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3歳ぐらいから人間ウオッチングは始まった。そして今の私✨✨


私は、HSS型HSP、エンパス、ギフテッド辺の性質が有りますが、特にエンパスの性質から来るのだと思いますが、人の気持ち、そしてその前後の背景が分かることが幼少期から有りました。
だからといって全部が分かった訳ではありません。

沢山のケーススタディで分かったことが
本当に沢山ありましたね!

私は私の成長発達過程での問題も抱えていたので、同じようなテーマを持つ人にも
沢山遭遇していたようにも思います。

人間ウォッチングした結果、私はどんな状態になったかをお話してみます。

自分なりの落とし所を時間かけて、見つけたという感じでしょうか、ハッキリいって面倒だし骨が折れるときも沢山ありました。

自分自身と繋がれるようになったからといって、人間だし、失敗だってするし、いろんな自分がいます。

だけど面倒な自分を認めて、シンプルに考えるようにもしています。複雑な自分、シンプルな自分が同居してますね。

私の面白いところは、人とのコミニュケーションの中で、あれ!?ちょっと待てよ!相手はトリガーになっただけで、あれ私?わたしか?と気がつくことができることが多くて、立ち止まることができることです(笑)
自作自演していることに気がついていない場合も
沢山あるのに気がついてないなんてこともあります。

ただ自分自身の感情には疎くて、その話は後ほどしたいと思います。

今の私は、答えは外側ではなく、自分自身の内側にあるということは分かるようになりましたし、ポジティブな側面も、ネガティブ側面も両方受け入れることができるようになったので、周囲や物事の見方は全く変わりました。

自分自身を愛することや自己受容して統合し、その次の段階を経験していく
分離していると、物事の本質や真実は見えづらいんだなと思うようになりました。
愛と調和って大切だと思います。
そこまでに起る体験は、本当の自分自身に気がついていくための、自分自身が魂の存在であることに気がついていくためのレッスンなんだと思います。

※スピ系苦手な方には申し訳ないですが、
魂が3つに分かれて来るというレアな体験をしたので、分離不安がより強かったこと、統合がテーマでもありました。


そうなると、湧いてくるインスピレーションも変わってくるし、物事の見方、問題解決の方法も変わってくるし、
問題は問題で無かったことにも気がついたりして‥‥。問題をなんとかしよう、病気を治そうとすると実は上手くはいかない…ことが多い。

本当はそんなこと思ってもいる、複雑にしているのは人間で、本当はその存在そのもので完全で、尊重されているんだけど

私達人間は、そんなことをスッカリ忘れていて地球での生活をスタートさせることになってしまう。

不思議なのは、人は失敗したり、傷ついている時の自分にダメ出ししたり、否定したりして
更に傷つけようとしますよね。

何で先ずは、寄り添ったり、理解しようとしてあげないのでしょうね!

でも大丈夫です。


明けない夜はないって言うけど本当で、

だけどネガティブなループから抜け出せない場合もあるんだけど

そんな時は、一人で頑張らないでほしいなと思います。


前回までの脳と神経伝達の多様性のある方向けの記事は、感情のメンテナンスをして、意識や思考をより良くして、エネルギーレベルから変えて行くだけでは、対応しきれない場合があるのでお話してます

脳と神経伝達の多様性が
偏った結果、不具合が来ていたり、発達障害と言われたり、精神疾患と言われてしまい、問題をややこしく更にしているだけなんだろうと思ってます。

人によっては、量子のレベルのエネルギーを整えること、分子のレベルで栄養などで整えること、心理的なセラピー、アプローチする場所の優先順位が変わってくるし
様々だけど、どれも繋がっているから
ボディ、マインド、スピリットの観点で捉えて行けたらと思いました。

ボディ→マインドの大切さを理解している方は沢山いますが
次はスピリットの大切さを理解する方が増えたらと思ってます。

確実に生きやすくなるからです!

