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深煎りネルドリップの話

 先日、4、5年ぶりに東京に行った。『ペソア伝』出版に伴いその著者の対談が、下北沢で行われるということで(ネットでも視聴可能であったが)せっかくなので足を運んだ(ちなみに近々大阪にも来る「テート美術館展」も観に行った)。私は、大学受験で東京に行った際、そのあまりの人の多さに辟易し「こんなところには絶対に住まない」と心に誓った。その選択は決して間違っていなかった、と渋谷の街を歩きながら思った。

 「何を食べるか、何の本を読むか、何を飲むか、何の服を着るか、何の映画を観るか、限りない選択肢の中から、他人とは違う自分らしいものを選び取る。日常の行為そのものが、私という人間像を創っている。」東京の街を歩くたび、いつも思うことは、煎じ詰めればこういうことだ。人が多いからだろう。人が多すぎるからだろう。逆に言うと、関西にいてもそのようには考えない。私が関西に腰を据えている理由は、私が本質的にOYKOT的な人間だからだろう。

 とはいえ、郷に入っては、郷に従え、1泊2日出来得る限り選び取ることに専念した。もちろん、東京に居所を持ち合わせていない人間が、選ばずにやり過ごすことは不可能であるが。私が選択したもの、その一つは「深煎りネルドリップ」である。流石は選択の街、東京。サードウェーブコーヒーに負けず、頑固一徹「深煎りネルドリップ」を続けているお店が、まだまだある。今回は、そのうち「TIES」「FACON」「十一房珈琲店」に行ってきた。

 もったりした舌ざわりと、喉を通った後に一気に広がるコーヒーの香り。ペーパードリップやサイフォンなどでは決して出せない味わい。「TIES」の静かな薄暗い店内で、カウンターに座りながら、思わず顔が綻びニヤニヤしてしまう(気持ち悪い)。暑さの残る9月の下旬、東京の街中を人を掻き分け、掻き分け歩いたことで、こんなところ(TOKYO)まで来たことに後悔しかけていた。そんなネガティブな思いは、一口、口にした瞬間、吹き飛んでしまった。「これ、これ。私が選んだものは、これだ。」

 私が「深煎りネルドリップ」を知ったのは、20歳の頃である。当時、烏丸御池にあるインターネットの会社でアルバイトをしていた。そのすぐ近くに「さんさか」という深煎りネルドリップのお店があり、当時は、ネルドリップの存在も知らずに、ふらりと入店した。そこで、タンザニアの深煎りネルドリップを飲み、「こんな美味しい珈琲が存在するのか」と驚愕し、ぞっこん惚れ込み、足繁く通った。

 そのうち、店長とも話すようになり、東京や大阪のネルドリップの美味しいお店を教えてもらった。今回行った3店舗も彼から教えてもらったお店だ(ちなみに、その中でも、私が好きなお店は「TIES」(東京)と「星霜珈琲店」(大阪)だ)。また、通い詰めて3年ほど経った頃、淹れ方を指導してくれた。それ以来、家では、基本的に、ネルドリップで珈琲を淹れている。店長は、別のことにチャレンジするため店を畳んでしまったが、「さんさか」は、私にとって、今でも特別な存在であり、「深煎りネルドリップ」は、私の生活から切り離すことができなくなってしまった。

 いつか京都で、出来れば左京区で、出来れば鴨川の傍で、時が止まったような「深煎りネルドリップ」のお店を開きたい。あるいは、ポルトガルに移住し、リスボンでペソアの影を探したい。そんな思いに憑りつかれた1泊2日の東京旅行であった(最近、大学の話を書いておらず、ただのブログに堕しつつある。そろそろ本線に戻したい)。

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