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SNSの本質は200年前から変わらない

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この前ね、会社の先輩から新米Webマーケターとして「この本は読んでおいた方がいいよ」ってのをおすすめされて読んだんですよ。

『のめり込ませる技術』

分厚いし、翻訳書籍だからかなり読みにくいんだけど、うなりながら、斜め読みで読んでいったんです。

なんとか、この本からの教訓を得ようと頑張ってたんだけど、2つのことがわかりました。

・作り手のユーザー側の交流が大切なのは、SNSに始まったことではない。連載小説が生まれた1800年代からある。

・ストーリーへの没入感・参加感は映画を作ってきた人も心血を注いできた。

今のSNSって伸ばすには「ユーザーの交流が絶対!これが新時代のコミュニケーション!」みたいに言われるけど、この本によると、その原型は連載小説がイギリスで生まれた1800年代からあったらしい。

その頃って書籍で一方的に何かを語るのが超当たり前だったらしんだけど、連載小説がでてきて、「少量の文章を書く、読者からの反応をみて、文章に反映する」ってやりとりがすでにあったらしい。

連載小説って今でいえばお堅いイメージだけど、この時代の連載小説って、先進気鋭のメディアみたいな位置付けだったらしいよ。

今のSNSと一緒感あるよね。

メディアに参加したいってのはツイッターとか、インスタに始まったはなしじゃなくて、人としての本質的な欲求なんだな、って。


あとさ、YouTubeもブログも運営する我々からすると、ユーザーに没入してほしいわけですよね。視聴維持率がほしいし、回遊率がほしい。

この数字をとるために僕らは心血を注いでいるわけです。

でもそれってこれらのメディアが出るずっと前から世界のすごい人たちはやってきてるわけなんですよね。

『アバター』で3Dをやってみたり、映画の世界を自由に歩けるゲームを同時公開してみたり。


なんかSNSとかYouTubeとかって「新たしいメディアだ!」「新しいコミュニケーションの形だ!」って叫ばれるけど、作り手側と受けて側がボーダレスで関わりたいってのはもう何百年も前からあって、これって人間の本質的な部分なんだろうね。

連載小説から映画へ、雑誌からSNSへ。テレビからYouTubeへと媒体が変わってるだけで、人間の本質的なところは変わってないんですよ。

なんかそう考えてたら、目先のアルゴリズムを追うだとか、そこが本質じゃないんだろうなって感じたわけです。

一応書籍のリンクを貼っておきますが、正直購入はおすすめしません(笑)翻訳文が超絶読みづらいですので。

https://amzn.to/394na2y


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