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手話フレンズ代表 モンキー高野氏


モンキー高野氏

手話フレンズ代表(https://www.shuwafriends2020.com/)。ろう者であり、手話講師として活動しながら全国で講演やイベントを開催している。

本名は高野幸子、トランスジェンダー男性である。

耳が聞こえないことに関する持論を「聞こえたら良いなと思うことはあっても、現状に不満がある訳ではなく不自由さを感じることもありません。人とコミュニケーションをとること・旅行・映画などが大好きなのですが、音を超越した想像性によって繰り広げられる世界を楽しんでいます。」と語る。

障がいやマイノリティというラベルを貼られても、独自で練り上げてきた哲学で、どんなことも前向きな思考へと変えてきた。そのような高野氏でも、自分自身のことが分からずに思い悩んだ時期もあったという。そんなとき、自分という存在を問いながら、自分らしくありのままでいることが幸せの秘訣と悟った。その「幸せの秘訣」について語っていただいた。



音なき世界を生きる


私は、両親と妹もろう者のデフファミリー(家族全員が聴覚障がい者である家族)の中で育ちました。幼少期はわずかに聴力があり、音の感覚程度は聞こえていたんです。

20歳を迎えた頃のある朝、そのわずかに残存していた聴力もなくなり、まったく聞こえなくなってしまいました。このときは、さすがに心底ショックを受けました。

私が幼少期の頃は、聴覚障がい者の主なコミュニケーション手段は口話(話し手の口や唇の動き・表情などから話の内容を読み取る方法)でした。よって、手話を自由に使えない時代だったんです。なぜなら、手話は口話習得を妨げるものと考えられていたからです。

私がろう学校に通い始める頃になると、手話の使用が認められ始めた時期でしたが、手話を禁じられていた

時代の教育を受けてきた母は、口話法を重視していたので、手話は使わずに相手の唇の動きや表情を見て、相手の言いたいことを理解していました。

しかし、口話は、残存聴力や失聴時期によってレベルの差異が生じてしまいますので、2009年に文部科学省が、ろう学校における手話での教育指導を認めたことを皮切りに、手話での授業やコミュニケーションができるようになっていきました。

それぞれのろう者が生きた時代によって、コミュニケーションの手段も異なっていて、これからも変化し続けていくでしょう。

男気溢れる女の子?!


ろう者の友達とスイミングスクールに通っていた幼少期のある日、見知らぬ男の子がイジワルしてぶつかってきたことがありました。私たちの耳が聴こえないことが物珍しくて、馬鹿にしている様子でした。

私が、一緒にいた女の子の友達を守るために応戦し、取っ組み合いの喧嘩となりました。でも、気が付けばその男の子たちとも仲良くなり、お互いを認め合う関係になっていましたね。

障がいを抱えていることで弱気になる必要などなく、納得のいかないことに対しては反論したり、ぶつかっていけば良いと思っています。この考えは、幼少期から差別的な扱いを受けていく中で培われた信条でもあります。

この頃から、自分自身のことを「わたしって男の子っぽいな~」と感じていました。

でも、母からは、お転婆なことや大好きなモノマネをすることを禁じられ、女の子らしく(?)大人しくしているようにと指導されていました。理由としては、「お嫁にいけなくなるから」ということでした。

それでも、男の子と遊ぶのが好きだったし、女の子といると守ってあげたくなるのが自分だったんです。

物心がつく頃になると、「自分には、なんでおちんちんがないの?!」と思うようになりました。

父に聞いてみると、「大きくなったら生えてくるから心配するな!」と・・・。草や花じゃあるまいし、生えてくるはずなんてないのですが、何も分かっていなかった私は、その言葉を信じておちんちんが生えてくるのを待っていたんです(笑)

しかし、待てど暮らせど、私の股間におちんちんが生えてくることはありませんでした(笑)

そんな私の気持ちなど露知らず、母は、「かわいい顔しているんだから。」と言って、女の子らしい服装や振る舞いをすることなどにこだわっていました。

母にはまったく悪気はないのですが、スカートを履かせようとしてくるのが、心からイヤでした。

 おちんちんのない男の子みたいな女の子の私ってなんなんだろう・・・そんな思いを抱えて思春期を過ごしていました。

性への違和感と葛藤


性自認と異なる性別への違和感、ありのままの自分としてはじけたいのに抑圧されることへのストレス・・・自分だけでは抱えきれなくなった高校一年生のある日、自分の抱えている悩みを妹に打ち明けてみました。妹は、何の屈託もなく「ありのままの自分でいいんじゃない」と言ってくれました。

このことがあったので、正直に打ち明ければ母も理解してくれるのではないかと思い、母にもカミングアウトしてみました。しかし、母からは、手話で「気持ち悪い」という素振りをされてしまいました。

