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疫病神の手 リピーター

                              淀 長葦

「病を他人に移す。そんな奇跡が起こせたら、君はどうする?」

 懐かしい夢を見た気がする。師匠がいたから夢だって分かったんだけど、やっぱり操れないまま忘れてしまった。
 寒い、毛布の中しか暖かくない。あいつエアコン消して行きやがったな。私が風邪をひいたらどうするんだ。エアコンをつけるか、外出るの嫌だな。いいタイミングでドタドタとアホくさい足音だ。ハリスが帰って来るならわざわざベッドから出ることないな。
 ああ、ドアが開く。迫りくる冷たい外気から身を守らねば。
「いやー、外めっちゃ寒いっすよ。こりゃあ風邪も流行りますよ、せんせ?まーだ寝てんすか?」
 診療所にしては狭い部屋が冷気に満ちるのがわかる。早く、暖を、
「暖房を、お前、暖房を切ったね?早くつけなさい。部屋が暖まるまで私はベッドを出ないよ。」
 私は寒いのが大嫌いなんだ。ハリスはいつも気が利かないんだ、コーヒーでも入れてくれてもいいくらいなのに、
「もうちょっと寝てていいっすよ。六時からなんで、」
 と言いつつエアコンもつけてくれたし、キッチンが動いている、
 え?今日なんかあったっけ?
「え?今日なんかあったっけ?」
「昨日朝入ったんじゃないっすか。寝ぼけてましたね?ケイトのカウンセリング、大口なんだから絶対に綺麗にしててくださいね。」
 ああ、あのアイドルの。大手事務所が金を出すからきっといくらでももぎ取れるって受けたやつか。生活には金がかかるからな。

 六時にアイドルが来る。まって、もう五時すぎてんだけど。
「ハリス!ランチだ!私はシャワーを浴びる」
 ってお前が入っとんかーい。えーじゃあ、掃除しようかな。人が入った直後のバスルーム嫌いなんだけどな。毛布は畳んで、アイスのカップはなんであんだ、捨ててっと。うん、結構綺麗になったんじゃないか?私えらい。
 お、出てきた。しかしここは本当に音が響くな。私もこんなに筒抜けなのかな、ちょっと嫌だ。まあ入るけど。
 ほらこのもわっとしたとこに入るの嫌なんだ。あ、ヒゲもそるか、

 おお、片付いてる片付いてる。入る前がどれだけ汚かったかも出せないほどだ。名医が名医と呼ばれるには、優れたスキルと優れた助手がいるってね。綺麗になったテーブルにはワッフルとウインナーとスクランブルエッグのプレートとコーンポタージュ、ワッフルは数少ない私の好きなブランチメニューだ。よく分かっているじゃないか。
 五時半、思ったよりゆっくりできるな。スマホ、あった。バッテリー三十八パーセントは危ない、六時までにどれだけ充電出来るかな。振り込みの確認だけはしっかり目を通す。これが一番大事だ。ネットニュースの一面は女優のスキャンダル。スクロールすると意外と長い、ワッフルうま、
「今日のワッフルいつもと違う?」
「一番安いのなんでいつも違いますよ。」
 違ったのは私の気分だったようだ。

