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今への家路

                            ぱっしょん

 システムボタンを長押しして、緊急脱出ボタンを三度押して、ハッチを開く。シムポッドから出ると、見慣れた平原が広がる。
「外は?」と一ノ瀬。
「いつも通り、失敗だ」
「サンプル取っておく?」
「そんな気にはならんな」
 灰の平原、と呼ぶことにしているこの荒地は、白くまっさらで辺りを見渡しても何もない。はじめの方は地面のサンプルを取って成分分析にかけたりもしたが、めぼしい結果は出なかった。シムポッドの中が砂まみれになってげんなりしてしまうので、途中でやめることにした。
「次はこっちがやるからさ、さっさとシムポッド戻りな」
「勤勉なことで」
「お前が操作してるの見て、閃いたんだ。出てくるエラーのパターンが違ったんだ」
 一ノ瀬は操縦席に座って取扱説明書を読んでいた。
「緊脱一回押した後に少し待つと警告が入るんだ。そのタイミングでシステムボタンを押すと」
「能書きはいいからさっさと起動してくれ」
「はいよっ」
 機内スピーカーから無機質なシステムボイスが流れる。
 ようこそ、パイロット。SY–510Xがあなたの仮想航行をサポートし——
 パイロットプロファイルを選択してください。新しいパイロッ——
 パイロットはイチノ——
 航行する座標を選択してく——
 それでは、西暦三五四五年四月二三日への仮想航行を開始します。めまい、吐き気等の症状が出た場合は足元にある医療キットをご利用ください。航行まで、3、2、1……。
 全球面パノラマディスプレイに景色が映される。
「ここまではいつも通りなんだがな」
 一ノ瀬は緊急脱出ボタンの上に手を置く。一度だけ押すと、警告のビープが鳴る。
 緊急脱出をする場合はシステムボタンを押してメインメニューに戻ってください。管理者権限を使用する場合はAdmボタンを押してください。
「ビンゴ!」
「知らないパターンだな。でもこれからどうするんだ?」
「いや、分からん」
「大体管理者権限持ってんのは俺なんだからそれを」
「まあまあまあ」
 パイロット、あなたには管理者権限がありません。権限を使用する場合はパスワードを入力してください。
「おっ、お前の出番だ」
「任せな」
 タッチパネルに表示されたキーボードにパスワードを叩く。
 パイロット、緊急脱出を行います。強い衝撃が加わる恐れがあります。
 システムボイスに警告を受けたのは初めてだった。これは期待できる。
「いつもと違うな」
「今回こそやってみせるさ」
 緊急脱出が終わりました。天面部ハッチを開き、外部ボタンから再起動を行ってください。
「とりあえずハッチ開くか?」
「俺が開けよう、一ノ瀬様の功績だからな」
 鼻を鳴らしてハッチに手をかける。
「これで、砂の世界とはおさらば出来るってわけ」
「宅配ピザにもありつけるってわけだな」
 シムポッドから出た一ノ瀬は大声をあげる。
「なんでだよー!」
 一ノ瀬の発狂からして、今回も外れだったのだろう。
 いつになったら家に戻れるのだろうか。
「なんでこんなポンコツシミュレーターにチクショー!」
 一ノ瀬は相変わらず喚き散らしていた。
 外に出てみると、相変わらず灰の平原だった。
「外部ボタンがどうとか言ってたよな」
 しかしボタンは複数ある。ボタンだけでなく、トグルスイッチやツマミもある。
「これも総当たりでやってみるしかないのか?」
「ピザが冷めちまうな」
「もう冷めきってるだろ。後は腐るだけだ」
 かれこれ数時間はこんな状態になっている。
「一ノ瀬、腹減ってきたな」
「だからピザ食ってからにしようって言ったんだよ」
 だがな、と一ノ瀬。
「緊急セルってのに非常食が搭載されているんだ。取説によると」
「何が起こるか分からんし、食っておきたいな」
「その名も『超携行カレー』だそうだ」
 今晩はずっとピザの気分だったのに、カレーかぁ。
「おいおい安田重工製だってよ。実質ミリ飯じゃねえか」
 一食で二千キロカロリーだってよ、とミリオタの一ノ瀬はゴキゲンに言うが、カレーの気分ではない。
「カレーは昼飯で食ったからなぁ」
「文句言ってる場合じゃないだろ、俺は食うからな」
 一ノ瀬は灰の平原にどかりと座り込み、カレーの箱を地面に置いた。
 一ノ瀬が箱から出ている線を引っ張ると、ボン、と音がして煙がモクモクと立ち上がった。
「これで食えるのかな」
「煙、なんか臭いぞ」
 箱を開けると、ドロドロのカレーが蠢いていた。
「ようこそカレーの世界へ! 君も、俺を食べるのかい? しかし安心してくれ。カレーは喋るが、痛覚はないんだぜ」
 三十六世紀のカレーは喋るらしい。さしもの一ノ瀬も食欲を失ったらしく、静かにカレーの蓋を閉めた。
「で、ボタンだっけ」

 ポッドに戻り、取説を開く。非常食の欄から答えを探る事にした。
「ちょっと進んだっぽかったけど、結局戻れず仕舞いだな」
「カレーも大して美味しくなかったしな」
「お前食ったのかあれ」
 痛覚ないって言うからさ、と一ノ瀬は笑う。
「俺も食うしかないのかなぁ」
「失敗する度に補充されるっぽいから食に困る事はなさそうだけどな」
 起動時に生成されるのだろうか。電源が供給されなくなれば無理やりにでも戻れそうなのだが、電気代は律儀に払い続けている。
「ポンコツシミュレーターがよ……」
「ハァイ、あたしカレー! 美味しいよ!」
 三五四五年の星空は綺麗だった。星座があまり変わっていないのは少し残念だった。緊急セルにあった着火剤で焚き火をして、毛布にくるまった。
「当分はカレー生活か」
「カレーは美味しいよ! あたしカレー!」
「戻れんのかな」
「やめてくれ。げんなりする」
「カレーを食べれば元気になるよ!」
 一ノ瀬と交代で睡眠をとる事にした。忌々しかった灰の平原も、見慣れれば綺麗なものだ。存外にこのシミュレーターも悪くないかもしれない。
 元いた場所に戻れない事を除けば、悪くないかもしれない。

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