レモネードスタンド
ぼくは、レモネードスタンドを始めた。キッカケはYouTubeを見て楽しそう、というありきたりな理由だった。特にお金が欲しいとかそんな目的はない。ただやってみたかったのだ。
10歳のぼくジェームスがテントで始めた小さなお店のメニューは数量限定10本のレモネードのみ。最初は、両親に親戚、近隣の人たちが来てくれて完売することができた。皆んなからの評判は上々だった。これも、レシピ動画を見て作ったので、簡単簡単。
近隣の人たちがSNSで広めてくれたお陰で、次第に近隣住民の人たちが来ることになった。徐々にではあるが、違う顔も見えたけど決して数量を増やすつもりはなかった。ぼくの休みが、レモネードスタンドで終わるのはよろしくなかった。
◇◆◇◆
レモネードスタンドを始めて1か月が経った。そこに、レオという男の子が現れた。朝1番のお客さんだ。
「やぁ、レモネードをひとつもらえるかい?」
レオはぼくと同い年くらいだろうか。オーバーオールを着たパッチリとした目に黒縁メガネを掛けたクセのある赤毛の男の子。作ったレモネードを渡して、1ドルを受け取る。
「うん。なかなか悪くないね。悪くない。」
ぶつぶつと独り言のようなコメントをして、飲みながら帰っていく。どこから来たのだろうか。見えなくなるまで見ていたが、わからない。
次に来たのは、隣の家に住むキャロラインさん。金髪にふくよかな体でいかにも甘いものが好きそうなおばさんは片手にドーナツを持っていた。
「ジェームス、おはよう。レモネードひとつお願いね。」
彼女はオープンから来てくれる常連さんだ。レモネードにシロップを追加するのが、彼女のきまりだ。いつもどおり作って渡す。
「ありがとね。甘いドーナツと相性がいいわ。」と大きなお尻をふりながら帰っていく。その姿を見て、旦那さんのディーンのことを思い浮かべる。彼はキャロラインとは真逆でギスギスに痩せていた。あきらかに尻に敷かれているのだろう。よく怒鳴られている声が聞こえてくる。
旦那さんの分を買っていってあげればいいのに、と思うが余計なことは言わないのが、ぼくのポリシーだ。
次に、来たお客さんは目深にキャップを被り、最初、顔は見えなかった。真っ赤なパーカーにジーンズという特段おしゃれでもない服装。見たところ、アジア人だ。
「レモネードをひとつ、くれるかな?」
彼は流暢な英語で話してきた。
「はい。あなたはどこの国から来たの?」
レモネードを渡しながら、聴いてみた。
「ジャパンだよ。レコーディングできたんだ。」
そういうと、彼はスマートフォンを取り出して、曲を聴かせてくれた。
日本の音楽など聴いたことがなかったが、彼の音楽は、なんだかアメリカ人のぼくでも楽しめるような気がした
「美味しかったよ。ありがとう。」
キャップを外して、笑顔で帰っていった。そういえば名前を聞きそびれてしまった。
その週の夜、寝る前にラジオを聴いていた。あるる日本人アーティストが有名DJとニューヨークでライブをしたと、ディスクジョッキーは話している。次に紹介した曲が、あのキャップを被った日本人が聴かせてくれた曲だった。不思議な出会いもあるもんだ。
◇◆◇◆
翌週の日曜は雨が降ったので、お休み。1週間空いてオープンした。朝1番のお客さんはレオで、車椅子の女の子と一緒だ。
「妹のケイト。2人分もらえるかな?」
と、2ドル紙幣を渡してきた。ケイトも赤毛で、そばかすのある女の子。目がクリっとしている所はレオと似ているが可愛らしい子だった。レオは同い年で、ケイトは1歳下だと教えてくれた。
「お兄ちゃんの言ってたとおりね。美味しいわ。」
ケイトの晴れやかな笑顔にドキっとしてしまった。ケイトが2つ持ち、レオが車椅子を押して帰っていった。
2人が歩いていくのを眺めていると、ママがやってきた。
「あの子たちは、最近越してきたのよ。妹さんの病気の治療ができるのが、この街の総合病院にいる先生しかいないらしいの。あんな小さいのに可哀想に。」
車椅子に乗っていたからなにかあることはわかっていたが、そんなに大変な病気なのだろうか。あの笑った顔の裏にある苦悩までは読み取れなかった。
◇◆◇◆
レモネードスタンドを始めて、半年が過ぎた。お客さんとの会話も楽しく、常連さんもいたので飽きずに続けられた。お金を入れていたボトルはいっぱいなので、子どもらしく、なにかおもちゃでも買えばいいかもしれない。でも、使うのは躊躇われた。
レオとケイトはあれから毎週買いに来てくれた。彼女の笑顔がぼくの心を奪っていったのは間違いない。彼女たち(もうすでにレオよりケイト中心で世界を見ている)は毎週1番に並んで待ってくれている大事なお客さん。残り8人のお客さんもあとに並んで、お隣のキャロラインさんは買えないこともしばしばだった。
「ジェームス、私の分は用意しといて欲しいわね。お隣さんなんだから。」
