲームでも出場をさせなかった。このアービングの唯我独尊にデュラントは悪く言えば日和見を継続。カイリーがアウェイゲームに復帰できるタイミングではデュラントが負傷離脱。ハーデンとアービングの仲介役を担っていたデュラント不在の穴は想像以上に大きく,日に日に彼らの関係は悪化。遂には噂レベルであった76ersとのトレードが実現する形となった。
私としてはハーデン>>カイリーとの評価を下しているため,ネッツがアービングを庇うばかりに稀代のスコアリングパサーを放出した判断は絶句。奇しくもレバートがCLEに移籍したことによって,ネッツは件のトレード最大の敗者となったと言わざるを得ない。
まあエンタメ的には最高のBIG3でしたね。

【2023年2月】
前年夏にIrvingとDurantがトレード要求をした時にはこのDuoも瓦解するのだろうと踏んでいましたが,なんとかNetsは意地で引留めに成功。好不調の波はあれど,東のトップランナーに恥じない成績を残していました。
しかし,2月4日にIrvingがトレード要求を行うと2日後にはマブスへの移籍が決定。これによってKDのトレードも内々で決まったのか,2月9日にはDurantがサンズ入りを果たしました。こんな終わり方ある・・・???


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