見出し画像

私達はもう一人じゃないから

                                お塩


「大人になるのが怖くないの」
 そう聞かれたことがある。
 いつもとはちがう、真剣な声色とあの子らしい真っ直ぐな目。
 そんな彼女から目が離せなかった。
 彼女は私を待ってくれていた。あたりに広がる張り詰めた空気は、決して私を責めていなかった。私は答えを出せなかったけれど。
 それ以降、あの真剣な声を聞くことはなかった。だとしても、私はあの声を忘れないだろう。

 快適だった車内に熱気が飛び込んでくる。
 天気予報は今日も危険。比喩でもなく人を殺せそうな暑さが駅のホームを照り付けていた。
 気温のせいか、日付のせいか。ホームの人影はかなりまばらになっている。
 カシャン
 話し声も少ないこの場所で、その音は大きく響いた。
 音の正体を確かめるべくそちらをみると、そこには女の子がいた。
 オーバーサイズのTシャツと短パン、キャップとスポサンなんてラフな格好の女の子とは対照的な大きさのスーツケースは音を立てて点字ブロックを通過する。
 誰もいない待合席に座った女の子が帽子を取った。
「あ。」
 この子のこと、知ってる。髪色が違ったから気づかなかったけど、顔を見ればはっきりわかる。
「菜穂?」
 窺うように声をかける。
 すると彼女はこっちを向いて、
「結海!」
 嬉しそうに頬を緩めた。

 菜穂の勢いに押され駅前の店に入る。なんて言葉で誘われたのか、いまだ認識が出来ていない。出来ていないけれど、菜穂の勢いだけは強かった。
菜穂はアイスのレモンティー、私はアイスコーヒーを頼んで席を探す。
「ここでいい?」
「勿論! ありがとね。」
「菜穂はコロコロ持ってるんだから、気にしないで。」
 菜穂のドリンクを置いて反対側に座る。
 三方に仕切りがある二人席。周りの目が少ないその席と目の前に菜穂のいる光景は、私たちの特等席を思い起こさせた。あの場所はこんなに人の声が聞こえる場所ではなかったけれど。
 そこまで考えてふと、あることに気が付いた。
 そういえば初めてだ。あの場所以外で菜穂と話すのは。って。
 少し体が硬くなった気がした。変なの。何回だって二人で話しているのに、緊張するなんて。
「久しぶり」
 私の心なんて知りもしない菜穂は緊張なんてかけらもない声と笑顔で私にそう話しかけてくる。
「うん。久しぶり。卒業式以来かな。」
「そうだね。こっち帰ってきてないから。」
「そっか。・・・・・・菜穂、県外にしたんだね。知らなかった。」
 少し照れ臭そうに菜穂が笑う。
「そうなの。結海は県内?」
「うん。……菜穂は今、なにを勉強してるの?」
「服飾関係のこと」
 幸せそうに頬を緩める。
 そういえば菜穂は絵がうまかった。それに昼休みもよくファッション誌のようなものを見ていた気がする。
 服やメイクだけじゃなくて髪型やネイルの話をいつも今と同じようなかわいい顔をして話してくれていた。
 そのくらい好きな物をこの子はいま真剣に勉強しているんだろう。

 この子はやりたいことの為に外に出たんだ。
 目的があるから外に行けたんだ。
 そう気づいた瞬間、頭の中が真っ暗になった。
 何かを言葉を言おうとしても何も思いつかない。そんな自分を悟られたくなくて、口を強く結ぶ。
「結海は?」
 よかった。ひとまず気づかれてはいないみたい。
 机の下で左手を握りしめつつ口を開く。
「あ、うん。経済だよ。働くための勉強をしてる。」
「そっか」
 菜穂は少しうつむいて笑った。その笑顔は好きなことを話している時の顔とは違って引きつって見えた。
「うん」
 真っ暗な頭ではそれ以上の言葉が思いつかなくて、この話はそこで途切れた。
 他にもいろいろな話をした。
 苦手な先生に対する愚痴や高校までとは違う制度に振り回された去年の記憶など。一年以上会っていなかったのに、内容も勢いも変わらない。そんなものだから錯覚しそうになる。
 私達はまだ高校生で、進路なんて少ししか考えてない。今日もあの場所でのおしゃべりがとても楽しくて。ずっと喋っているんじゃないか。って。
 そんなわけないのに。
 もう私達は卒業していて、菜穂は自分のやりたいことを叶えてる。私と違って外に出ていて、私と違ってやりたいこともある。
 変わっていないのは。成長していないのは。きっと私だけだ。
 制服の菜穂はもういない。いるのは染めた髪がかわいらしい、私服の菜穂だ。