ここからは、私の幼少期からの話になりますが

3歳ぐらいの頃から中学生ぐらいの頃は、自分の家族が家族では無いような感覚があって早く帰りたいという感覚があり、何となく安心できなかったですね。

3歳ぐいらの頃に近所の5歳と3歳の女の子の友達に突然無視された時に、特に5歳の女の子に、女の中の女みたいなのを感じて、それを知り合いのお姉さんに話すと、

お姉さんは「それ、私小学校一年生のときに思った!」と2人で盛り上がってたこともあります(笑)


小学生の頃は、時折無視される程度のことは有りましたが、なんだかよくわからないけど自尊心の高い子どもで、日頃、強い自己主張はしないのですが嫌な時はちゃんと意思表示をしたのでいじめられることはありませんでした。

目立つグループ、目立たないグループのどちらのタイプともコミニュケーション取れたし、いじめるのもいじめられるのも嫌。
そして、どうもどこにも所属したくない感覚がありました。それは今も同じです。だからといって、どうせ人と私は違うし、みたいなことは思ってなくて

ワンネスみたいな視点だと、究極みんな自分ですしね。

私は第二次ベビーブーム時代の生まれで、まだ多様性なんてこと言われていない時代の小学生で、もう既に博愛、平等とか多様性みたいな感覚を持ち合わせていました。

世界の果ての事件や問題にも心を痛めていましたね。

大人になってから母が亡くなった後、父から
私がいつも「子供の頃から、答えを用意して話してくるから怖がっていた」なんてことを言われた事もあります。
父からは「感受性が強すぎて怖い」と言われたこともあります。

アルプスの少女ハイジが毎週終わるたびに泣いていたらしいです。父が描いてくれたハイジの絵のTシャツを着て、玄関前で立っている写真が残っていましたが、なんだか不安気な表情をしてる写真が多かったです。

父が描いた宇宙の少年の幻想的な油絵の上に、乗ってニコニコ笑っている赤ちゃんの頃の写真もありましたね。

宇宙戦艦ヤマトを父と友達のえなちゃんと観に言った時は、悲しいシーンでえなちゃんはお菓子をバリボリ食べているのに、私が泣き出して周りの大人達も泣き出した話を未だにされることがあります。

まだ4歳ぐらいだから宇宙の記憶が残っていたのかもしれませんね。

主人公が苦労する話が苦手!
みなしごハッチとみつばちマーヤなら
マーヤの方がのん気で、可愛くて好きでした(笑)
※内容スッカリ忘れてましたがのん気どころか、他のみつばちのためや世界のことを考えているみつばちでした〜


母は恐らくギフテッドであったのだろうなと思います。歌を歌わせたらこの世の人とは思えないような、女神みたいなオーラがでるのを子供ながらに感じたし、絵を書いたり、料理や洋裁なんでもできる人でしたが幼少期に祖母に虐待されて育った結果、子育てしながら迷走していました。

不思議ですが、父も祖父に虐待されていました。
そんな2人が出逢ったのにも意味があったと思います。父のスゴイところは、私が生まれた時に、母と祖母を和解させたことです。

そんな2人ですが、子供を尊重してくれるし、虐待の連鎖みたいなのはありませんでしたが、離婚後に私と妹と弟は、母で苦労しました。

父は養育費はきちんと払ってくれていたし、離れていながらも親の役目は果たしてくれましたけど、それをちゃんと上手くは使ってくれないし、安心できない

13歳で大人はあてにならない

高校生でこのままではまずい!

