学校法人ガバナンス改革の動向と考察③

 本記事は、次の2つの記事の続編であり、最後の記事である。①において、私立学校法を参照しつつ、現在の学校法人のガバナンスの在り方を整理した。そして②において、学校法人ガバナンス改革会議が、学校法人のガバナンスをどのように改革しようとしたのかを整理するとともに、学校法人関係者がこの報告書の何に反対したのかを見てきた。

 本記事では、私学関係者の反対を受け、2022年1月に、大学設置・学校法人審議会学校法人分科会に設置された「学校法人制度改革特別委員会」(以下、特別委員会と呼ぶ。)が、同年3月に取りまとめた「学校法人制度改革の具体的方策について」(以下、具体的方策と呼ぶ。)と、同年5月に、文部科学省が、発表した「私立学校法改正法案骨子」(以下、骨子と呼ぶ。)を確認し、どう私立学校法は改正されるかを整理する。そのうえで、最後に、私の意見を述べる。

学校法人制度改革特別委員会のスタンス 

学校法人の機関設計の在り方については、特別委員会の前身の諸会議における検討成果を踏まえ、「執行と監視・監督の役割の明確化・分離」という改革理念を継承しつつ、各機関の「建設的な協働とけん制関係の確立」によって、学校法人における円滑な業務執行、設置する私立学校を取り巻く幅広いステークホルダーの意見の反映、法令や社会的規範から逸脱した業務執行の防止・是正を目指していくことで、特別委員会の意見は一致を見た。

 これが特別委員会の1つ目のスタンスである。まず言いたいことは、前身の諸会議が目指した「役割の明確化と分離」を継承して「協働とけん制の確立」を目指すとあるが、これは明らかに矛盾しているということである(よくこんな意味の通らない文章を書けるものだ)。前身は分業せよと言っているのに対して、後者は、協働とけん制をせよと言っているのだから、継承など明らかにしていない。

学校法人の機関設計に際しては、このような「学校法人の業務と校務との相対的分離構造」において経営と教学の協調を図りながら、運営基盤の強化、教育の質の向上、運営の透明性の向上という責務(私立学校法第24条)を果たす独自性が考慮されるべきである。

 これが、特別委員会の2つ目のスタンスである。ここでは、経営と教学は別物であり、所謂、法人運営機関(理事会、評議員会)は、学校運営に、過度に口出しをすべきではないと言っている(「教学自治」の理念の確認)。これが含意することは、「学長」を選ぶ権限は、各学校にあり、理事会ましてや評議員会にはないということだろうか。しかし、そもそも、教学はなぜ経営から独立できるのだろうか。商品開発が経営から独立した会社を想像できるだろうか。

こうした観点からすると、現状において問題ないとしても、私学のガバナンス改革が不必要であるとは言えない。

 これが、特別委員会の3つ目のスタンスである。この箇所を読んだとき、開いた口が塞がらなかった。というより、何が言いたいのか理解できなかった。今でもよくわからないが、おそらく、現在の学校法人のガバナンスは上手く機能しており、特段問題ないが、前身の諸会議が、改革すべしという以上、それを無視するこも出来ないと言いたいのだろう。学校法人の不祥事の数々はどこにいったのだろうか。

 この特別委員会のメンツを見れば、このようなスタンスなのも納得ができる。そもそもこの特別委員会は、前身の諸会議において、私学関係者の意見が聴取されていないと私学関係者が騒いだことに端を発している。だから、そのメンツの多くは、「私立学校団体代表者」であり、理事長や学長・校長である。当然、彼ら「経営者」は、自身を縛る制度(評議員会の機能強化等)は、最小限のものを望む。だから、この具体的方策は、「現状を維持したい」という関係者の思いが、にじみ出ている。

私学法改正法案の要点

 この具体的方策は建前上は、これまでの諸会議を継承していることとなっているため、骨子も、この具体的方策に沿ったものとなっている。では、骨子では何が提起されたのだろうか。当初の改革案の何は残り、何は遺棄されたのだろうか。最初に確認しておくが、この骨子の要旨を一言で述べることは容易ではない。なぜなら、当初の改革案を希釈することが狙いである以上、そこには一貫したガバナンスに対する「理想像」が欠如しているからだ(一応、「建設的な協働とけん制」が理想として掲げられてはいるが)。

 当初の改革案が、そのまま受け入れられたもののうち、重要な事項は、「理事と評議員の兼職を禁止」したことと「監事の選任・解任権を評議員会に認めた」ことであり、そのほかの重要な事項は全て留保が付いたとみて良い。いくつか列挙しよう。

  • 評議員の選任と解任は、改革案では評議員会に認めていたが、骨子では、原則、評議員会としつつ、理事・理事会により選任する枠を残した。

  • 理事の選任・解任は、改革案では評議員会に認めていたが、骨子では、「評議員会その他の機関を寄附行為で定めること」とするとなり、留保がついた。また、解任については、客観的な解任事由なしには出来ないこととされた。