 もう何時間ここにいるのかな。
 盗み見た外は真っ赤だった。ちょうど帰宅ラッシュなのかも。やたら人がたくさんいる。
 流石に話すことも無くなって追加で頼んだ軽食をつまむ。
 菜穂、食べる仕草も洗練されている気がする。かわいくて格好いい。ぼーっと眺めていると目が合って、菜穂はにっこりと笑ってくれた。
う。気まずい。菜穂と二人、これだけ長い時間喋ることがそもそも初めてだから、会話のネタが尽きるのもお互い無言で気まずいのも初めてだ。気まずい。怖い。
 薄いコーヒーを一気に飲む。
 カラン
 グラスに当たる氷の音がやけに大きく聞こえた。
 そんな時女の子特有の甲高いはしゃぎ声が耳に飛び込んでくる。
 入り口を見てみれば学校帰りだろう女子高生たちが笑いながら一つのメニューを見ていた。
「懐かし。」
 薄手の生地でできた上着と野暮ったい丈のプリーツスカート。
 私達の高校の物ではなかったけれど、同じセーラー服。デザインは似通っている。
 菜穂が友達と楽しそうにここに寄っていくのを何回か見かけた気がする。それをにらみつけるように見ていた自分を覚えている。浅ましい羨望だと自嘲したことも、しっかりと。
 経験してみると全く大したことのないよと、昔の私に教えてあげたいくらいだ。
「はー。若い。めちゃくちゃ若い。」
「その短さのパンツはいてる人に言われたくないんだけど。」
「これはファッションだから! 制服は規則でしょ。どれだけ嫌でも校則通りに着ないと先生うるさいんだもん。」
「自分なりに着こなしがアレンジできるならまだ着れるわけ?」
「うん」
「正気か?」
 まじかこいつ。
 即答されておもわず口をぽかんと開けた。
「結海は違うの?」
 至極当たり前のように首を傾げられても困る。私はどれだけアレンジしても着れる気がしない。多分、その辺りの価値観が違うんだと思う。話が合うと思っていたから少し驚いた。
「私はもう着れる気がしないよ。」
「うそ」
「本当だって。私達いくつだと思ってんの。」
「ラストティーン!」
「今年二十だよ。」
「聞こえませんー!」
 思い切り耳をふさいでそこそこ大きな声を出す菜穂にデコピンをする。
「大きな声出さないの。」
「結海がおばさんみたいなこと言うから。」
 誰がおばさんだ。誰が。同い年だっつーの。
「菜穂が変なこと言うのが悪い。」
「そんな変なこと言ってないし! 絶対いけるから着てみようよ。結海私の制服着れるでしょ」
「無理! 自分の細さ考えてよ。馬鹿!」
 確かに今の菜穂なら着れるかもしれないけど! 一緒にしないでほしい。私は無理だ。
 元からスタイルが良くてきれいな子だったけど、磨きがかかっている気がする。
 カラーで痛んでいるはずの髪も丁寧にケアしているのか艶があってきれいだ。オーバーサイズのTシャツから見える華奢な腕もただ細いだけじゃなくてほどよく肉がついている。まだテニスやっているのかな。少し日焼けしてる。
 短パンから見える足を見て今はガウチョに隠されている自分の足と比べてみる。
 ・・・・・・やめよ。心の健康にめちゃくちゃ悪い。
「そんなに体格変わんなかったと思うんだけど。」
「明らかに私のが太かったでしょ。」
「ならもう見て確かめよ。うちで結海の制服と私の制服、どれだけ違うかサイズを比べるの。で、それ終わったら試着会。決定!」
「なに勝手なこと言ってんの」
「なんでも! これ私の連絡先。」
 菜穂はQRコードを表示した画面をぐいぐいと押し付けてくる。
これは交換するまでどけてくれないな。
 大きくため息をついて菜穂と同じアプリを開いた。