 ブーーーッ
 やばいもう来た。十分前行動かよ、マジメくんめ!
「後で温めてあげますから、早く出て!」
 まったく、ちょっと褒めるとこれだよ。
 あ、まってまって、白衣着なきゃ、
「はいはーい、今出ますよっと」
 外寒っ!ベッド帰りたい!
「急な診療を受けてくださりありがとうございます。」
「寒い中待たせてごめんね、さ、上がっておいで。」
 あ〜ん、お部屋あったか〜い。ハリス〜、ミルクティー入れて〜。
「コート預かります。お二人ともコーヒーでいいですか?」
 私、ミルクティーがいいな、
「私、ミルクティーがいいな、」
 ほんの少しのアイコンタクト。わかるよ、「アンタに聞いてないっす」って言いたいいね。でもお客様の手前言えないね。
「お構いなく、こちら紹介書とケイトの診断書、私の健康診断の結果です。」
 ほう、これは世の女性たちが騒ぐのも納得のハンサムボーイだ。アイドルと聞いて想像していたよりもずっと大人しい子だな、病気で弱っているにしても、
「僕も、ミルクティーがいい」
 しゃべった、声小っさ。この子はストレス溜め込む子だね。私がそうだから専門外でもわかるよ。ああほら、十二指腸潰瘍だってよ。なるほど。これ治るけどな、罪悪感が薄くて助かるね。
「ハリス、シチュードにしてくれ。」
「ケイトのはメキシコを含む大陸ツアーの最中で、体調不良のタレントをステージに上げるわけにはいきません。」
 聞かずとも語り始めたよ、そういうの別にいらないんだけどな。
「体調不良と知られればファンに心配をかけてしまいますし、不安のなか、多くのファンを待たせるわけには行きません。先生のお噂にすがる思いでやってきたのです。ケイトを、ケイトのファンを病から解放してくれませんか?」
 はいはい、銭ゲバゲバゲバ、払い戻しがしたくないだけだな。
 まあ人のことは言えないけど。グレ医者なんかに頼るより損失になるなんて、こんな静かな子にそんな力がねえ。思った以上の金蔓引いたな。
「潰瘍の移植は可能だよ、ただ、私にも出来ることと出来ないことがあるからね、そこのところ確認をしよう。」
 まず、十二指腸潰瘍は再発しやすいとされる病で、今回移植したことによって、ケイトはもちろんレシピエントになるマネージャーさんも再発するのリスクを背負うこと。
 次に、ストレスの溜まりやすい性格や環境は私にはどうにもできないこと。
 そして、病気の直接的要因だろう自律神経の乱れは、人それぞれ違う自律神経の中からちょうどいいものを見つけるのは不可能なため、私の移植では治らない。万全な体調になる訳ではなく悪い結果を取り払うだけで、状況はほとんど変わらない。無理をすればすぐにでも再発してしまう恐れがあること。
 術後、マネージャーさんの名前で紹介書を返すからおそらく入院もしてもらうこと。経過次第ではケイトにも心療内科や精神科にかかることを勧めた。
 万能な医者は居ない、手術で全て都合よくはいかないことをよく理解しておいてもらわないと、クレームは命取りだからね、お互いに。
 あとまあ心配ないだろうけど、そういう訳だから、ねえ?費用の方はそれだけかかりますよと。ちょっとキツめに話して
「承知しました。よろしくお願いします。なるべく早く、いつがご都合よろしいでしょうか。」
 ふん、一度持ち帰ってもらうくらいに脅したつもりなんだけどな。分かってるかな?
「えっと、施術自体は二時間もかからないんだけど、麻酔から目覚めるまで五、六時間くらいかかると思ってもらって、」
 ホントは五分もあれば終わる。奇跡だからね。でもそれじゃ医者っぽくないし、本当にオペで病気を移植した方がかっこいいし尊敬するからね、あと奇跡を目撃されないための麻酔。
 見られたら消さなきゃいけない、なんてことはないけど一応ね。
「午後、十時からくらいが良いかな、睡眠の周期をずらさない形がいいからね。手術の晩はここに泊まってもらう。朝イチでコリンズに検査させて結果を確認するまでが流れかな。ハリス、次空いてるのは?」
 私は夜更かしするがね。医者というのは非周期的な生き物さ、たぶん。
「明後日水曜日です。翌日も予約はありませんが、近すぎますか?」
 まあ私は平気だけど、あ、大丈夫そう。明日はまた別のオペが入ってるんだ。さすがに忘れないさ。二日連続オペか、ふふ、振り込みが楽しみだね。
「では明後日、水曜日の午後十時からよろしくお願いします。早めに伺った方がよろしいでしょうか?」
 この子ら十分前に来るから、着替えてくれれば十分だしな、ああもちろん演出なんだけどね。
「いや、ちょうどでいいよ。どうせ普段そんなに早く寝ないでしょ。ゆっくり始めよう。早く来ればいいってものでもないしね。」
 早く来ないように念を押す。本当に頼むよ。私のワッフルタイムを返してくれ。

 私の夜は基本穏やかだ。勤務医と違って急患はないし、ハリスは近所のもっと安い部屋に帰った。
 ホットミルクには蜂蜜と気分でブランデー。暖かい部屋でホットミルクとバニラアイス、古い映画の放送を見ながら寝落ちるのが冬の夜の過ごし方。

 ハリスに起こされずとも一人で起きれるんだよ。午後八時、我ながずいぶん寝たな。オペの日はちゃんとランチをとることにしているからね。ちょうど良いかな、ハリスがその支度でキッチンを回している。良き理解者だよまったく。
「おはよう、あがる頃に出せるかい?」
「できますよ。掃除するんで汚さないでくださいね。」
 バスルームなんてどうやって汚すんだ、昨日も使って今いちばん綺麗じゃないか。

