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あのたび -10カ国目のブルネイ-

 2003年から2004年への年越しは東マレーシア・コタキナバル(KOTA KINABALU)のバックパッカーズロッジで過ごした。朝食フリーが嬉しく、パン4枚+バナナ+サラダをいただいた。ホテルではビュッフェ形式の朝食というのがあるが、アジアの安宿でこれは珍しい。ロビーには旅行者が置いていった本も多く、雰囲気とインテリアも良い。ずっと移動を繰り返してきたが、ここで年末年始はのんびりすることにした。

 大晦日夜には、NEW YEAR DINNERという特別な夕食をもいただいた。もてなしが好きなオーナーらしい。

 中島敦『李陵・山月記』遠藤周作『世界紀行』開高健など読む。久しぶりの日本語は良い。次の国、ブルネイに入国のため両替をする。112.25RM⇒50B$(≒3400円)。元日の夜は、屋台でイカやナスなど炒めたもの3RM。

 翌2日、高原地テノム(TENOM)を目指す。バスが良くわからず鉄道駅まで行く。歩いたら遠くて疲れた。午前9時50分発ベンフォート(BENFORT)行4.8RM。昼はその辺の店でアヤム(鳥)+ティ4.8RM。高い! そこから乗り換えて午後15時55分発テノム行2.8RM。鉄道から見る景色は緑の森で良いが長く乗っていると飽きる。鳥が多い。

 雨天のため遅れて、テノムには真っ暗になった夜8時半着。どこも宿は高く、安宿でばかり泊まってきたボクには数千円はとても払えない。屋根のあるベンチで野宿しようとするとポリスの職務質問に遭う。

「何をしているんだ、こんなところで寝るんじゃない」といったニュアンスのことを警告された。一応わかったといいパスポートを見せた。夕食に煮た麺3RMを食べ、一旦その場を離れてまたしばらくして結局そのベンチで寝て朝まで待った。東南アジアとはいえ、高原は少し寒かった。

 物価が高い所には長くは居られない。テノムには特に見るものはなくそそくさと去る。ベンフォートへ戻るが帰りはなぜか8.4RMもとられる。そこからエアコンバスでラワス(LAWAS)へ12RM。

 宿はこの町も40RM(≒1300円)~が多く高い。東マレーシアはコタキナバル以外、それほど旅行者が多くなく宿が高いイメージでつらい。ぼろそうでやすそうな所で泊めてもらえないかと頼むが断られる。野宿が続くのも無理なので30RMの宿に泊まることに。高いからといって設備がよいわけでもない。コタキナバルのバックパッカーズロッジがいかに快適だったことか。

 夜ウビ3個1RM。ウビはふかし芋みたいな食べ物。

 翌朝、ラワス町中から歩いて北の桟橋へ。25RMのフェリーで10カ国目ブルネイのムアラ(MUARA)に入国。ブルネイは東マレーシアの真ん中にちょこんとある小さな国。イタリアにあるバチカンみたいなものだ。

 面積は小さいが海底油田のため発展しており世界有数の超お金持ち国家で王様が統治しているということだ。税金は無く、医療や教育は無料。道はきれいに舗装されておりゴミは落ちてない。建物も整然としている。

 港のムアラから首都のバンダルスリブガワン(BSB)へバスで2B$。安宿は唯一のユースホステル・プサブリア(Pusat Beria)しかない。訪ねてみるが、管理人がいない。仕方なく外で昼食ナシタギンサユール(海鮮おかゆ風?)1B$を食べて時間をつぶす。食事はほぼマレーシアと同じようである。

 戻ると、3泊分前払いだと言われ、30B$(≒2130円)支払う。一部屋に2段ベッドが2つあるようなドミトリーだ。ブルネイ観光の日本語パンフレットをもらう。意外と日本人旅行者が泊まりに来ることが多いようだ。というかここ以外は超高級ホテルなので、バックパッカーはここに泊まるしか選択肢がないからだ。

 久しぶりに手洗いで洗濯したら、赤いGパンが色落ちして、白いTシャツがピンクになってしまった。

ブルネイルート

(つづく)


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