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触っただけでわかる男
ある意味では時代を映す鏡なのかもしれない。
彼の存在は。
これまでも、男の価値を表すさまざまな言葉が生まれてきた。
『上質を知る男』『違いがわかる男』『一歩先を行く男』『男は黙ってサッポロビール?』などなど。
確かに男は消耗品なのかもしれない。でも男には消耗するだけの価値があった。
時代は変わりジェンダーレス社会の到来。
男はもう何かの男ではなくてよくなった。
にもかかわらず忽然と現れたのだ。
彼が。
彼のことを人はこう呼んだ。
『触っただけでわかる男』と。
私は一度だけその男に話を聞く機会に浴した。
それまであまり表立って語ろうとしなかった男が、私に話そうと思ったのは、「何もかも話したくなったあとだったからだ」と説明してくれた。
男の話によると、彼は平凡な家庭に生まれ、平凡な人生を歩んできた。何も不満はなかったし、とても幸せだった。
でも大人になりたくなかったので(その思いは異常なほど強かったらしい)、ずっと何にも触らないように意識してきた。
何も触らなければ大人にはならずにすむと彼は堅く信じていたらしい。
その甲斐あってかどうかはわからないが、彼はなかなか大人にはならなかった。
いい歳をして顔も童顔だし、中身も子供のままだし、とにかく何も触ったことがないので、同世代の連中からはとても馬鹿にされた。
でも彼は何も触らずにきた自分を誇りに思っていたし、大人にならなかった自分の世界を最大限楽しんでもいた。
しかし、ある時、転機が訪れた。
彼の噂を聞きつけた巨大テックから研究者がやってきた。
「次世代スマホの『非タッチパネル』の開発にあなたのお力を借りたい」と言ってきたのだ。
新技術の開発には“触らない力”が必要らしい。
報酬として莫大な金額を提示された。
彼が並の人間ならその金に目をくらませられて契約していただろう。
でも男の中身はあまりにも子供だったので、全くなびくことはなかった。
むしろ、家を飛び出すと、手当たり次第にあちこちを触りまくった。
まるで大人に対する反抗期が一気に来たかのように。
不思議な感覚があった。彼が何かに触ると、全てがわかったのだ。
まるで、見えないQRコードをこするみたいに、触ったものの情報が事細かく伝わってきた。
製造年月日、原材料、成分、原産地、気候、健康リスク、糖度、硬度、燃焼性、揮発性、汎用性、将来性、分布……。
情報量のあまりの多さに手が震えた。
両親が止めに入るまでそれは続き、巨大テックの人たちは諦めて帰った。
でもその時に彼は心の中でひしひしと噛み締めていた。
『自分は触るだけでなんでもわかる人間なんだ』と。
やがてその噂も広まってしまい、彼はちょっとした有名人にななった。
そしてちょくちょくテレビショーを賑わせるようになった。
そう、彼はそういう意味では大人になってしまっていたのだ。
司会者が指示したものをどんどん触って答えていく。
お茶の間はその類まれな能力に驚愕するとともに最大の賛辞を送って、人気者になっていった。
『触ればわかる』や『触らっしゃい』などの流行語も生まれ、彼は絶頂期を迎えつつあった。
周りの彼を見る目も変わり、彼の風貌はどんどん自信と野心に満ちふれた大人になっていくように見えた。
だがしかし、彼は『人生そのもの』に触ったことがなかった。
触っていればあるいは、『まさかの坂』があることを知り得たかもしれない。
でも全ては遅かった。
あっさりと主役の交代劇が起こった。
『さわりだけでわかる男』が現れたのだ。
その男は“さわりだけ聞けば”全てわかった。
とにかく触るよりも早かった。
さわりだけで分かる男はタイパの時代に大いに受けて、瞬く間にスターダムにのしあがった。
当然のことながら、それと入れ替わるようにして、“触っただけでわかる男”の出番はなくなっていった。
時代とは残酷なものだ。
私が男の話を聞いたのはちょうどそんな時だった。
記事にする謝礼として少ないが包んだものを渡そうとしたら、「触らないようにしている」と断られた。
何かを強く後悔しているようだった。
彼は椅子に疲れたように座って語ったあとで、最後に「子供に戻りたい」とぽつりと静かに言った。
終
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