と資格を取って、結婚しようとしまいと生きていけるようにと

友達が憧れていた看護師を目指すことにしました。

家の本棚には、童話などもあったけど上段には母の心理学系の本が沢山並んでいて、母がいろいろと悩んでいることも分かっていたし、子供の私には難しいけど小学生の頃から、心理学の本を読んでいました。

大人顔負けのへんな分かったようなことも話していたみたいです。(心理学ではありません)

今は、私の母は、私より魂年齢が若かったのだろうなと思ってます。

私の人生は、どうも前半大人、後半やっとこ子供を体験できる感覚です。
面白いなと思うのは、東洋の占術で、子供の頃は老人の精神性、今の私の年齢は幼児の精神性の時期らしいです(笑)

納得です。

ジャニーズのマッチやトシちゃんが小学生のくせに、子供っぽいと感じて、ジュリーの方がカッコいいとか、YMOが出てきた時も小学生の私は、ワクワクしました。

小学生ぐらいから、自分自身の情報量が多いなということには、何となく気がついていましたが、それを更に、自覚するのは看護師になってからでした。

小学生の頃、友達に突然無視された時も、感覚的に私じゃないんだよな〜と、私に当たりたい訳じないと思ったりしていました。

その友達のお母さんは、市議会議員をされていたのですが、彼女の家に行くと部屋がものすごく散らかっていて、彼女と弟の2人は、大丈夫なのかと子供ながらに思いました。

一度だけ、クリスマスに遊びに行くと、ご両親が揃っていて部屋が綺麗で

こんな日もあるんだと安心しました。

ですが、ご両親が外の活動に力を入れていて、お子さんにまで手が回らなかったのかもしれないなと思うんです。
私は、トバッチリをくらったのだと思ったんですよね。

私に当たってくる人が、私に当たりたいのではないことに気がついてました。
みんなヒントになることを話してるし、何となく浮かんでくるから、情報が繋がっていったりします。

そして、このあと触れる水瓶座の性質が強いのか?
一番よりオリジナリティや個性を重視してるし、人と同じことを好まないせいか、世間で繰り広げられる競争には参加せずに済んでいましたが

販売業界に飛び込んだ時は、そうも行かなくなりました。それでも私は、売ろうとすると上手く行かないことが分かったので、全く違う意識で仕事をしてみんなの競争意識から離れようとしていたし、みんなにも本当の意味での販売の楽しさ、数字は後からちゃんとついてくることを伝えたかったけど、私が力を入れるフィールドではありませんでしたね。

だけど人生経験や社会経験が無いから、人生の全般は相手の心の闇や問題を交わすことができずに、巻き込まれそうになるということも多かったよな〜。

自分と同じ学びだったのかもしれませんが

HSPやエンパス、ギフテッドどれも被っているから
情報をキャッチして、気がついたり、理解しなければ、きっとやらないようなことも沢山していました。人助けや人のサポートばかりしていたことも。

30代前半には、母親の抱えている心の問題についての考察を伝えたことがありました。本当の意味で母を理解していた人はいなかったみたいで、10年会っていませんでしたが、和解して、その後は私をサポートしてくれるようになり、5年後に亡くなりました。

私の世代に近い方やそれ以上の世代の方の親は、今みたいに自分を愛することや大切にする方法についての情報なんて無い時代だし、知らない世代が多いから、自分の親が70代や80代になって、傷ついたインナーチャイルドが暴れだすことがあります。

そんな時に自分の精神的な問題が解消されていない場合に、親とぶつかっている方にも時々遭遇します。

私は、自分の問題が解消された後に、今度は父に既に知っていることもありましたが、幼少期のトラウマをカミングアウトされ、また私が解説してしまいました。

それまで亡くなった祖父のエネルギーが硬いのを感じていましたが、柔らかくなりましたね。

祖父の自分のしたことの後悔の念みたいなエネルギーが残っていたのだと思います。

私は、そうなんだよ。そうだったんだよ。分かってくれてありがとうと祖父から言われたように感じました。

父も母も、そして妹も弟も収まるところにおさまった。と思った時に、やっと私の役目が終わった気がしました。

家族のカルマの解消のために生まれてくる場合もあるみたいなんですよね😅

その人の知りたいこと、問題についての答えを持ち合わせている場合があるから
30代の頃の私が50代の方や80代の方の相談にのることがあったり、

占い師の方の知らない答えを私が話してしまった結果、占い師の方に逆に答えを求められて、私が料金頂いても良いのではないかと、おかしな展開になることなど、沢山ありました。


話は、戻りますが、子供の頃から一人でいるのも大丈夫。
学校で相当神経を使い疲れるのか、放課後友達に遊びに誘われると、どうやって断ろうかな?と考えているような、へんなところがありましたね。

そして感情についての話です。

私は、西洋占星術でいう太陽星座は山羊座なんですが、月が水瓶座、他にも双子座、天秤座など風の性質が強くて!