と、プリプリと怒って帰っていく。旦那のディーンの分は相変わらず買う気は無さそうなので、追加する気にはならなかった。
今にも雨が降り出しそうな鉛色の空だった。天気予報では夕方から雨だから、大丈夫だろうと店の準備をする。
「こんな日はやらなくていいんじゃないか?雨が降りそうだぞ。」
パパが、テントを組み立てながら言ってきた。
「いやっ、とりあえず雨が降るまではやる。」
以前のぼくならやることはなかったが、どうしても開けておきたい理由があった。
ここ1か月、ケイトが来ていないのだ。もちろんレオもだが。前回来たときの帰りには「また来週ね!」と彼女は笑顔で手を振っていた。写真におさめておきたいほど素敵な微笑。
なにかあったのだろう。彼女の病気が進行したのかもしれない。心配でたまらず、お店に立っていても集中できなかった。でも、彼女がひょこっと現れるのではないかと思い、閉めるという選択肢はぼくの中にはなかった。
実のところ、ケイトのことはほとんどなにも知らない。病気を抱えている彼女に対しての接し方がわからず、ただレモネードを作って渡す。彼女の笑顔を眺めるだけだった。それだけで満たされていた自分を後悔していた。もっと色々話しておけば、こちらからアプローチできたかもしれない。引っ越してきたことを教えてくれたママも、それ以上のことは知らなかった。
◇◆◇◆
その日も、限定レモネードを売り上げて片付けしてた。
「ジェームス、もう今日は終わりかい?」
聞き覚えのある声が後ろから聞こえたので振り向く。そこには、レオがいつもの姿でたっているが、ケイトはいない。
「うん。残念ながら今日は終わったよ。久しぶりだね。元気だったかい?」
この元気だったかいには、ケイトのことも含めたつもりだった。
「まぁね。色々あるよ。」
レオの返事から、なにかただ事ではない事は伝わってきた。
しばらく沈黙が続く。口を開いたのはレオだった。
「ちょっと話したいことがあるんだ。いいかな。」
深刻そうな顔に、ゴクリと唾を飲み込む。覚悟を決めなければいけない。
2人で近くの公園に向かい、ブランコに並んで座る。話しがあると言って、なにも喋らないレオに対して煮え切らない気持ちになり、問いかける。
「ケイトになにかあったのかい?」
「そうなんだ。ここ1か月、キミの店に行けなかっただろう?ちょっとあることがあってね。」
切なそうな表情からその"あること"は良いことではないのだろう、と思っていた。
「実はね。ケイトが最近、クッキー作りにハマっているんだ。」
「へっ?」
思わず、どこから出てきたのかわからないような声がでてしまった。
「きみの、ジェームスの作るレモネードに合うクッキーを作りたいのって、急に言い出してさ。休みの日は最近、クッキー作りの研究でさ。朝からやるのに、ぼくも付き合わされて。それでキミのところに来られなかったんだ。」
病気のことで大事が起きたと思い込んでいたので、まさかの話に拍子抜けしたのが正直なところでしばらく呆然とする。
「それで、ケイトが作ったクッキーも良かったら一緒に売れないかなって。どうもケイトもお店をやりたいらしいんだ。」
思わぬ展開に話が進んでいく。ぼくはその提案を断る理由などなかった。決して、こだわりがないわけでもないし、ケイトが好きだからとかそんなやましい気持ちではないことはお伝えしておきたい。彼女のお店を持ちたいという純粋な気持ちをサポートしたいだけである。なにはともあれ、ケイト自身になにかがあったわけではなかったので安心した。
◇◆◇◆
公園をあとにして、レオの家に向かう。焼き上げたクッキーを持ったケイトが出迎えしてくれた。ちゃんと笑っていて安心した。
3人でケイトのクッキーの試食をする。シンプルなクッキーにチョコチップを入れたり、アーモンドを乗せた3種類。どれも美味しい。なんたって、ケイトが作ったものだ。
でも、ぼくは店主としてしっかり厳選しなければならない。う〜んと頭を悩ませる。
「それぞれ1個ずつ入れて、3個で1ドルにしましょ!」
ケイトの意見に反論などする気もなく、アッサリと決定した。
翌週の日曜日、お店の準備にはもちろんケイトもレオもいた。家のパパたちや、ケイトの両親も来てくれて賑やかな朝。久しぶりにとても晴れやかな気分でお店を開くことができる。
準備を終えて、一息つく。
「がんばりましょうね。」
今日も笑顔が眩しい。眩しすぎる。こんなに側にいられるなんて、あー最高。神さま、ありがとう。などと、考えていると、レオがBluetoothのスピーカーを持ってきた。
お店にBGMもあるといいと思ってさ。ケイトの最近のお気に入りの曲をかけるね。
そこに、1番乗りでキャロラインがドーナツ片手に、やってきた。
「あらっ、クッキーもあるのね。今日は2つずつもらっていくわ。」
流れた曲は、あの日本人の聴かせてくれた彼の曲だった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?