 今夜も気温は下がり切らない。エアコンのおかげで涼しい室内で菜穂から押し付けられたものをしげしげと眺めていた。
 本当に強引に押し付けられたし、日程まで決められたけどよくよく考えなくても話の流れ少し変じゃなかった? 途中から菜穂の制服着せられそうになっていたのは本当に何で。私の制服ですら来たくないんだけど。
「菜穂のペースに乗せられた。」
 眉間を指で押さえてため息をつく。かわいい猫のアイコンがしてやったりと笑っているように見えた。
 メッセージアプリには他にもたくさんの同級生の名前が並んでいるし、頻繁に連絡を取り合っている人もそこそこいる。
 でも、その中に菜穂の名前があることがなんだか不思議な心地だった。
 メッセージアプリはその特性上場所や時間を意識しなくても会話をすることが出来る。
 今までの菜穂とのかかわりとは正反対のそれが少し面白かった。
 アラームをセットして部屋の電気を消す。
 目を閉じればたくさんのことが頭に流れ込んでくる。今日は菜穂の事ばかりだ。
 菜穂とは中学から同じだったけど、結局6年クラスは被らなかったし、中学ではほぼ関りが無かった。
 きっかけは高2の春。1年の時に見つけたお気に入りの場所に足を運んだ時だった。
 屋上に入るためのドアの前、踊り場くらいの小さな空間。3階建ての校舎にある3.5階に位置するところ。私達の高校は屋上が立ち入り禁止だった。だから屋上に続く扉になんて誰も近寄らない。しかも、その下の教室がたまにしか使われない視聴覚室だったものだから、更に人気が少なくて。その場所は賑やかな昼休みでも静かだった。
 そこは唯一私が一人になれる場所だったからお気に入りだった。
家でも、クラスでも。なんだか息苦しかったけれど、そこでは息が出来る気がした。
 菜穂と初めて会話をしたのはその場所だった。
「結海ちゃん、だよね?」
 確かあの時は菜穂のが先にあの場所に来ていたんだったけ。で、少し戸惑った後笑顔で私を迎えてくれた。あの時も菜穂は明るくてかわいかったな。
なんとなく一緒にいるのが落ち着いて。お互い心地よかったから、少しずつ仲良くなった。他愛もない話をたくさんしていろんなことを共有しあった。
でも不思議と連絡先を聞くことは無かったし他の場所で菜穂と話すこともなかった。
 一人でいるためにあの場所に来ていたのに、いつの間にかあの3.5階は菜穂と話す特別な場所になっていた。
 その事実が心地よくて、嬉しかったのを今でもよく覚えている。

 ああ、でも。あの時だけは息苦しかった。
 お互い呼び捨てで呼び合うようになった頃、一度だけ。
「大学って終わりじゃないんだね」
 そう菜穂から言われた時。
 菜穂の言葉は端的で主語が無かったから、私は最初、菜穂の言っている言葉の意味が分からなかった。
 どういう意味? と聞くとこんな答えが返ってきた。
「私、気づいたの。大学の次にもまだ人生って続くんだって。しかも続いていく人生の方が今までより長いってことも。」
 これからの日本は人生百年時代らしい。
 まだ私達は未成年。人生の五分の一も生きていないわけだ。
 大学はだいたい四年なわけだから、大学なんてこれから先のほんの一部に過ぎない。
「当たり前じゃん」
「そうだけど! 改めて気づくと、なんていうか。分かる!?」
「わかんないからもうちょい頑張って教えて。」
「結海のいじわるー! えーっと、なんていうか。怖い! そう。怖いの!」
「何が」
「将来が」

「だって見えないじゃない。成人も就職も何もかも。見えなくて、怖い。先生は大学に進学するための事しか教えてくれない。大学だって勉強しか教えてくれない。私がこれからすることのやり方も探し方も何も教えてくれない。分からないことが怖い。分からないまま大人になることが、生きていくことが怖い。」
「結海は、大人になるのが怖くないの」
 いつもとはちがう、真剣な声色とあの子らしい真っ直ぐな目。
 そんな彼女から目が離せなかった。
 彼女は私を待ってくれていた。あたりに広がる張り詰めた空気は、決して私を責めていなかった。私は答えを出せなかったけれど。
 それ以降、あの真剣な声を聞くことはなかった。だとしても、私はあの声を忘れることはないだろう。
 そういう話はこれきりで、もっぱら楽しい話やとりとめない雑談ばかりを二人して話していた。
 進路も将来も。お互いたくさん悩んだけれど見ないふりをして別の道へ足を進めた。

