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99%の故郷

 僕がこの街で暮らすようになって随分と久しい。生涯の大切なパートナーを連れて、幼い日を過ごしたこの街に居を構えることができるのはまさに幸福な人生の筆頭であろう。
 この街もそうだが、日本という国は僕にとって大切な存在だ。母国ということもあり心地よく、治安もいいし、食事も最高に上等で、しかも閑静である。僕にとってはこれ以上の立地はないし、何一つ不自由をしていない。

 理想的な生活。愛し合うパートナーがいるということも、この幸福に拍車をかけ、思わず噎せ返ってしまうような幸福感と隣接する危うさのバランスが日々を彩っている。
 唯一、僕がこの街において気に入らないところを挙げるとするなら、僕らが結婚することができないことだろう。

 僕のパートナーは同性だ。性別ひとつ違えば、結婚して社会的な責任を持ちお互いのことを守り合うことができる。パートナーは元々ヨーロッパ出身なのだが、僕の生まれ故郷で暮らしたいということもあり、今日日本での暮らしをしている。
 正直なところこの話に僕はかなり悩んだ。確かに僕も、住み慣れた日本での生活を望んでいるが、ただその一方で日本では同性婚の制度はない。将来的にできるようになるかも、では遅いのだ。僕は今、パートナーとここで暮らしていて、将来のリスクを互いにぶら下げて歩くことになる。

 間違いなくこの国は美しく、そして暮らしやすい。所得もそこそこあるし、足を伸ばせば大抵のものは手に入るし、日本国籍のパスポートがあれば出入りできない国のほうが少ない。
 それなのに、僕はパートナーと結婚できないというただ一点で、故郷での生活に地団駄を踏んでしまった。決して故郷が嫌いであるとか、無関心であるとかではないのに、むしろ地元愛の強い方を自負しているからこそ、この出来事については自分が一番ショックだった。

 そんな僕の躊躇に対して背中を押したのはパートナーだった。彼の故郷は同性婚もあるし、ある程度先進国であるため、大抵は日本と同じようなところだろう。それなのに、僕のためを思って日本を選んでくれた。彼は地元にあまりいい思いがなく、自分の国に帰りたくなかったのかもしれないが、それでも僕のことをある程度思っていたくれたのは間違いない。
 それでも、同性婚という制度そのものがないというのは、僕や彼にとっては大きなリスクである。しかし同時に、それに対してデモなどを起こしてまでひっくり返そうとは思えない。

 なんだかんだ言いつつ、僕はこの街が好き。
 少し寂れた空気感の瀰漫する町並み、20分も車を走らせれば田園が連なり、四季に応じて過剰なほど表情を変える地平線はまさに贅沢の一言だ。幼い日に見た景色と現代の景色を重ね合わせるのも悪くない。黄昏時に彷徨うように過去と現実を心のなかで行き交うのは、それだけで心をあの日の少年に戻すには十分すぎる。

 でも、大好きだからこそ、欠落した「結婚ができない」というのが際立って見える。だからだめ、ではなくて、「あぁ、できないんだ」くらいの感覚。その些細な感覚が僕の心に一欠片の蟠りを残している。
 この街での暮らしは本当に楽しい。充実し満ち足りている。だけど、常に不安がつきまとうのも事実だった。

 もし、どちらの身に命に関わる重大ななにかが起きたとするなら、僕らはお互いのことを看取ることも、遺された方と繋がりを名前として残すことすらできない。
 彼は気にしていないとは言っていたけど、そのたびに「結婚って、いいな」と思ってしまう。他の部分に何一つ不満がないし、この街で死にたい。それは、結婚がないこの街でも変わらない。
 ただ、結婚ができれば更に暮らしやすいし、安心して暮らすことのできるのだと思う。

 別に結婚をしている異性愛カップルが妬ましいというわけではない。結婚なんて綺麗事ばかりじゃないし、何かしらの理由で事実婚に留めている場合もある。ヨーロッパだったら非嫡出子は珍しいことではないし、結婚という儀式的なことを好まない人もいる。
 だけど日本では、結婚と事実婚の間のような制度は現状ない。将来的にはその可能性もあるけど、その将来に僕と彼は存在できるだろうか。

 昔、僕らのような関係性に「結婚してなくても立派なふうふじゃん!」と言われことがあった。
 彼はそれに対して笑っていたが、僕は内心怒りを蓄えていた。後になって、彼に「結婚できて、死んだ後も関係が明記されるヤツに言われたくないよ!」と愚痴ったのは記憶に新しい。
 今は冷静になっているが、あのときは本気で憤ったことを覚えている。まるで上から目線で見下されたような気すらした。そんな状況でも彼は笑って「いつか夫々になればいいよ」と諭すばかりだった。

 そう、彼に言われて気がついた。

 僕は、「結婚ができるから住みたい」わけじゃないんだ。「この街が好きだから」暮らしているし、これから先も暮らし続ける。
 そこが結婚できれば万々歳、そうでなくても僕らは幸せ。その単純な答えに至るまで随分と回り道をしていた気がする。確かにリスクはあるけど、僕はこの街で、彼と過ごす日々がかけがえのないものなのだ。

 でもやっぱり結婚したいな〜、そんなことを言うと、彼はまた笑いながら僕の背を叩いた。

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