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あのたび -上海浦江飯店-

 上海の港へ着いたものの、宿はどうするのか? ご飯はどうするのか? 乗り物にはどうやって乗るのか? 旅初心者にはわからないことだらけだ。心の中では強気で全部一人で解決したいという思いがあったがさすがに無理がある。船で一緒になった男の子2人(ボクより若い)と、とりあえず浦江飯店(プージャンハンテン)というホテルを目指すことにした。

 この頃はバックパッカーという個人旅行者が多く、欧米人がでっかい荷物をかついで世界各地を旅行している姿をよく見かけた。だから旅行者が行くような街にはだいたい安宿が何軒かあった。中国ではホテルのことを飯店とか酒店と書く。中国語は話せないが日本人は漢字が読めるのでホテルを探すのにあまり苦労はしない。ただ飯店や酒店と書かれているとご飯屋さんか飲み屋かと勘違いしてしまうので、いくつかの単語は意味を覚えておかないといけない。例えば床屋というのは女性と夜を過ごす風俗店だというのだから困ってしまう。

 目的地の浦江飯店は港から歩いていける距離にあった。船を降りたバックパッカーがまず目指す場所として有名であった。しかし外観を見るとヨーロッパ風の6階建てコロニアル風ホテルなので、めちゃくちゃ宿泊代が高いのではないかと気が引けてしまう。1人だったら重そうなホテルの入口の扉を押すことができなかっただろう。入ったロビーにはどでかいシャンデリアが天井から吊られており貴族が泊まるような雰囲気だ。100年以上前のイギリス植民地時代に建てられたもので歴史に名を残す人物が泊まったこともあるホテルだという。

 その5階か6階部分をバックパッカー向けのドミトリーとして提供していた。ドミトリーという言葉もボクには目新しくなじみがなかった。大部屋にベッドをたくさん並べて大人数用として開放し、1泊数ドル~10ドルくらいで泊まらせてくれるというものだ。安全と値段を天秤にかけることになるがアジアの安宿ではドミトリーが一般的だった。さらに狭い部屋に2段ベッドを何個も置いてあるという宿もあった。シャワーやトイレは共同で食事はつかない。とにかく宿代は安く済ませて長く旅を続けたいという人にはちょうどいい。

  浦江飯店は、ドミトリー1泊55元。この頃2003年のレートは1元≒15円、1ドル≒125円。だいたい一泊850円くらい。そうやってだいたいの相場を学びながら各地を旅することになる。
 大部屋はみんなが好き勝手な時間に出入りするので扉は開けっ放しで鍵はなかったりもする。すると盗難が怖い。だいたい同部屋で泊まるのは気のいい旅行者が多く、観光情報や食事事情、交通機関など教えてもらったりして助け合ったりできる。出会いが楽しかったりもする。
 ただし宿によっては、何年ここに住み着いているのだろうというヌシが居座っていたりする。もちろん働いてもいない。大部屋をみんなが外出していったあとこっそりとお金を抜かれるかもなんて疑ったりもする。だったらフロントに預ければよいと言うのだが、安すぎる宿はそのフロントが信用できない。安すぎる宿には理由があるのだ。日本では考えられないようなことが起こる。どれだけ日本が治安が良いかというのを再認識した。

 浦江飯店の大部屋に大柄の白人が泊まっていたのだがその男が信じられないくらいいびきがうるさい。眠れない。同部屋の他の外国人もいらだっている、英語は通じないがこいつなんとかしろよというジェスチャーをしている。いびき男のベッド脇のテーブルにはお札やコインが乱雑に散らばっていて、お金にも無頓着らしい。初めての旅行でびくびくしているボクとは対照的におおざっぱな性格なのであろう。

 あまりにもうるさかったので1日で浦江飯店を出て、港からもう少し歩いて街の中心部にある新しくできたという船長酒店に宿を変えることにした。こちらは新しくできたばかりで多少値段は高かったがキレイで快適だった。ここを拠点に何日か過ごし近くの観光地を周ることにした。
 このころの上海はまだきれいな大都市を目指している途中で、建築途中の建物がそこここにあり道は埃っぽく、少し裏を行けば古い住宅街がある。そんな街だった。

中国ルート

(つづく)


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