 あの時怖いと言っていたのに菜穂は外に出たんだよな。外に出たい。そう望んでいたはずの私は地元でやってるのに。

 目が覚めて時計を確認する。目を覚ますにはまだ早い時間が映されていた。
「不快な夢だったな。」
 駅で菜穂と再会してからしばらく経った水曜日。二人の予定が合った約束の日。正確に言えば約束を押し付けられた日だ。
 菜穂の家族は全員出払っていて、かつ菜穂が一日フリーの日。今週末菜穂はあっちに戻るそうだから、この休み中直接会えるのは今日が最後かもしれない。
「友達の家に行ってくる。」
 靴ひもを結んでいると後ろから誰かが近寄ってくる音がする。
「結海ちゃん、お土産は持った? 忘れ物は無い?」
 少し高くて甘い気がする声。きっとこの声をお菓子にしたら食べれたものじゃないくらい甘ったるくてしつこいものが出来上がるのだろう。
 私はこの声が世界で一番嫌いだ。
「大丈夫だよ。・・・・・・門限までには帰る。」
 口の裏側を軽くかむ。見えないように強く握りしめた手に親指の爪が食い込むのが少し痛かった。
「待って、結海ちゃん!」
「何」
「ママの日傘持っていきなさい。今日は暑いから。」
「……ありがとう、お母さん」
 沢山の言葉を飲み込んで母親にお礼を言う。余計なお世話だ。すらいえない私は、やっぱり臆病だ。
 ちらりとファスナーのついていない大きめの鞄の中身を見る。中にはお土産と、袋に入ったセーラー服があった。
 この頭が固いお母さまは私が今からセーラー服を着に、友達の家へ遊びに行くとは思わないだろう。
「行ってらっしゃい。気を付けてね。」
 にこりと笑った。
 早い門限に娯楽の制限。寄り道の禁止と友達の選別。私のために母が用意した居場所は酷く居心地が悪い。
 ずっとこの場所が嫌いだった。今も早く外に出たいと思っているし、そのために私はこの扱いを甘受して金銭的な援助を受けている。
 菜穂もそれが分かっているからうちでやろう。とこの話を持ち掛けてきたんだろう。

