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夢を見る人と見ない人の違い

『”夢を見る人”と”見ない人”の違いは
 ”外的世界”と”内的世界”のエネルギー
 の配分の結果だと思います。

 外的にエネルギーを充分に使っている人は、
 内的な夢を見るためのエネルギーが不足する。
 (その為に見ない)

 逆に
 内的な夢を見ることにエネルギーを使っている人は、
 外的に活動するエネルギーが少ない状況なのだと思います。』


よく「わたし夢を見ないんですけど」
という事を言われます。

ユングの話では、人は基本的に夢を”常”に見ているそうです。

ではなぜいつも夢を見ないかと言うと、
意識のレベルが高いから夢の内容が浮かんでこない
と考えられています。

”意識のレベル”というのは
通常「目が覚めている状態」が「意識のレベルが高い」状態で、
それはまるで、湖に十分に水が溜まっていて、
湖の中が見えない状態です。

逆に「意識のレベルが低い」というのは、
通常の寝ている状態で、

例えば、
湖の水が下がっていき、いつもなら見えてきていない
岩や水の中の生き物が見えるところまで現れてくる
ことです。

この考えに沿うと、
「意識のレベルが下がれば夢は見る」
というのは当たり前なのですが。。。

「私、夢を見ないんです」
という冒頭の声です。

これに対して、河合隼雄さんの著書「影の現象学」
などヒントに読み解いてみました。

「まず、人は、外的世界と内的世界を、生きています。

これを簡単に表現すると、
外的世界=外の会社などでの生活
内的世界=家などの家族との生活
です。

そして一人の人間が使えるエネルギーは
外的世界+内的世界=一定
です。

外で頑張って、さらに家の中でも頑張るってのは
ちょっとの間はできますが、ずっとはできません。

過剰に頑張れば、身体を壊すとか
どちらかがうまく回らなくなったりとか、
無理がでてきます。

それは、心の問題と外的な現実の問題も一緒で、

心に問題がないなら
人は外的な現実に全力で自分を使えます。

先ほどのたとえで言うなら、
家族の中になにも問題が無いなら
仕事に全力投球できる。
という感じです。

しかし、家の中で問題が起こっていると
なかなか仕事に集中できなかったりします。

それでも、家の中も問題が些細なものでしたら、
気持ちを切り替えて仕事をできますが、

家の中で上がった問題が
大問題であった場合、仕事中も頭の中では
家の事を考えていたり・・・

その状態は仕事中も家の中の問題にエネルギーが
使用されていると考えられます。

だから仕事は、はかどらないのです。

され、これを心の問題と現実社会での生活全般に
置き換えると、、、

心の問題が無い場合は
現実社会を普通に送れます。

しかし、心の問題があり、さらに大きくなってくると、
現実社会での活動がおろそかになってきたり、
失敗が増えたりします。

それは、
内的な問題にエネルギーが取られて
外的なエネルギーの不足している
状態です。

そんな時、夢を見ます。

または、
そもそも内向的な性格で
自己の内的なものに興味がある。

つまり外的な活動が弱くなっても
内的なものにエネルギーを割く気がある。興味がある。

そんな時に、夢をみます。

ですので
仕事や生活が充実していたり、
そちらにエネルギーを充分割いている時には
夢を見るエネルギーが不足しているので、
夢を見ないのです。

つまり、もし外的に充実した生活を送れている方が、
どこかを旅するかのように内的な夢を見ようと
努力することはあまりお勧めしません。
(する必要もありませんし、おそらく見られません)

せっかく外的世界で使えているエネルギーを、
外的には何も意味のない内的な世界に
使うことになりますから。

でも、それでも夢を見たいなら
外的な活動をいったん辞めましょう。

外的に何も活動しなくなれば
その余剰分のエネルギーを使って
夢を見る事ができるのではないでしょうか?

ただ、内的な問題と向き合う
個人的な意味や興味が無ければ
見ない方がいいのかもしれません。

世界教師と言われたクリシュナムルティも
「夢を見るものは怠惰だ」
と言っていました。

実社会での活動を問題としている人にとっては
確かに怠惰なエネルギーの使用方法だと思います。

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