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魔女コルタ・エル・バカラオ(鱈切り)


テーブルの上に、腐った南極イバラガニの死体が置かれている。
コルタは思う。
移民の連中が喰う様な蟹だ。
あの連中は自分達の事を魔女(ブルハ)などとは言わない。
暴力男(コンパドリート)だとか、余所者(グリンゴ)だとか言うのだ。
思うに、彼らは彼らなりの幼さを持って、
かつて、事に挑んだんじゃないだろうか?
そう完璧という訳でもなく、
一から何かを作ろうとしたのかもしれない。
まぁ、どの道、意味は同じだ。
墓地で概念を掘り起こす様な者という意味では、
魔女もヤクザ者も変わらない。
その横には見た事がない種類の
銀色の細長い魚が何匹か散らばっている。
凶悪な面だ。
昔、これもチリのまじない女が
「美味い魚だ」などと言っていたやつではなかったか?
名前を教えてくれた記憶がある。
相当に大昔の話だが。
確か・・・、メルルーサとか言ったか?
自信はない。
「サンディーノ将軍、万歳!!」
誰か、酔っ払いが遠くのテーブルで叫んでいる。
いずれにしても魚は殺害された。
遠い海から運ばれ、息を引き取り、
ここのテーブルの上で今夜、
通夜を執り行っている最中、という訳だ。
「腐敗が始まっている・・」
また、遠くの席で、誰かがすすり泣いた。
メルルーサが本当に、そのチリの女にとって
美味い魚だったかどうかはわからないし、どうでもいい。
何かの隠語で言ったのかもしれないし、
どの道、まともな会話など出来ないのがサバトだ。
皆、ハイになっているか、夢を見ている。
社会主義に憑りつかれ、
明日にでも理想の国の旗を掲げそうな学生共か、
カトリコに毒を盛る勇気も無い為に、
代わりに墓場から掘り返した死体の口に毒草を詰め、
内戦の傷や哀しみを癒している様な狂人ばかりなのだ
(業と呪いを[蛆と蛙の袋]に入れて・・などと、
古い墓石に彫られている歌の様だ!!)、
おまけに言語形式(スラング)もひどい。
アルゼンチンの連中の隠語(ルン・ファンド)など端からわからないが、
そうでなくてもカタルーニャ語とも
ガリシア語とも判別つかない様な抱合語が飛び交う。
そうとも。悪霊の言語というやつだ。
こんな抱合語は誰が考えたんだ?
自分にも知らない魔女達の世界があるに違いない。
カタランの田舎の魔女などにわからない
中央主義の連中の・・。
とは言え、ここでは誰もが余所者だ。
誰もが他者なのだ!!
コルタは葉巻に火を付け、考える。
魔女裁判から逃れた者が行き着く先の事を。
おお、故郷、カタルーニャよ!!
いつの間にか故郷とは遠くなり、
異国のサバトで満身創痍の身体で煙を吐く。
人生とはそんな夢だ!!
さぁ、通夜を執り行おうじゃないか!!
自分の通夜を。
参列者達は全て見知らぬ他人という訳だ。
さて、このテーブルの起源についてコルタは考えてみた。
糞ったれなものばかり集められているのがサバトだが、
この手のやつは毎回見かける。
濃度の濃い黒ずんだ朽木に、
白い粉がまぶしてあるかの様に黴が生えたテーブル
(ムルシアの魔女共の羽織っている黒いボロ布(マントン)に、
よく生えている様な白黴に似ている。
昔、そのマントンの黴毒を強力にして、
ばら撒いた妖術使がいた様な気がする)。
「とは言え、この黒い木材が黒檀という事はないのだ。」
コルタは呟いた。
「何の話だい?」
向かいに座っていた女が笑いながら言う。
同郷という事で、何度か話した事がある程度の仲だが、
この魔女はいつも笑っている。
青年自警団(モッソ・デ・スクワドラ)から、物を盗んで
地元を追い出された様な奴だが、
この女が盗み以外でまともな妖術(まじない)や、
悪行(マレフィカ)をやっているのを見た事がない。
する気もないのではないか?
コルタは言った。
「何の話だって?ニャルコ。
サバトに一流のものが置かれていた試しなんて無いって話さ!!
全てが朽ちているか、欠陥品だ。
ああ、この世には素晴らしいものが
満ち溢れているというのにだよ?