このとき、母はセクシュアリティについての知識がなかったので、当然の反応だったのかもしれませんが、私としては理解してもらいたいという思いが強かった分、かなりショックでしたね。

しかし、母に拒絶的な反応をされたとしても、自分自身のセクシュアリティが変わる訳ではありません。たとえ、どんなに近しい人や重要人物から反対意見や叱責を受けても変わらない・・・いや、変わることのできないものです。それが、アイデンティティというものです。

その後も、自分がどのセクシュアリティの属性になるのか理解できずに悶々とした日々を過ごしていました。

そうして過ごしていた25歳のある日、テレビドラマの「金八先生」を見る機会がありました。そのドラマでは、FTM(Female to Maleの略、出生時は女性として性別を割り当てられたが、男性として生きることを望む、あるいは生活をしているトランスジェンダー)の先駆け的存在として知られる「虎井まさ衛さん」を上戸彩さんが演じていました。それを見て、初めて「トランスジェンダー」という言葉と存在を知りました。自分のことを何となく同性愛者であると決めつけていたので、「私のセクシュアリティはこれだ!!」という確信を得て、稲妻が走ったような衝撃を受けました。

同じ時期に、ろう学校の後輩だったMTF(Male to Femaleの略、出生時は男性として性別を割り当てられたが、女性として生きることを望む、あるいは生活をしているトランスジェンダー)の友人と再会する機会がありました。

ちょうどその友人も自分自身ことを同性愛者なのかトランスジェンダーなのか分からずに葛藤していた時期だったんです。それでも、自身のセクシュアルアイデンティティをしっかり見つめながら歩んでいる

彼女と話していくうちに「私も本来の自分らしく生きていこう」という思いが強まり、自分が自認するままの男性として生きていこうと決しました。

そして、31歳のとき、埼玉医大を受診し、「性同一性障害」との診断を受けました。診断名を聞いて、「やっぱりそういうことだったんだ。」という気持ちになり、長年思い悩んでいたことが解決したことによる安心感が生まれました。

因みに、「性同一性障害」は、精神障害の分類から除外(2022年~)されました。新たな名称は「性別不合」となり、「障害」という分類から外されることで、精神や身体における病気や障害ではないとされています。このことにより、これまで性同一性障害として扱われてきた人たちが受けてきた生きづらさや差別が解消されていくことに期待が寄せられています。

これは、個々が尊重されて多様なセクシュアリティが認められていくための大きな一歩です。

彼女も山ほど会いたい!?


自認した性別として生きていくこととなり、公然的にも女性を好きになることができました。

そんな私のパートナーは、現在手話通訳をしてくれている高島由美子さんです。

彼女には一目惚れで、会った瞬間から恋に落ちました。

恋に落ちるのは時間の問題ではありません。瞬時に燃え上がるような恋もあれば、一生涯かけても分かりえぬ愛の物語だってあります。

私の場合は、燃え上がるだけでなく消えることのない燃え続ける恋でした。

出会った直後から猛アタックを開始しましたが、はじめは言葉のスレ違いのようなものが生じていました。彼女の使用する言葉や手話の示す意味が、私の理解していたものと異なっていることが原因でした。

私が初めて告白をしたとき、彼女は断るつもりだったそうです。なんでも「会ってすぐに好きと言ってくる人のことを信用できない」というのが一番の理由だったようです。よって、彼女は、お断りする口実として「太っている人が好きではないから、付き合えない。」と伝えてきました。

それを言葉通りに受け取った私は、なんと25kgも減量しました。

でも、付き合ってはもらえませんでした・・・こんなに痩せたのに、なんで好きになってくれないんだろう?

 その後も、更なるアプローチをし続けていくと、彼女はメールで「会いたいのは山々なのですが・・・」とお断りの内容を伝えてこようとしました。「会う気持ちはない」という旨を伝えたかったようなのですが、私は、「山ほど会いたいです。」という意味だと勘違いしてしまい、有頂天になりました(笑)

断り文句をポジティブワードとして受け取った私は、「彼女も私に会いたくてたまらないんだ」と思ってしまったのです。

しかし、ただの勘違いでしたので、当然お付き合いできるはずもなく、悶々とした日々を過ごしました。

だからといって、諦めることはできません!! 

