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ある大罪人の独白(前狂言)

永年の中で培われてきた遷移の遺産を、
あるいは人間の愛そのもの、
ある程度、ご都合の主義のものも、
竜舌蘭の名が示す様な真実のやつも、
そこから得る酒も含めてだが、
それらは全て屠殺され、叫び声をあげ、
ラザロの様に腐敗する。
そんな死を上演させる合図となる様な
呪われた錆びた土気色のラッパが目の前にあるとして、
それを吹くか?否か?と問われた時、
俺はその楽器を吹いた。
大変申し訳ないのだが、
この場合、第三者の意見などあまり意味を成さない。
ほとんどの人間は、
そもそも目前で好き勝手に演じられている
詭弁を弄する道化共の芝居に
強制的に絞り緞帳を下ろさせる様な
吊り紐を手渡されていないからだ。
起こるべく事は
蓋然的に天使から手渡されるのではなく、
演繹的に手渡される。
これは俺が後にわかったこの世の真実の一つだが、
少なくとも真相はそうなのだ。
わかってもらえないと思うが、
これは自負でも何でもなく、
「甲虫が貴方の墓石を這ってますよ・・」程度の
[人生の真実の話]に過ぎないのだ。
誰もそんな話をしないのは、
そんな話すら出来ない偽善者共が
この世には多いという事でしかない。
そう、誰の墓石にも甲虫が這うとは限らない。
人間の視点で見れば、
言ってしまえば、そんなものは
単なる偶然というものなのだが、
それでも、墓石に甲虫が這う事もある。
そうなったら、そういう人生だ。選べない。
そんな経験の無い連中が、
理想論と怒りで何を喚いた所で、
それは、この墓の外に出てから
勝手に話していただきたい。
これは、この霊園から出れない
当事者だけの物語なのだから。

当事者・・・。
当事者といえば、まさに俺は当事者だ。
ここを[罪人の霊園]と呼ぶのも構わない。が、
人生というのは、誰もが何らかの形で
[当事者]なのではないか?
そうだろう?結局は、我々は皆[当事者]なのだ!!
認めろ。
それを認めない者に聖書は読めぬ。
我々は自分の日々の日常を密かに埋葬する
[墓堀り人夫]だ!!
誰にも知られずに密葬しているのだ。
自分の人生に土をかけ、
自分にすらわからない様に、象徴的な呪文を唱える。
その冷たく悪臭を放つ土は、
共産主義だろうが、帝国主義だろうが、
民族主義だろうが、身に覚えがある筈だ。
とにかく覆い隠している。自分の魂を。
何が言いたいかというと、
「目の前にそんな靉靆たる色のラッパがあったとしても、
自分なら吹く事はない・・」とほざく者でも、
実際に目の前に現実のそれがあれば、
吹く者も多いという話だ。
誰の人生にも夢と希望と愛が溢れている訳ではないし、
いや、もし、溢れていたとしても、
それでもだろう。
なぜって、多かれ少なかれ、
この世界とは糞ったれだったからだよ。
理性など宗教だ!!
それこそ途方もない宗教だよ。
そして[どんな運命の力が働こうが、
おお!!闇夜に堕ちる事の無い人生]など無いのでは?
色の無い路地に迷い、
そして足元に這っているのは穢れた蛆だ!!
それが俺達のいる世界なのでは?

何はともあれ、私はラッパを吹き鳴らした。
そして誰も聴く事の出来ない様な
美しい旋律を聴いたのだ。
私は、自分の魂の凋落を見た!!
自分の魂の凋落を見る事の出来た人間も
また一握りだろう。
今では、厳格なキリスト教徒でなくても、
多くの者が私を大罪人と呼ぶ。
好きに呼ぶがいい!!
だが、自分の顔を見ろ!!
そこに私がいる!!
お前の中に私がいるのだ!!
それを生涯をかけて必死に隠し通し、
善人の顔をして生きる特権を駆使するがいい。
酔え!!結局の所、私もそうだ。
魂は人生に酔うしかない。
俺達は当事者だからだ!!
死んだ魚を切った事があるか?
罪とは、そんな形をしている。
切った所で誰も咎めない。
なぜならナイフを翳した者も、
その感触を味わった者もお前だけなのだから。
でも、その感触はお前に残る。
我々は自分の人生の唯一の目撃者であり、墓堀りだ!!
そして当事者が何をするか?
まず自分の秘密を隠し、
その後は、他者の劇を笑い、攻撃するのだ!!
お前達は自分の罪を隠し、
他者の罪を漁る十本足の頭足類だな。
せいぜいそれを実行するがいい。
そして、最後に自分の身体を密葬しろ。