「お邪魔します。」
「待ってたよ結海! ちゃんと持ってきた?」
「持ってきた。」
「よしじゃあ私の部屋へゴー!」
 お土産を渡す隙もなく菜穂の部屋に連行される。
「私こっち見て着替えるから結海はあっち見ながら着替えればいいよ。」
 いや、早い。行動が早い。サイズ比べするんじゃなかったっけ。この子、忘れてないか。まあいいか。多分、この子にそれを言っても無駄だろう。
 私服とは違うポリエステルの質感が懐かしい。固めの伸びない生地は着づらくて少し冷たい気もする。
 二の腕もう少し何とかならないかな。あ、まってウエストがやばい。アジャスターは足りたけどやばい。
 短い上着はウエストのやばさを強調してくる。リボンも、久しぶりだと感覚を忘れてる。六年鍛えたのに結び目が汚い。
「想像以上にきっつい」
 粗がいくらでも浮かんでくる。年以外でもきついところがありすぎる。
「結海、終わったー?」
「終わったよ。」
「じゃあせーので振り返ろ。せーの。」
 薄いプリーツが回る。その先には、自由に制服をいじった菜穂が目の前にいた。
 明るい髪色はそのままにメイクは制服に合わせて薄め。薄い茶色のカーディガンと少し短めのスカートは確かに菜穂に似合っているような気もしてくる。
「うわなっつかしいー。半袖! 結海も持ってたんだ。」
「ほぼ着なかったけどね。」
 大体の教室の空調は生徒優先で教壇までは空調が届かなかったらしい。そのためか特に男性の先生は空調をガンガン強くする人もそれなりにいた。だからだろうか、女子生徒の大半が長袖の夏服を着ていた。
 菜穂が今着ている夏服も長袖のものだ。
「あまりにも着てなかったから、クローゼットの隅にかけっぱなしだった。」
「私買わなかったな。長袖しか持ってない。」
「買わなくて正解だよ。もったいない。」
 冬用のカーディガンを持ち出してくる子がいたくらいには教室のエアコン事情は女の子に対してやさしくなかった。念のためと買ったはいいものの、二、三回しか着ていない気がする。元なんか当たり前のように取れていない。不経済だ。
 染髪はおろか、化粧は厳禁だったから今の菜穂の姿には強く違和感を感じる。綺麗に染められた髪と少し大ぶりのピアスが付いている耳元は制服と合わせると少しアンバランスに見える。
 自分の格好も振り返って、似合わないなあ。なんて自嘲していると、菜穂が少し頬を引きつらせて下がり眉で笑って言った。
「きつかったね」
「でしょ?」
「うん。自分で思ってたよりもきつかった。うまく言葉にできないけれどなんか駄目だ。きつい。」
 ファンデーションは使ってないのかな。アイメイクとリップだけ。でも、アイメイクは控えめに見えるだけで結構しっかりやってるし、リップの発色もいい。
「制服メイクはいつものメイクとはいろいろ違うんじゃない?」
「そうかも」
 2人して似合わないことが面白くて笑いあいながら雑談をする。内容は、必然的に過去の話。何が楽しかったとか先生の悪口とか。あの場所で話していた内容に似た会話をした。
「私達、なに話してたっけ。愚痴?」
「覚えてない。でも、くだらなかったのは覚えてる。」
 嘘だ。全部覚えてる。あの時間も、あの場所の空気も。私は全部覚えている。
 誰にも干渉されないから私はあの場所が好きだった。私達だけの閉じられた空間が、世界がどうしようもなく愛おしかった。今でも大切な記憶として大事に箱の中にしまっている。
「ほとんど中身無かったよね」
「すっからかんだったよ」
 くだらないことが楽しくて。他愛のない話が嬉しくて。
 本当にその話ばかりしていた。
「でもさ、一回だけまじめな話してたの覚えてる?」
「覚えてるよ。」
 忘れるわけがない。夢にも見た日だ。私が何も言えなかった日。情けない記憶。まさか菜穂の方から話を振られるとは思ってなかった。
 少し驚きつつ口を開く。
「今更だけどさ。ごめんね、答えだせなくて。」
 まずはずっと言いたかった言葉を口に出す。この謝罪はただの自己満足でしかない。それでも真剣にぶつかろうとしてくれた菜穂の思いを台無しにしてしまった気がしたから。謝りたかった。
「私こそごめん。自分でも答えが出せないようなこと聞くもんじゃなかった。」
「ううん。いいよ。それで、答えは出たの?」
「いや、まだ出てない。でももう怖くはないよ。」
「どうして?」
 この子の話が聞きたくなった。怖い。不安だ。と言っていたあの子がどんな道を歩いたのか、気になったし、聞けば自分も何か手につかめるような気がした。
「私が今行ってるところは、色々総合的にやれるところでね。それこそ服飾に関することなら何でもできちゃうようなところなの。」
「うん」
「でも、県外だと下宿でしょう? すごく迷ったの。学費以外でも親に負担を掛けることになるわけだし、一人暮らしとかできる気しないし?」
 進路の話は全くしていなかったけど、大学や専門学校の資料をたくさん読んでいることは知っていた。たくさん悩んでいたのを知ってる。
 口には出さなかったけどお互い色々迷ってたことも悩んでいたことも知ってた。
「でもさ、菜穂はもう自分の進路を決めてたでしょ。」
「うん。そこに絶対行くって思ってた。」
 そんなところに憧れていた。私も菜穂みたいになりたいと思っていた。
「今ね、すっごい楽しいの。大好きなことが、知識が増えることでもっと好きになる。今まで想像でしか作れなかったものを自分の手で作れるようになる。それの連続。そんな日々が楽しくて仕方が無くて。帰って来るのを忘れちゃうくらい、夢中になってた。」
「それが菜穂の見つけた答え?」
「それは少し違うかな。答えはまだ見つけられてないよ。でももう怖くない。」
「なんで?」
「楽しいから! 今楽しいから全てどうでもよくなった。ってわけじゃなくてね。都会ってすごいの。こっちより色々な物があるし、簡単にどこへだって行けちゃう。これまで見たことも無いようなものや聞いたことのないようなものにこの一年でたくさん触れた。それでね、なんというか自分の世界が広がる感覚がしたの。しかも広がるだけじゃなくてもっとはっきりと綺麗にみえるようになったというか。そんな感覚がしたの。
これから歩く将来への不安は確かにある。あるけど、世界が広くて綺麗なことを私は知っちゃったから。自分の好きを仕事に利用する道もあって、手を貸してくれる人もいるんだってことを知れたから。不安はあるけど怖くない。」
 ああ、同じだ。と直感で思った。菜穂が経験したことの多くが、大なり小なり私が経験したことに似通っていた。
 大学に入ってから、世界が広がった。
 バイトの許可に指定のない友達、通学時間の増加。その影響で門限も前より緩くなったからこっそり寄り道して今まで禁止されていた娯楽を楽しんだりできるようにもなった。
 それで満足かと言われたら全然足らない。やりたいことはまだたくさんある。
 菜穂の話を聞いて、より強く思ったことがある。
「私ね、外に出たいんだ。」
「知ってるよ。」
 あの場所で何回も愚痴を言った。菜穂はいつも笑顔で慰めてくれて、その優しさが嬉しかった。
「だからね、頑張って働いて、お金貯めたら。私もそっちに行く。」
 菜穂。大切な思い出のひとかけら。初めての選別されていない友達。私の憧れの人。
 菜穂は外に出たくて出たわけじゃない。やりたいことが存在してそれをやるために外に出ざる得なかった。
 私の目的はあの子にとって手段だった。それが羨ましかった。私にはそこまで夢中になれるくらい好きな物は無かったから。外に出ることだけを考えていてその手段になる物の事なんて何も考えられなかったから。
 働くための勉強を今しているのは菜穂に出会ったからだった。菜穂に出会ってなかったら、私はきっと就職して無理やりにでもあの家から出ようとしていただろう。それはそれでよかったのかもしれない。でも、少なくとも今の私はこの選択をしたことに後悔をしていないから。それだけでいい。
 この一年半。広がった世界には色々な人がいた。母が危惧したような危険で野蛮な人も確かにいたけれど、優しい人もたくさんいた。そんな母親利用すればいい。と言い切ってくれた友人はその代表格だ。
 菜穂はその全てのきっかけ。母の選んだ友達からは聞けなかった話や娯楽を菜穂から教えてもらった。友人が代表格なら菜穂は初めての人だ。私の手を取ってくれた初めての人。その初めての人であり、憧れの人である菜穂に追いつきたいと思うのはきっと自然なことなのだろう。
「うん。待ってる。」
「菜穂こそそっちで就職できるように頑張りなよ」
「勿論」
 それからしばらく他愛のない話をした。
「結海はずっと先見ててすごいよね。私みたいに怖がらないし。」
「それまじで言ってる? 菜穂のがしっかり先見てるよ。」
「いや無いわ。てか、私が先見始めたのは結海の影響受けてからだかんね!?」
 あの場所に戻ったように。あの場所ではしなかった、将来の話をした。