  • 改悪案では、評議員・評議員会を最高監督・議決機関としていたが、そこへの明確な言及はなく、明らかに諮問機関よりは格上げされたが、その位置づけは不明瞭なものとなった。

  • 改悪案では、評議員と職員との兼任も禁止されていたが、骨子では、兼任が認められる代わりに、枠の上限設定がなされることとなった。

学外者の拒絶姿勢

 評議員と理事の兼任は禁止されたが、評議員の職員との兼任は認められたこと、また、「評議員は、学校の教育研究への理解や法人運営への識見を有する者とする」と規定されたことからも分かるとおり、学外者から学校法人運営に関して口出しされることを大いに嫌がったことがここから見て取れる。

 逆に言えば、評議員の権限が強まろうが、顔見知りがその地位に就くのであれば、問題ないというスタンスを見て取れることが出来る。社会性・公共性からほど遠く、ガバナンスの基本思想からもほど遠いと言わざるを得ない。もちろん、骨子にはその他、様々な論点が盛り込まれているが、ざっとまとめると骨子の内容はこの通りである。

私の意見

 ここまでの議論の整理の仕方からも分かる通り、私は、少なくとも、私立学校法改正案には反対であり、当初の改革案に賛成である。最後に、私の意見を述べて、学校法人ガバナンス改革の動向と考察①~③を締めくくるとしたい。

 理想のガバナンスとは何か。この問いへの答えとして私は次の2点を想定する。

  1. 「組織が発展するため(教育理念を達成するため)」のガバナンス体制

  2. 「法令違反をしないため」のガバナンス体制

 少子化が進行する中で、学生・生徒・幼児・児童を確保できなくなり、1を達成できない学校は増加するだろう。そして、そうなると、一か八かの博打を打ち、失敗し、その過程や結果、不正に手を染め2を達成出来ない法人は、少なからず現れるだろう。その意味で、1を確立することが、最重要課題であると私は認識している(もちろん、日大問題含めて1に関係なく、法令違反をする法人があることも忘れてはならないが)。

 私は以前、理事者が不正を働き、法人自体が民事再生に入ったことにより、売りに出された高等学校の支援、再建を担当したことがある。潰れた直接の原因は理事の不正であるが、「社会から遊離し、社会から求められている教育を生徒に提供していなかったこと」が、民事再生に至った大きな原因であり、そのような状態に陥った原因の1つは、「高等学校の管理職を教職員の選挙により選定していたこと」にあると考えている。

 教職員の選挙で選ばれた管理職は、選んでくれた教職員のために意思決定をし、それは「あるべき教育、生徒のための教育」とは往々にして食い違う。教師にとっての面倒ごとは増やしたくないし、雇用を奪うような意思決定は当然出来ない。ベビーブーム時代は、それでも通用しただろうが、少子化で、需要と供給のバランスが崩れると、生徒は入学して来ない。おそらく、この事例は、私が再建に携わった学校に限った話ではないだろう。

 だから、私は、理事長や学長、学校長の執行権(≒リーダーシップ)が発揮できる体制としつつ、そこに適材が就くように(就いていなければ解任できるように)、選任・解任権は、理事会から独立した機関それも、身内を含まない機関に委託すべきであると考えている。もしそこに、身内(=職員)を含むのであれば、それは「教職員のためのリーダー」に成り下がってしまう。

 極論すれば、評議員会の役割は、「学長、校長を含む理事の選任・解任」だけで良いかもしれない。私は、以前、学校法人の100%出資会社の設立に携わり、2年ほど、取締役会と株主総会の運営と議事録作成などを行っていた。登記業務において、司法書士から教えを乞うことも多かったのだが、「株主は会社の所有者ではあるが、経営自体は、取締役に一任していることを忘れるな(だから、これは取締役会のみの議決でよい)」と何度か言われたことは、記憶に残っている(所有と経営の分離)。株主総会で議決したことと言えば、役員の選任と役員報酬の総額の決定と、計算書類の承認くらいではなかったか。

 今回の法改正の方向性としては、「協働とけん制」が合言葉であるが、以上から、私は「執行(理事会)と監視・監督(評議員会・監事)の役割の明確化・分離」の方が、正しいあり方のように思う。なぜなら、(理事会と評議員会が)協働するということは、リーダーシップが発揮しにくいことを意味するし、それでは改革は遅々として進まないからだ。船が正しい航路を正しいスピードで進んでいるかジャッジする者は船長の他に必要である。ただし、一緒に操舵する必要はない。

 今回は学校法人のガバナンス改革について述べてきた。大学ではなく、それを設置する学校法人についての文章のため、タイトルを大学論とはしなかった。おそらく本記事の需要もそこまでないだろう。しかし、学長が、誰からの信任により、誰がなるかは大学にとって、非常に重要な論点であり、今後の私立大学に大きな影響を与えるため、記事にすることとした。皆さん(特に私学関係者)の忌憚のないご意見・批判を賜りたい。


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