どう会計士と示し合わせたのかは知らんが、
神という奴は、私達には
上等な鱈の切り身ひと切れすら、寄こしちゃくれなかったのさ。
ここにあるのは選択が出来ない限られたものだ!!
ほら、
王様(ラングトン)の様に
ふんぞり返っているあそこにいる道化も、
都会の方で落ちぶれて、
片足を引きずって戻ってきた敗者だ。
限られたもので、我々は満足しなけりゃならない。
だが、それが田舎者という事だ!!」
「そりゃ、お前、
こんなメスティソ魔女の主催する様な集会に来るからさ。」
今度は反対側に座って、サトイモの肉穂花序(エスパディセ)のソテーを
頬張っていた女が口を出してきた。
こいつは確か「泥干潟(ジャヌラ・デ・マレア)」と呼ばれている魔女で、
名前の発音が聞き取りにくい為、
学の無い連中から、
よく「平野のマリア」などと呼ばれている。
「私の田舎じゃ、集会はアケラレと呼ばれていた。
そして、その集会では全てが満たされていた。
信じられるかい?
ユダにすら牛骨の器が与えられ、
罪人の手錠は黄金だった。
悪霊達は勿論、手錠をしている者に王冠を与えたがね。
あらゆるものが、充実していたのだ!!
オロ麦の菓子を皆で食べてさ。
全く、信じられるかね?」
「何処に行っても同じだよ、マリア。
みんな過去を素晴らしいと讃えるんだ。
自分の田舎にだけは、
聖者が埋葬されていたと言うんだから。」
ニャルコが答える。
「マレアだ!!」
すかさずジャヌラは言った。
「それから、ジャじゃなくて、リャと発音するんだ小娘。
いいか?これは重要な事だ。
私は田舎者じゃない。」
「知るもんかいな。」
ニャルコは言い返す。
コルタはそんな争いにうんざりして言う。
「お前さんのスペルがリャだろうが、ジャだろうが、
どうでもいいさ。」
「いいや、だが「鱈切り」よ、
つまり、この問題は・・・」
「問題はこのテーブルが勿論、黒檀ではないという事だ。」
コルタがさらに遮る。
「黒檀どころか、
腐敗した水が滲んで黒ずんだ、ただの朽木だよ。
いつまで私達はこんな墓地で泥塗れになった
シャレコウベと戯れていればいいんだろうね?
そういう事を考えた事は?
もっと上質なものに触れてみるのは?
墓地を歌ったグワヒラばかり読んでないで
例えばゴンゴラとかに触れてみるべきなのでは?」
「そいつは無理だ!!」
ジャヌラとニャルコが口を揃えて答える。
「そんな高尚なもの、私達に触れられる訳ないよ。」
ニャルコが泣きそうな声で言う。
「そもそもわたしゃ、字が書けないんでね」
ジャヌラが言う。
「それだ!!」
コルタは叫んだ。
「まず、それが大きな問題だ。
我々は墓地から出られない。なぜだ?
それは騙されているからだ!!
大きなものに!!
それは例えば権威だ!!
権威に騙されている!!
毎日、我々は言われ続けているのでは?
お前達は墓で朽ちていけ、と。
それじゃ、シェイクスピアだって、戯曲を書けないわな。
墓にはペンがないんだから。
お前達は無能だ、と言われ続け、それを信じる。
それが至る所で繰り返されている訳だ!!
そして、権威は才能を殺す為に存在している。」
ジャヌラが悲し気に答えた。
「しかし、その才能が
一体、何処にあるのかが問題だ。
南極まで探しに行かねばならないかね?」
それを聞いてニャルコがゲラゲラ笑った。
コルタが言い返す。
「才能は何処にあるかだって?
才能は至る所にあるさ!!
この日常の中に!!
朝起きた寝室の中や、夕食の皿の上にも、
この食べかけの肉穂花序(エスパディセ)の中にだってあるんだ。
問題はそんな事ではない!!
お前の識字なんて問題じゃないね。ジャヌラ。
詩とは、その口から自然に溢れ出るそれだ。」

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「では、私でも詩が書けると言うのかい?
臓物がジルベール病に侵されちまっている
こんな死人みたいな女でも?」
ジャヌラが言う。
そう言われても、コルタは全く
この女に同情しない。
魔女に同情など不要だ。
魔女に必要なのは真実だけだ。
冷たい真実のみが魔女を癒すのだ。
「勿論だ。
詩は全てだ!!