しかし、誠に残念な事に、
私は地獄にいる訳ではない。
ただ、死後、ひたすら思考のない思考を繰り返している。
未来が無いから蝕む疾患も無いが、
それでもここは長い思考の回廊だ。
思うに地獄というのは、あってもいいのかもしれないが、
それは望む者に、望む毎に与えられているのだろう。
なぜって、生きていた時に散々思い知った筈だ。
現実がそうだったのでは?
地獄を望む者にとって、そこは地獄なのだ。

ところで、私のいる回廊には、
たまにキリストがやって来て、団欒して帰っていく。
不思議なものだ。
私の様な大罪人と聖者が団欒をしている。
だが、この世界とは、そういうものだったのではないか?
なぜだかはわからないが、
赤子として地上に産まれた時から、
我々は蛆虫の餌食であり、肉の僕であり、
平等に分配され、そして公平に死ぬ。
そもそも、語れる様な者はいないのだ。
この世界というものを。
我々はもっと大きなものに乗っかり、長い旅をしている。
人生は劇だ!!
渡された役をやりきらねばならぬのは辛いが、
終わればその役は終わりだ。
衣装まで用意されているのだ。
私は生前、嫌悪し、純白を求めた者だったかもしれない。
が、そもそもそれが本心だっただろうか?
ははぁ、怪しいものだ!!
人はどんな事でも都合のいい様に信じれるし、
人生は、自分のやりたい己を、
密かに演じているに過ぎないからだ。
本当に怪しいもんだ。
時として、どんな役でも演じざるを得ないのだから。
今だから言う。
私は理想主義者であり、理想主義者では無かった。
唯の泣いている赤子だった。
神を求めて泣き叫ぶ肉だった。
その事は自分でもわかっていたが、
誰もそういった本音を言わないのだから、
当時の私が言う筋合いもあるまい?
生きるという事は、時として何かを叫ばずにはいられない。
その何かは本当は何でも良い。
それを決めたら、ただ叫び、
そしてその魂の望み通り、凋落していくのだ。
おお!!魚や、頭足類を切るのだ!!
その感触を自分で味わいながら!!

さて、諸君、がっかりしただろうか?
大罪人である私が、もっと重い罪を背負い、
地獄の底でユダと共に苦しんでいて欲しかっただろうか?
しかし、本当に?
本当にそんな世界を望んでいるのか?
人生を足掻いて生きた者が、その行いに応じて裁かれ、
死して罪を問い詰められる事が望みだと?
本当にそう思っているのか?
それも怪しいものだな。
我々は当事者なのだから。
私はお前だ!!
引き返せなくなって、魂は泣き叫んでいるが、
笑っているフリをしているお前なのだ!!
そしてお前は世界の事、
青いシャレコウベの笑う冥府の事など知らなくても、
確実に自分の事は知っている。
自分の罪も。その純粋さも。
だから闇を恐れつつも、
結局はその暗闇に架けられた橋を
楽園に焦がれながら生きていくのだろう?
足を踏み出していくのだろう?
人生は全くの暗闇だ!!
先など見えぬ!!

最近、本当の救いとは何かを俺はよく考える。
世界とは本当に上手く出来ているらしい、とも。
存在しない平穏、循環、信仰。
逆らえない力の流れ。
俺達は平等に流されていくのだ。
この流れに乗って、結局は生きるも、死ぬも救いだ。
真相はお前の心の中だけにある。
そして、いつかは救われるだろう。
この回廊で。あるいはさらにその先で。
この大罪人である俺が救われる事が、
お前達にとっての救いなのだ。
わかっている筈だ。当事者よ。
決して認める事はなくても。
今も自分の罪を隠し、地獄の陰に怯えているのだから。
それでも納得できないのなら、それもいい。
そう思って生きればいい。
それでも誰の上にも陽は昇る。
その陽に手をかざせ!!
その強すぎる陽に照らされた手の裏に出来た
濃厚な影を見つめる事が出来るのは、
キリストでも、俺でもない。
他でもないお前だけだ。


スペイン・オペラ楽団「墓の魚」
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