簡単に

風(倫理、情報、分析)5、地(物質、経験)4
火(直感、情熱)3、水(感情、共感)0
の割合です。

私は趣味なんで、いつか私がフォローさせて頂いてているSakiさんにみてもらいたいな〜なんて思ってます。

だけど東洋の占術では、水ばかりで、あと情が深いとか時々言われます!?

私は、映画、音楽、芸術、自然様々なことには感動はするけど、自分の感情の動きが少ないから
周囲の人がいろんな感情で、わちゃわちゃやっているようにいつも思えていたんです。(馬鹿にしてるわけではなくて)
そして自分自身の感情がいつも後回しになるとも思っていました。

仕事の時は、ツベコベ言わずにさっさと仕事してほしいんだけど(若い頃は特に)なんてことも
実は感じていました。ごめんなさい🙇

看護師の先輩が旦那さんと意地の張り合いしてるのとか、意味不明でした(笑)

エンパスがなければめちゃくちゃ冷たい対応する人間だったかもしれない、とも思います。

だから水の性質が強い方には性別を問わず、または多くの女性に接する際は気をつけていて、声のかけ方、言葉選びには注意してます。

後にギフテッド外来で、様々な検査をしたら
臨床心理士さんのレポートで、私は情報を捉えたらすぐに行動していて、そこに感情の動きがないと言われました。

それでやっと、潜在抑制機能の関係から情報が制限できないことも合わさって、沢山の情報を元に行動を起こし、自分自身の感情が後回しになっていたことに気がつくことができました。

だから自分自身の感情を感じる練習もしましたよ。

今は、優先順位も考えるようにしています。


職場では、自分の直感を無視して、黙って相手の様子を見てどうするかを考えいるうちに面倒な展開になたりすることもあり、沢山のケーススタディをした結果
早め早めに、対応するようになりました。
コミニュケーションの技術が上がっていきました。

また最初の職場は、病院で消化器の内科でしたが
ベッド稼働率が100%超える病棟で、ベッドが空くと他科から狙われて、流石に脳外科と胸部外科の手術後の患者さんを受け入れることは有りませんでしたが様々な症例の患者さんから勉強することができました。

とにかく忙しくて

そして私、なぜか急変に当たりやすいのです。
そこに引き寄せの法則みたいなの当てはめないで欲しいのですが、そういう看護師っているんです。

同僚の中にも1人いましたね。

5年前ぐらいに持病で入院した時に、担当してくれた看護師さんがポケットに御守りをつけていたので、気になって話すと

「私急変に当たりやすくて、先輩や同僚が嫌がるぐらいなんですよ〜」

「それで京都にある空海さんに縁のある所で御守りを買って持つようになったら、少しだけ変わったんです。そろそろ行かないとなと思ってます」なんてことを話てくれました。

同僚もそうなんだけど、仏教系の方がバックについている雰囲気、その看護師さんは
若いのに周囲の人に比べると魂の年齢が高い感じがしました。(魂の年齢が高いから精神性が高いとか、そういう訳ではありません。肉体を持つ3次元の年齢とは別なだけ)

私は、急変対応や日々の業務など病院で、鍛え上げられてしまったようで

販売業界に飛び込んだ時は、温度差に戸惑いました。仕事のスピードが違ったこと。
病院は求められるものが多くて、しかも私の性質もそうさせていた面もあったから、8年もの間に鍛えられてしまったようなんです。

販売業界では、短くて半年〜長くて2年半スパンで転職をしていたのですが、ある程度の所まで来ると次に行きたくなる。根気が無いのかと思っていましたが

医療系の派遣コーディネーターの方にその話をすると、医療従事者は、仕事の組み立て方やスピードが違うし、普通の会社に入ると短期スパンでキャリアを重ねている人が多いと言われました。