 スマホのアラームが鳴り響く。私のスマホだ。少し早めに設定しておいてよかった。制服も着替えずに話し込んでいたのを思い出せた。
「いい加減着替えよっか。」
「うん。」
 話ながら着替えに入る。体育の前の更衣室みたいだ。
「そういえば、結海の制服どうする?」
「あー。どうしよっか。」
 そこそこ長い時間着ていたし、洗濯しないまま放置したくない。コインランドリーでも使うか。とまで考えたとこで、ふと思いだす。
 そういえば冬服はお譲りしたな。と。
 何なら夏服も長袖の方は母の伝手で私の知らない人の手に渡っている。おそらく今も誰かの元で役に立っているのだろう。半袖は譲ってもほとんど使わないだろうからと譲渡しなかった結果放置されただけだ。(残るなら上下セットで残ってないとなんだか心地が悪いと母が言った結果二枚持っていたスカートの片方だけが知らない人の手に渡った。)
 つまり、無くてもどうってことはない。
「菜穂、捨てといてくれない?」
 制服の菜穂はもういない。制服の私も、もういない。だからこれはもう必要ない。
「なら私のも捨てよ。」
「良かったの?」
「だってもういらないもん。」
 それだけ言って菜穂は笑う。
「そうだね。」
 私も笑った。多分、今私達は同じ顔をしている。なんとなくだけど、そう思った。


「今日めっちゃ楽しかった!」
 菜穂の家の玄関前、そろそろ帰らないと門限に間に合わない時間。
 なんだか名残惜しくて菜穂と二人手をつないで帰路についている。
「私も。次いつ帰ってくるの?」
「年末! 次は宅飲みしよ!」
 私は九月で菜穂は十一月。菜穂が怖がっていて私が待ち望んでいた二十歳までもう半年もない。
 もう菜穂は怖がってないし、私はそこまで渇望しているわけではない。
「わかった。」
 でも、菜穂とお酒が飲めるのは楽しみだ。お酒は人の見えない面を暴くらしい。見たことない菜穂もきっとかわいいし、理性を薄くしてバカみたいな話を二人でするのもきっと楽しい。
「このあたりでいいよ。」
「そう? じゃあ結海、また今度!」
「うん、また今度。」
 中学生の頃、まだ互いを認識していなかった。
 高校生の頃、私達が話せるのはあの場所でだけだった。
 そして今、赤く染まる空の下で私達は笑顔で手を振りあってる。
 私達の世界はこれからもきっと広がっていく。その先に何があるのか、私も菜穂も知らないけれど。知らない道を歩けるだろう。目的をもって歩くことが出来るだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?