振り向いてもらえないのなら、どれだけ時間をかけたとしてもこの思いを伝え続けようと思いました。

そして、1年間かけて愛を伝え続けていくと、彼女のほうに心境の変化がありました。

それは、ある仕事で一緒に過ごしていたときのことです。私は自由に声を出せないので、二人で音のない時空の中にいました。すると、静寂の中で私の胸の鼓動が彼女に聞こえたそうです。緊張とドキドキ感による心臓の拍動音が彼女の耳に届き、私の真剣さも伝わったのです。

その後、彼女は私の講演会のお手伝いを積極的にしてくれるようになりました。そして、一緒に仕事をしていくうちに、「この人とだったら、お互いに助け合う中で幸せになれる。自分のことをずっと好きでいてくれる人と一緒に生きていきたい。」と思ってくれるようになったのです。

燃え盛る恋が成就し、今では公私ともに助け合いながら幸せな日々を過ごすことができています。

聴者で手話通訳士のパートナーとろう者の私が一緒になることで、コミュニケーションをとれる人の幅を拡大することもできました。

ろう者の私だけでは、コミュニケーションをとれる範囲がどうしても限局されていたところもありましたが、手話+会話も可能なパートナーと一緒にいることで、交流範囲が無限に広がったのです。

ろう者は、限定的なコミュニティにしか属せず、情報弱者に陥りやすいともいわれています。そうした不本意な現状を打破するためにも、ろう者と聴者がタッグを組むことは有益なことばかりであり、私たちはまさにベストパートナーなのです。

最愛の人が、ビジネスにおいても絶大な信頼を置けるパートナーでもあります。

お互いのことを知ることで、きっと分かり合える


ある日、テレビ番組でパートナーシップ制度についてのインタビューを受けることとなり、テレビに出演したことがありました。

その放送を見た母は、LGBTQの社会的認知度が高まっていることを知ると同時に、セクシュアルアイデンティティについて理解していくこととなりました。また、私が幼き日に、母が言っていた「女の子らしく」という言葉は、私の思う「自分らしさ」とは大きく異なっていたことにも気付いたようです。でも、これは母が間違っていた訳ではなく、理解できるほど何も知らなかっただけなのです。分からないことが悪いのではなく、分かろうとしないことが問題なのだということに気付いてくれたのでしょう。

それ以降、私のセクシュアリティについて一方的に拒絶していた母でしたが、母なりに理解を深めていき、現在では応援してくれるようにもなっています。

そのような母には、「孫の顔を見たい」という夢がありました。

その夢は妹が叶えてくれました。でも、もしかしたら私の子どもも見たかったという思いもあったかもしれません。

こうしたこともLGBTQの悩ましいところなのです。同性愛者は、生物学的にも子孫を残せないのは言うまでもありません。トランスジェンダーである場合、性対象がバイセクシュアルか、同性愛者だったら子をもつことができますが、異性愛者では不可能です。


真の喜びとは・・・?


孫を見せることはできませんでしたが、真の意味での「自分らしい姿」を見せることはできました。私の親にとっては、それを受け入れるために時間や心理的負担もあったことでしょう。でも、悩んだりぶつかったりした分だけ、深く理解し合えたと思っています。

自分らしさ・・・それは、他者には理解されづらいこともあるでしょう。生涯かけても理解し合えないこともあるかもしれません。

また、自分自身が思う自分らしさが、世間のいう一般的な概念とはかけ離れていることもあるでしょう。そのことにより、生きづらさや制限を感じることもあるかもしれません。また、一時的には、大切な人の期待に背くこともあり得るでしょう。

でも、「自分」という存在が唯一無二であるが故、他の人と違いがあるのは当然です。他人どころか親や兄弟姉妹とだって異なるのですから、世の中は数えきれぬほどの多様な価値観や人生観でありふれています。

そのような多様性の渦巻く混沌とした世界の中を生きているからこそ、愛をもって理解し合うことが大切なのです。

違って当たり前!!違いによってお互いの世界を隔ててしまうのではなく、違いを尊重し合っていくことで世界を広げることが可能となり、人同士の交流による面白味が増すのではないでしょうか。


ありのままの自分でいることの大切さ=「幸せの秘訣」


私の存在をマイノリティの中のマイノリティという言葉で表現されることもありますけど、楽しくありのままの自分でいる私だからこそ、異なる価値観をもった人たちの架け橋になれると信じています。

なので、これからは、聴者-ろう者、マジョリティ-マイノリティなどの間にある隔たりを壊し、橋渡しをしていける存在になりたいと考えています。

障がいやマイノリティであることが不幸を招くのではありません。そのことは、私の存在が立証しているはずです。
だって、私は、こんなに幸せなのですから!


ありのままの自分でいることが大切だと教えてくれた友人たち

そんなありのままの私を受け入れてくれた家族

時に耳となり、口となって人生をともに旅してくれるパートナーの由美子ちゃん

本来の自分であることでしか出会えていなかった大切な人たちです。

きっと私自身がありのままの私で在り続けたからこそ、愛する人たちと出会えたのだと思います。

今もこれからもみんなのことを愛しています!!


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