自分自身がヤバイと思ったのは、渋谷の百貨店の一階の店舗にケンカしている男性2人が突然入ってきたときに、同僚が動揺して警備員さんを呼びに行こうとした時に

あまりにも沢山の人の死を看取ってきたせいと
自分自身の感情の動きを感じづらいことからか

なんだか怖いとは思わなかったこと

逆に病院を辞めてから、医療ミスをしないようにとか、急変対応とか怖いことは沢山あったけど

怖いなんてことは言ってられなかったよな〜とも思い、後から自覚することになったことです。

あっ「私怖かったんだな」と

うら若き乙女が働くには、ハードな場所だったんだろうな思いましたね(笑)

看護師の燃え尽き症候群の研究があるのですが

なんだかわかる気がします。

急変対応って、ドーパミンやアドレナリンが沢山出るんですよね。

そんなことを繰り返していたし

私の性質上たぶん元々ドーパミンレベルが高くて、新しいことを追い求めやすかった気もするし

病院を退職した先輩や後輩が何もない生活が退屈で、
どうしたら良いのか?となっていたりしたのですが

後輩は泣いて暮らすもんだから、旦那さんのドクターが犬を飼う提案をしてくれて、落ち着いたなんてこともあるんですよね。

その後の私の人生にも、かなり大きな影響を与えた職場だったように思います。

ここからは、私の失敗談です。

➀病院では、2年目の頃に5年目以上の先輩が退職しました。まだまだ分からないことだらけなのに、人がいないので、臨床指導者として看護学生の指導(5〜6人)新人指導をマンツーマンですることになりました。

私が4年目の時の新人さんが、頑固でいうことを聞きません。

それで手紙を書いたんです。
周囲からは、

Kaoriさん手紙まで書いてるのに!
なんて感じになりましたが、

周囲の人の言葉が全く嬉しくなくて、

いやぁそこじゃないんだよ。

どうしたものかなと思っていました。

私、それとこれとは別なんだよね

と分けて考えるときがあります。


ある時、彼女に向かって
「でも、本当に頑張ってきたよね!」と声をかけると!エネルギーが柔らかくなって、
急に彼女が私の言うことを聞いてくれるようになりました。

これか!
私は、自分自身のペースや物の見方だけで、判断していたこと。
また、相手の存在をきちんと認めた上や相手の前後の背景も考えてから、声をかけてあげられるようにすることの大切さに気が付きました。

私と実は似たようなところがある子でしたね(笑)

上司になった場合は、自分自身を受け入れて大切にしているかや相手の自尊心を傷つけるレベルに行かないように気をつける必要もあると思います。

②看護師6年目、様々な失敗を経て、臨床指導者も楽しくなったのが5年目でした。
嬉しかったのは、その時の学生が最初は外科希望だったのに、私の病棟に来てくれたことです。

2年目に、沢山の先輩が退職された後、病棟のクオリティーは下がっていたと思うんです。
毎年6人ぐらい新人さんが入ってきても、忙しい病棟なのもあるのか1人、2人しか残らず、6年目に前年度の新人さんが6人全員残りました!

自分の責任じゃないけど、もっと余裕がある感じで見てあげたかったとか思ってたから
嬉しかったです。

ところが今度は、他の病棟からスタッフ3年目が整形外科から移動してきました。

私は、この病棟で勉強しておくと良いことをまとめたものをサクッと渡しました。

私看護師になってから、自分自身の情報量の多さを自覚するようになりました。

当時は電子カルテを導入しようとしている頃で、手書きのカルテでした。私の記録だけみんなより多いことがあるんです。そこで終わっていたのですが、

その彼女にまとめたものを渡した後に、それが負担になったことに気が付きました。

悪かったなぁと思いましたが

そのお陰で、情報が10あるとしたら私は、7〜8割見ている場合があって、大抵の人は3〜4割ぐらいの情報で、表層の部分で見ているのではないかということに気がつけました。

