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母をたずねて三センチ

                              桑田恵美


 おかあさん、ごめんなさい。自分は、おかあさんの思う、立派な子には、なれませんでした。自分は、意気地なしです。どうしたらいいのか、分かってる。でも、出来ません。ごめんなさい。
 部屋にこもってから七ヶ月くらいは経ったのであろうか。私は桑田恵美。以前までは地元の中学に通う、ごく普通の中学生だった。ただ、ごく普通の中学生はごくありがちな悩みによって、今は引きこもりでいる。いじめだ。
 いじめをするための理由なんてものは、何だって良い。スカートの丈を少し短くしているだとか、この間休んだのは当番をサボるためだとか、それらしい理由を適当に付けて、自分を正当化する。私に付けられた理由は、「先生に媚を売っている」だった。もちろん、私は先生に気に入られるために何かをしたつもりは一切ない。本当のいじめられる理由を挙げるとしたら、私は大人しく目立たなかったからだ。
 ただ、私はそのいじめに耐えることが出来ず、今は自室にこもってしまっている。
 学校に行かなくても学校の勉強はすることが出来る。私がいつものように学校の勉強をしていると、ドアの向こうから声が聞こえてきた。
「恵美、ご飯置いておくから」
 お母さんだ。お母さんは、そう言ってご飯をドアの向こう側へそっと置いてくれる。
 正直、お母さんには一番申し訳ないと思っている。自分のせいではないと言っても、きっとお母さんは私自身よりもずっとこのことで心を痛めているはずだ。それでも私は、このドアの向こうに出ることは出来ない。
 いつからか、私はここにこもっている理由が曖昧になってしまった。いじめられていた時の苦い記憶は薄れていき、今はただ何となく、この場から離れることが出来ないという感覚に陥ってしまっている。それと同時に、今は段々と将来に対する現実的な不安が私の頭をもたげてくる。来年には受験勉強をしなくてはならない、学校の成績も関わってくるといった現実から目を背けられなくなってくる。
 十一月。かなり冷え込む朝が増えてきた頃、いつものようにお母さんが朝ごはんを置いていく。引きこもりの日々がすっかり日常となっていた時に、お母さんはドア越しに声を掛けた。
「これからがあるよ、恵美。今を越えればきっと良いことがあるよ」
 その言葉は、お母さんの優しさとは裏腹に私の心を激しくかき乱した。私の目から、涙が溢れた。分かっている。いつまでもこんなことをしているわけにはいかない。この部屋でこの先一生暮らすなんてことが出来るわけがない。でも、身体がドアを開けることが出来ないんだ。三センチ向こうにいるお母さんが遠すぎて、私には届かない。私はこの時、無理にでもドアを開けるべきだった。今ではそれが最良の選択であると分かっている。でも、その時の私は最悪の選択をしてしまった。
 数日後、私は部屋のフックにマフラーを掛けた。私は、もう部屋を出ることは出来ない。だから、出来るだけ迷惑を掛けないうちにさっさと死のうと、そんな風に思っていたのかもしれない。震える手で、私はお母さんに遺書を書いた。


 おかあさん、ごめんなさい。自分は、おかあさんの思う、立派な子には、なれませんでした。自分は、意気地なしです。どうしたらいいのか、分かってる。でも、出来ません。ごめんなさい。
 この間も、おかあさんは、ドア越しに、言ってくれたよね。これからがあるよって。でも、違うの。自分には、今しかないの。今という、この瞬間、自分は、生きてることが、存在してることが、精一杯で、自分は、明日とか、これから先とか、考えられない。いつも、綱渡りをしてる気がして、ふわふわして、でも重いなにかは、いつも、背負ってる。正直、それが、何かは、分からない。どうして、ここに、こもったのか、理由は、色々ある。でも、これといった、一番の理由は、分からない。何をすれば、いいのかは、分かってる。このドアを、開けて、おかあさんに、謝って、もう迷惑を、掛けないように、頑張る。おかあさんが、なってほしいと、思う自分に、なる。でも、出来ない。なんでかは、分からない。ごめんなさい、自分は、バカだから。多分、勉強、しなかったからかな。でも、これだけは、分かる。自分は、過去の人に、なります。過去の人は、もう、何かを、伝えることは、何かを、否定したり、抵抗することは、出来ない。今いる人が、自分のこと、勝手に、言ったり、勝手に、考えても、自分は、違うと、言えない。辛いけど、仕方ない。過去の人に、言葉は、無いから。今は、今の人のために、あるから。だから、おかあさんは、ずっと、今の人でいて、下さい。自分は、何でも、良いです。どうされても、今より、ずっと、良いです。

 ありがとう、おかあさん。


 今、振り返ると何を書いていたのかサッパリ分からないが、自殺を前に動揺していた私には精一杯だった。私は遺書を書くと、輪にしたマフラーの真下に置いた。そして、その輪に首を通すために椅子に足を掛けた。
私がまさに輪に首を通したその時だった。ドアの向こうから声が聞こえた。
「恵美、何か食べたい物はない? 明日は恵美の誕生日なんだから。好きな物、言ってごらん」
 また、私の目から涙が溢れた。首に掛けたマフラーが涙で濡れて、暖かみを帯びた。私は、生きているんだ。明日になれば、好きな物が食べられる。明日になれば、きっと良いことある。一時の悲しみのために私はこの先全てを台無しにしてしまうのか。そんなの、絶対にダメだ。私はすぐにマフラーを外した。慌ててフックから取り去り、椅子も元の場所に戻した。
 そして、大きく深呼吸して、ドアを開ける。外の光を全身に受け、私はお母さんの前に立っていた。目を大きく見開くお母さんを前に、私は少し照れ臭そうに言った。
「オムライス、がいいかな」
 私がその言葉を言い終えるかその前にお母さんは私を強く抱きしめた。すごく苦しかったが、心地よかった。きっと、マフラーで首を吊っていたらこんな心地よさは味わえなかっただろう。
 こうして、私は少しずつ幸せな日常を取り戻している。辛い時、苦しい時はきっと誰にでもあるだろう。でも、それを乗り越えた先に必ず良いことがある。今を一生懸命に生きることが何よりも大切なことなんだ。私はそのことをお母さんに教えてもらった。きっと私のように悩んでいる子にもそれを教えてくれる人はきっといるだろう。諦めないで頑張ってほしい。

 ありがとう、お母さん。  


 この作品は、桑田恵美さん(仮名)のご家族の体験を基に「中学道徳 みらいの君へ」の掲載向けに作成されたフィクションです。一部、恵美さんの遺志を尊重し、本人の手紙を原文通りに抜粋致しました。

〈二〇三〇年五月十二日 初版第 一 刷発行〉
〈東光書籍〉
            

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