前回書いた"なんのために生きるのか"を経て 今は全てものがアートに見えてきている。 これを言ったら頭おかしい人だと言われ理解されない。 なんて言えばいいんだろう?身近な物々が全て素敵なデザインに見えてしょうがない。 誰かが必要なため、便利のために作り上げた物々。 その通りに使うと怪我はせず便利に使うことができる、そのやり方も素敵な動作。 また、人も同じでひとりひとり顔や身長、体型、性格は違うのだからその人に合わせた会話が大切である。上手くいくとずっと仲良くいられるが、
最近、いや、ずっと前から考えていることがある。 "なんのために生きているのか" ということだ。 特に病んでいるわけじゃないし、 感情が無ということでもない。 でも答えが出せなくていつも頭が痛くなる。 いろんな人にこの質問をすると ・社会に貢献するため ・夢を叶えたい ・好きなものを集めたい ・好きな人と結婚したい ・子供を産んで幸せな家庭を築きたい などと答えがどんどん出てくる しかし、ひねくれ者の私からすると 別に社会に貢献したいとも思わない(ごめんなさい)し夢
最近よくいろんな人から"いつでも相談してください"と言われる きっとそれは今私が態度に出ているんだろうな〜。って感じる、よろしくない。 実際にこの数週間の間にいろんなことがあった このまま生きていてなにが楽しいのか、自分はこれから何がしたいのかなどなどいろんなことを考えていた 私は面倒くさくて、ある意味自己中心的な性格であるため心を開いた人にはたくさん話すが、何らかの拍子で心を閉ざしてしまう時がある 最近、凄く相談していた相手がいたのだが、会わないうちに接し方が分か
日本語って難しい
この世の中は人間が使いやすいように できていると私は思う 普通に使えばケガすることもないし 死ぬこともない 普段から深く考えたりはしないと思うが 人間の頭にはどう目の前の物を使うのか マニュアルが作成されており そのマニュアル通りに使用するか、 スリルや面倒くささがあるから違った方法で 使用するか、 誰もが瞬時に判断して物を使っていると 私は感じている 世の中には素晴らしい物がたくさんある どこかひと手間されているデザインは とても美しい しかし何の変哲もないシンプ
今回はずっとみんな感じていることだと 思っていたことについて書きたいと思う これは2.3年前に気づいた出来事 "わたしには日常生活の中で線が見えている" でも、実際にはちゃんと見えているわけではない 例えば、目の前に四角があればそれぞれの角から 真っ直ぐ線が出ている 私の場合平なものやまるでなければ全てに 線が見える 別にそのことについて困っているわけでもないし 悩んでいるわけでもない 反対に毎日がゲームのようで自分ひとりで 線を踏まないゲーム 足の真ん中で線を
これは小学2年生ごろからの話かな。 あまりうまく説明ができないが 私はザ・○○という言葉を聞くと鳥肌がたつ 別に恐怖症という意味ではなく 逆にワクワクして頑張ろうって思うほう あまりこの話をしても伝わらないから 今まで避けてきたけど もしかしたら今回話したら 伝わる人もいるかもしれないから 今回ここに書いてみようと思った 簡単に言うと私は真っ直ぐな人生が好きだ 線路の上を走っている程まではいかないが 道徳?倫理?正義?のイメージで生きていくの夢だった 今でもそういう