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多次元の話 その2(目の前にある多次元)

「その1」で多次元という思想が、「時間」だけでなく「感覚」も
そうではないのか?という話を書きましたが、そうなると
実は目の前にあるものは既に多次元を生み出しているのでは
ないのか?という話になります。

「その1」でピカソなどが目指した絵画での多次元化ですが、
実はそもそも「時間」という内容だけ見ても例えば本は
多次元の要素を持っている事になります。

本は開かずにおいてあるだけなら、それは3次元に存在
している本です。しかし、それを人が手に取り、一枚一枚
めくり、そこに在る文字や写真、絵を目にすることで、
その本は人に感動や、体験、想像を与えます。

これは言い換えると、本という3次元のものを時間的に
分解していくことで、そこに元々ある4次元以上の情報を
人に与えている事になります。

映画もそうです。フイルムの状態では、それはただの物体です。
しかし、それを3次元の人間が認識できるように時間的に分解
していくことで、物語が生まれ、それを人が見て、聴いて、
新たな発見や感動を生むのです。

これはつまり、本やフイルムは元々多次元的な情報を
持っていた(内在している)という事になります。
しかし、人の脳は3次元で空間認識するのが基本構造に
なっているため閉じたままの多次元的な本は、そのまま
では人は内容を理解できないために、時間で”うすめて”
3次元まで次元を下げることで、認識できるようになり、
そしてそれを取り込んだ人の内部で再度多次元化されて
いるといえます。

つまり、私達が芸術と呼んでいるようなもののみならず
インターネットなども、人が見た時は3次元にモノとして
実在しますが、そのおおもとはすでに多次元であり、尚且つ
人はそれと3次元という限定された世界の中で接触するとこで、
それを食し、食された内容が人の中で再度多次元化(感動など
の別の次元の感覚を生む)されるという事です。

再度いいますが、
つまり私達は、すでに多次元の世界にいるということです。

さて、そうするとこの「多次元」というキーワードに
付随するように、同時によく使われるのが「次元上昇」や
「解脱」といった宗教用語です。

または、ここまで読んでいただき、本を読んだ時の
人が受け取るものを「多次元」と言うのは分かるけれど、
それと宗教やスピリチュアルで言われるような
「ハイヤーセルフ」的な「多次元」は異なるのではないかと
思った方もいるかと思います。

ですが、実はこれは同じ話です。
それについては、その3に書きたいと思います。

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