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くわしく書けないバレンタイン前夜の傷

あれは、今からまだ10年は経っていない今日の日付、(その年は土曜だったか?)の夕刻、いつもの如く三途の川の岸辺の店のカウンターで「まだ寒いけど陽はだいぶ延びたねえ…」などと通りを見て独り言ちつつ、ちんぐの水割りのジョッキを舐めてたら、勤め先の最寄りの小さなお稲荷さんの向かいにある飲み屋さんのオーナーからオレの携帯へ電話が。

「ぺぺさんの会社のビルの入口で事故です。大変なことになってるからとりあえず連絡入れました」とのこと。

東日本大震災以降、オレは社内では「新宿二丁目にある社屋の最も近くに居住している社員」として、総務部の所属でもないのに、緊急時の幹部連絡網に組み込まれていることもあって、週末ごとにある仲通りイベントの乱痴気騒ぎにかこつけた社屋への、やれイタズラやら不法投棄とか、ドラマや映画の撮影ロケ協力時の人だかり情報とか、エントランスの積雪状況とか、大小かまわぬ弊社に関係する諸々のアクシデントの際の風評も含めて、こういったご近所さんの善意の通報はありがたいことこの上なかった。

まずは連絡をくれたことへのお礼をまかない屋マスターへ丁重に伝えると「とりあえず今、現場を見てるけど急いで来た方がいいよ」と切迫した口調。

「何かあったようなので、ちょっと行ってきます」

と、携帯を切って今は亡き常務に告げるや否や店を飛び出した。

3丁目の店のほとりの信号をそのまま向こう岸の2丁目に渡りきれば会社までは2百メートルぐらいか。おそらく電話を切って現着まで1分はかかっていない。

宵闇が迫りレトロな装飾の施された街灯が煌めき始めた通りの現場は騒然としていた。

その状況の中、土曜は定休日なので、社屋ビルのエントランスの円柱型自動ドアは止まっている関係から、その手前が伸縮する鉄柵で閉鎖されているその歩道から会社の入口部分へ、タクシーが斜めに文字通り突き刺さるように突っ込んでいた。

それを見て、オレは人生で数少ない泡を食った。

以下略。

書けない。まだ書けるわけがない。

あれ以来、世間はどうであれ、聖人の受難日に寓けた毎年の祝祭イベントの前夜も当日もオレにはまるで他人事。

知ってか知らずか義理にしてもチョコをいただけば、そこはそれ社会的にも礼は述べるけど、正直気も漫ろ。

毎年考えてしまう。

あの時、もっと早く気づけば、あと一歩だけ踏み出せば、結果は変わらないにしても、せめてひと晩一人きりで放置はせずにすんだのに…。

もう少し冷静に考えて、慎重に手がかりを見つけていたらと、ひたすら自分の頭の出来の悪さを呪う。

もっと彼女にも周囲にもできたことがあったはず。仕事に対してもプライベートに対しても。

同県人だからこそ、近づきすぎて嫌われるのが怖かったし、遠慮があったのも事実。

オレは、最悪の同郷の先輩で上司だった。

「美人なんだから、自信持って頑張れ」なんて、救いようのないひどいセリフだ。

そういうわけで願わくば、オレに対してハッピーバレンタインの文言やそこに纏わる一切の気配りは不要です。

Мさん、次に会った時は、後からのこのこ現れたオレに鼻や眼鏡の部分でなきゃ何なら思い切りグーで一発殴ってもいいよ。いや、謝る機会をくれるより、むしろ殴ってくれ。

その方がオレの腹の虫はおさまるから。

https://www.huffingtonpost.jp/yoko-kuroiwa/death-of-a-loved-one_b_16137062.html


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