 あがるといい匂いがした。これは肉を煮てるな。これまた綺麗に片付いたテーブルにはポテトサラダとトマトジュース。こいつかなり本気だ、ふんぱつしたな。ああほらね、おいしいお肉とバターラスクが出てきたよ。機嫌取りがうまいんだからまったく。

 ごちそうさまでした。美味しかったからね、お皿はシンクにさげよう。お肉まだあるのかなるほど、夜食はこれだな。午後九時半を回ったとこ、時間と量の調節まだ完璧とは、うちの助手は優秀だね。

 ブーーーッ
 来たね。九時四十八分、分かっていれば準備も間に合うさ。
 まったく、今日も寒くてやんなっちゃうね。
「いらっしゃい、」
 出るの、ハリスでもいいんじゃないか?まあもういいけど。さあ、ホットミルクを入れてくれ。
「ホットミルクを入れてくれ。先がいいかな、着替えてもらいたいんだ。バスルームを使ってくれ。気にしないなら部屋のほうが暖かいがね。ゆっくりして落ち着いてから始めよう。」
 奇跡に患者のメンタルが関わることはない。麻酔というのも睡眠導入剤だからたいしたものではない。患者に優しくするのはリピーターになってもらうため、「良いお医者さんだった」と思ってもらうため。
 コーヒーのメレンゲと砂糖のメレンゲ。私はいつも通り砂糖だが、ケイトはどっちだろうね、ハリスは気分次第だしきっとマネージャーさんはコーヒーだろう、ほらね。ケイトは砂糖か、良いね。何個入れても構わないよ。

 今夜はエクソシストの放送なんだ。学生時代、友人の部屋でみんなで見て怖くて帰れなくなって、泊まったのをよく覚えている。今日はハリスがいるから大丈夫。寝てるけど。

 朝のニュースが始まるから今度は私が寝る番。
「ハリス、起きろ。私が寝る。ケイトが先に起きるから、起きたら起こしてくれ。」
 薬のことはヤクザイシ。こうも腕がいいと重宝するよな。時間差なんて私じゃ出来ない。嘘、大体の事が出来ない。

 大変だ。寝れない。そもそも深夜にホラーを流すのが間違っている。

「先生、先生、ケイトさん覚醒しました。先生!」
 ええー、すぐ起こされたよ。あんまり寝た気がしないな。
「ん、おはよう、ケイト君、気分は悪くないかい?」
 すごい寝起きの声になっちゃったよ、ちょっと恥ずかしいな。六時半、割りとしっかり寝たな。
「あ、はい、大丈夫です。」
 相変わらず声小さいな、人見知りなのかな、
「君は、ツアーを続けたいのかい?ここまでしても仕事をするのかい?」
 ああ、だめだ。会話が下手すぎて嫌になる。問診苦手なんだ。
「続けます。これしかないから。求めてもらえる限り、ずっと。きっと、なにをしても。」
 お、結構喋るな。ありがとね続けるなら安心だ。患者の需要と治療の供給が一致する。君にとっても良いことをできたなら私も嬉しいしね。
 これしかないなんてことは絶対にないだろうけどね。おじさんに言わせれば、大人に騙されて利用されている。けどケイトがそう望んでいるのならそれで良いのだ。
「そうか、一助になれていたら嬉しいよ。」
 外が明るくなってきた。もう夜が明けるんだ。
「ハリス、朝食の準備を。早朝は病院忙しいから、食べていきなよ。久々のご飯だろう、楽しみな。」

 うんうん、入ってる入ってる。入金早いな、ありがたい。二日以内に今日の分も入るし、新しいブランデーを入れようかな。
「先生のレシピエントさんって、割とフビン?ですよね。病気になる仕事なんて俺はしたくないっす。」
「うん。そうだね、私もお金をもらっても病気なんかしたくないよ。」
 どうだろうか、今回の十二指腸潰瘍は二ヶ月もあれば完治する。でもケイトは、きっとまたストレスを溜めて再発する。そしてまた私のもとに来る。病気になることも許さず、働き続けるんだろう。ケイトが望んでそうしていると言うが。
 彼の心がどこまで保つか、それもまた専門の医者に頼ってメンテナンスを重ねて誤魔化していくのかな。
「どうだろうね、ケイトも病気になる仕事と言えるかも知れない。」
 わからないか、だろうな。わからないからお前を助手にしてるんだ。お前は一生、私の悪事に気づかないでいておくれ。

 咎めるのは師匠だけで十分です。

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