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スペ3持ってそうな男子
暖冬のわりには寒い夜。
それでも渋谷の駅前ではたくさんの人が誰かを待っていた。
再開発された夜が今日も人を惹きつけている。僕もそんなうちのひとり。
スクランブル交差点、人の往来。
たしかに明日をも測れない時代かもしれないけど、人々は会いたい人と待ち合わせをして会う。いかなる万難を排してでも人は会いたい人に合うのだ。
つまりはその渋谷の夜景がその証明そのものだった。
ひとはひとりでは生きていけない。東京はそのことを都市機能の粋を集めて教えてくれてる。今夜も僕らに。
そして幸運にも今夜、僕はすぐに君に会えた。
あらゆるアルゴリズムの外側の君に。
君の笑顔は僕をいつも健全に耽溺させてくれる。
手をつなぐのが先で
ことばはそのあと。
「待った?」と君は前述の笑顔で。
「ちょうど今きたところさ」
「ほんとに?」
「ほんとさ」
君は肩をすくめるポーズが若い頃より上手くなったと言ってた。学び直したんだとか。
ふたりでふたりのペースで歩き始めた。渋谷の街を。
きょう仕事疲れたかどうか聞き合った。
僕が君の横顔を見る度に、君は一度まじめな顔を作ってからこらえられなくなってた。
僕は今日は昼間はずっと品川で勉強をしていた。
会社で学び直しの機会をつくってくれて、その座学があった。
遅刻しそうになってしまいタクシーで東京一低い1.5Mのアンダーパスを通ってもらった。
運転手さん曰く「嫌がるお客さんもいらっしゃいますよ、ここ通るのを。閉所恐怖症のかたとか……。東京無線さんはここ通るためにアンテナの上のとこ削ってるんですよ、今度見てみてくださいよ」だそうだ。
「こんど、見てみます」
学び 直し。
おかげでなんとか間に合った僕は、有意義な学びができた。
このデートにも少しは役立つかもしれない。
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さてさて、いい雰囲気な渋谷の僕らは、ちょっとした夜景の見えるエレベーターに乗る。
建物が高いとそのぶん夜の腰は低くなる。
つまり僕らを丁重に扱ってくれる蓋然性が高い わけだ。
上昇しながらの景色に見とれる。隅々までドラマが光ってる。
「きれいね」
「うん。このガラスに君が映ってるからね」
「違うわ、この夜景よ」
「見落としてたよ。夜景を。でも綺麗だな」
「ふふ、お勉強でつかれた?」
「学び直せたよ」
「メイクがんばったの あたし 今日」
「きれいだよ」
「学び 直しよ」
「うん」
うん。
エレベーターがある種の美麗と威厳を保ったまま上層階に止まって扉が開く。結局は今日予約したお店の雰囲気がそうさせたのかもしれい。
コートを預かってもらう。
レディファースト。
席に着く。主張しすぎない程度の東京の夜景付き。
ジャズピアノを聴いて
ワインを注文。
乾杯。
夜景がきれいだと酔いが早くまわる。
向かい合わせ、君も同じみたいだ。
勧められた知らないワインを飲んだ。
君はワインに詳しかった。
「どう?いっぱい学んだあとのワインは」
「うまいよ」
そういえば今日学び直した同じクラスの人たちはそのあとで飲みに行く人が多かったみたいだ。きっとみなさんいい酒を飲んでることだろう。
「なんかずるい。わたしも学ぼっかなー。ワイン検定受けてみよっかなー」
「へーいいな、オレはチーズ検定いこういかな」
僕はチーズを口にしていた。
「あーずるい、それならわたしはテーブルマナー検定とグラス検定のダブルよ」
「そんなら生ハムとクラッカー検定のダブル」
ピアノ即興演奏でワインがすすんだ。
ビル・エヴァンスはかつて「修練と自由は繊細に交わり合うべきだ」と言った。僕もそう思う。とくに学び直ししたあとなんかには。
君は腕をまくるポーズで「負けないわ、そっちがそうくるならわたしはコルク栓と樽検定よ」ときた。
僕が次のを考えて言おうとしたら、“待った”がかかった。
「いや、でもやっぱりやめるわ」
負けず嫌いの君にしては珍しく先に降りた。
理由はこうだ。
「だってスペ3持ってそうだもん、あなた」
「え、スペ3⁇」
「うん、そう」
君は頷くと今夜いちばん上品なしぐさでワインを一口飲み、最高の顔の角度で僕を見てきた。
こっちとしてはなんかたじろぐ……。
「持ってないよ、そんなの、オレは……」
「前から言おうと思ってたのよ。あなたの態度ってほんとはスペ3持ってるって感じなのよね」
「なんだよ、それ、ちょっとやなやつじゃんかよ。それに持ってたら持ってるって言うタイプだけどな……オレは」
「ほら、それよ」
「え?」
「やっぱり持ってるんだわ、スペ3」
君は完全にパルプフィクションのポスターの女の人の目になってる。
「そんな……かんべんしてくれよ」
僕は即興演奏にのせて“降参”のジェスチャーをした。
でも
実は
背広のポケットの中に
持ってる……
わけ ないけどね。
ポケットのふたを出しとく場合としまっとく場合のマナー聞いたけど忘れた。今度学び直そう。
終
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