この世界の全てが詩なのだ。
そこに、慰めや、拍手などいらんのだよ。
勘違いされている事だが、悪臭や、裏切り、汚れ、
その全てが詩人の主題なのだ。
惨めで悲惨な苦悩こそが
最も偉大な芸術じゃないか。」
すると、テーブルの下の泥濘に転がっていた
灰色の頭蓋骨が喋り出した。
「でも、朝にはコントラ共がやって来るのです。」
すると、すかさずジャヌラも言う。
「私も納屋にニワトリ達を集めて入れないといけない。
毎日さ・・・」
「そういう事じゃない!!」
コルタはうんざりだというジェスチャーで答える。
「私が言いたいのは、
そういう日常の中で詩は生まれるという事だ。
死の瞬間でも、
ゴミ捨て場で寝た夜にもだ!!」
それに答える様に、
テーブルの上の魚(メルルーサ)が呟いた。
「貧困が・・・」
コルタは腐った魚を遠くに放り投げた。
「貧困のせいにするな!!
いいか?
我々は、生きて、同時に死んでいる。
それだけで、それが詩なのだ。
だが、権威は!!
権威はそれを咎める。
詩を教会の聖堂に連れ去り、
気取った棺桶に入れ、
神聖なものだと言う。
それは血族が己の血を引いた者だけを
愚かしく愛する様に、
蓋を開けてみれば
錆びた釘と、破傷風に侵された腐肉だったとしても
隠し通すのだ。
そして、奴らは我々に墓地にいろ!!と命令するじゃないか。
いつまでも蛆と蛙と戯れて、
古めかしい死んだ呪文の中で死ね、とね。
なぜなら、我々は、奴らの大事にする
血統や、流派や、
ああ!!絆から!!
追放された者だからだよ。
だが、本当は全て野に放たれているものなのだ!!
真実は、政府も、雑誌も、巨匠も、
誰も掌握などしていない!!
野に放たれたままなんだよ!!」
「なんて事だ・・・」
ニャルコが言った。
「そうだ。なんて事だ、だ。」
コルタはますます力を込めて、
苦悩している様相を見せた。
そこに女を老いさせているものがあった。
飄々と生きた悪党の心臓に、
真に突き刺さった本物の傷が!!
手遅れな程に化膿し、
例え、湿地で死蝋となろうと残り続ける創痍が!!
「我々は騙されて、ここにいるのだ!!
女は世界に騙され、
軍人は勲章に騙され、
詩人は評価に騙され、
貧民は劣等感に騙されるのだ。
お前達も、批評するばかりで、
いつもおどおどして右往左往していて、
全く何も生み出していないじゃないか!!
全てを封じられてしまっているのさ。
闘う牙も!!
希望すら!!
ああ!!貧民とは、
そして女とは、そういうものだ!!
そうだ!!
今、ここで詩を書いてみろ!!
思いついたぞ!!
最高の詩を書くのだ。
普通のやつじゃ駄目さ。
とびっきりのやつを書いてくれ!!
後生だから。
ゴンゴラやボードレール共の詩を
遥かに凌駕するやつを
今、ここで書くんだ!!
さぁ!!」
コルタはそう言って、懐から
肉屋が骸を包む為の紙きれを取り出し、
テーブルに突き出した。
まだ肉の匂いが付いている紙に
サバトをうろつく数匹の犬蠅が集まって来て、
その紙きれに止まり、
その香りを賛美する歌を歌い始めた。

ああ、なんと愛おしい
ああ、なんと甘美な
私達は腐肉のナショナリスト党
躯の中に住まう政治家
清浄を嫌い、
古きものを好む
そして私は肉の内に、
我が救い主たる腐汁を見るであろう
気高い思想も
潔癖な理想も
やがて死に、腐敗するさ
それこそ我らの大好物
天を仰ぐ鳥より、
地に落ちた負け犬と友達になろう
あなた、
どうせ、私達は蠅なんだから
高潔な事を言っても駄目ですよ

ニャルコは笑って言った。
「何を言うんだ。鱈切り。
私にそんな詩が書ける訳が無いじゃないか。
いいかい?
私は日々トウモロコシの粉しか食えない様な
三下の盗人(エスピアンテ)だし、
魚の記憶を持つ女といえば私の事だ。」
「全くだ。
イカれてる。」
ニャルコとジャヌラは口々に呟いた。
コルタは言った。
「まさに、その思想が癌なのだ。
おまけにとびっきりの強力なやつだ。
君、自尊心の低さというやつは、
どんな魔女にも覆せない呪いだよ。
それが、かの恐ろしい権威の呪法というやつじゃないか。
世界中がそれで枯渇してしまったのだ。
いいか?
それであらゆるものが死んだんだぞ?」
コルタの剣幕に、
いつの間にか、他の席で酒を飲んでいた
連中もテーブルに集まってきている。
ニャルコは言う。
「鱈切り、
あらゆる素晴らしい栄光は、
私の口から生まれる事はないのだよ。
そう・・。
私の生活にあるのは無知だ。
無知と・・そして恥辱だ。
心臓の恥辱。
そして限りなくリアルな死!!
それだけが貧困の友なのだ」
「詩か・・・」
「詩はもう死んだんだよ。お若いの。」
外野が口々に声をかける。
「サンディーノ将軍、万歳!!」
また遠くの席から掛け声が聞こえた。
「サンディーノは死んだ!!」
微かにガラスの割れる音がして、
その後、嗚咽が聞こえた。
気づくと、皆、集会の者達は、
しんと静まり返ってコルタ達に注目していた。
そんな中、コルタは淡々と続ける。
「いいや、お前達は最高の詩を書けるさ!!
今、この場で。
騙されたと思って書いてみるがいい。
お前は、世界でまたとない名作を今、
ここで書く事になるのだ!!」
「いい加減にしてくれ!!
私にはそんな大作は書けない!!
そんな、大それた事は・・・」
ジャヌラが叫んだ。
ところがニャルコは言った。
「面白い。
よし!!
なら書いてみようじゃないの!!
書けばいい・・というのなら。
だって、ここに紙とペンがあるんだもんな。
簡単な事だよ。
自由な鳥を捕まえて、
鳥小屋に戻すのは大変な事だが、
鳥小屋の鳥を逃がす事なら容易い事だ。
書いてやるさ!!」
そうしてニャルコは乱雑に
紙にDという文字を綴った。
「これが私の詩さ!!
誰が何と言おうと、これでおしまい。
文句があるなら、神に食わせればいい!!」
そうして、魔女ニャルコ・ピラールは大笑いした。
ところが、コルタは
そのDの文字だけが書かれた紙を見て、
満足そうに言った。
「そうだ!!
今、ここに世界最高の名作が誕生したぞ!!」
それを聞いていた群集は口々に笑って言った。
「そのたった一文字が最高の名作なのかい?」
「ゴンゴラを超えた詩だというのかい?」
「全く傑作じゃないか!!」
すると、コルタは言った。
「では、このDという文字を批評出来る者はいるのかしら?
この文字は、あらゆる詩の始まりであり、
あらゆる偉大な詩人達が、
このアルファベットから詩を書き始めるのに?
このDという文字が持っているあらゆる作品の可能性が
お前達には見えないのかね?
さぁさぁ、
Dに続く文字を批評する事は出来ても、
Dという文字を否定する事は誰にも出来ないのだ。
この文字に続くあらゆる可能性が
この詩には含まれているのだよ。」
大衆は静まり返った。
もはや、誰も口を開かなかった。
その一文字を否定する言葉を誰も知らなかったからだ。
だが、やがて誰かが言った。
「だが、それを書いた者に権威はあるかね?
権威がなければ、我々はその詩が素晴らしいものかどうか、
皆目見当がつかないじゃないか・・・」
コルタは言った。
「そうだね。
だが、彼女は素晴らしいDの造詣を持っていると、
誰かが言っていたさ。
きっとね。」
すると、人々は口々に詩を讃え、
その詩について語り始めた。
やがてばつが悪そうに、恥じらいながら、
少しずつその場を離れて、散り散りになっていった。
そして、次の話題が生まれ、
自分達の無知が通り過ぎて忘れ去られるのを待った。
ジャヌラが言った。
「私には・・・
そのう、その詩の意味がさっぱりわからんがね。」
ニャルコも頷いた。
「しかし、私ってば、
今ここで、とんでもない偉大な詩を
作ってしまったという事かい?
私はずっと、自分は
ニャルコ・ピラールだと思っていたんだが、
そうではなくて、実は天才だったという事かい?」
コルタは言った。
「さぁね?
それは神様にしかわからないし、
私もこの詩の事はさっぱりわからないがね。」
「なんだって!?」
二人は驚いて言った。
そんな二人を前に、コルタは飄々と続けて言った。
「ただ、権威っていうのは、
こうやって作るんだっていうのはわかるよね。」



スペイン・オペラ楽団「墓の魚」
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