まだその時は、潜在抑制機能について知らなかったけど、人によって情報の量を変えないと駄目なんだと理解しました。

またみんなも見えていると思っていたから、細かい部分まで考えて仕事をしていたけど、同じようにできなくても仕方がないと思うようになりました。

更に、脳と神経伝達の関係からくることなんだから仕方がない。何でわからないんだろうな?とヤキモキしたり、ジレンマに陥ることが減り、そこに優秀か優秀でないかは関係なくて、優劣はないことを理解できたんです。

分かり合えない理由は、脳と神経伝達の関係や、分子栄養学の低メチレーションタイプ、高メチレーションタイプなど、遺伝子や栄養の代謝のタイプなどからも作られる性格的な傾向や生育歴、経験体験、自己肯定感、自尊心からくること、他にも沢山あると思います。

私は情報を制限できないので、最初は情報をシンプルにすることが苦手なところがありました。

これもインプットしたことをアウトプットするの繰り返すことよって変化していく、練習と積み重ねが必要なんだと思うので、上手になんて最初からできなくても良いし、とにかく自分の頭の中をまとめるために、スタエフ投稿やnote投稿を続けて来ました。

自信なんて無いけど、始めて良かったです。

表現できなくてもどかしかったことを、話す、書くことで
表出する場所をつくりました。

親友や看護師の先輩など身近な人に
複雑な私の思考を話すには限界があるので

良い意味で諦めてもいました。

親友だからなんでも話せる訳では無いんです。そして、寂しいことでもなくて仕方ないと思ってます。

ギフテッドのことなどを知る前は、友達に話しても解決しないのが分かっていたから、カウンセリングやセラピーを受けるようにしていました。

深く思考して、追求していく性質があるから、だんだんと、様々な自分自身の抱えていた問題についての答えを見いだせました。

自分の病気にかけては、患者さんは調べるのは当然ですが、ギフテッドの性質を持つ方たちは、表層の知識や情報では満足できずに

更に、深く深くしろうとしますよね。

そうすると、周囲の多くの人達がまだまだ知らない次元にまで理解が及んでしまう場合がありますよね。

私の場合は、分子栄養学やメチレーション、エストロゲン優勢について理解して分かっていることが、フィールドが違うと、西洋医学のドクターが知らないこともあることに、最初はジレンマも感じていました。

だけど、医療従事者なので先生方の様子が全く分からない訳でもありません。

先生方は毎日の仕事の中で、患者さんを沢山相手にして、その中で頑張って、勉強されていると思います。

患者さんを悪くしたいなんて方はいないだろうし、だけど所属している場所によってはたどり着けない情報もあるということなんです。

私のnoteの分子栄養学の記事を見て、アドバイスを求めて来られた女性は、ドクターなら知っていると思って分子栄養学の話をされたようでした、そのドクターが「知らなくてごめんね」と謝ってくれたそうです。

だけどそんな方ばかりではないかもしれません。

患者側になる私達が知っている情報をドクターが知らない場合があるということも知って頂きたいし、

脳と神経伝達の多様性の投稿は、医療従事者の方にも知って頂きたいですよね。

私が出血性ショックを繰り返してしまった原因は、本当は分かっていることもあったけど、信頼関係が大事だから、ドクターが知らなくても、それとこれとは別と分けて手術をお願いした結果、スムーズに行きました。

メチレーションと遺伝子検査のお陰で、エストロゲンとドーパミンを代謝する酵素の一塩基多型という変異があったから、合成ホルモン剤に注意が必要であったことが更に分かったから、次は訳も分からずに翻弄されなくて済みそうだし、

病院を受診するような際は、自分の情報として提供できるから、良かったと思っています。

だけど

なんか仕方がないことって沢山あって
どうしょうもない場合も沢山あって

沢山ジレンマを感じましたが

自分自身と繫がるようになると

世の中は、決して希望のない世界ではない、希望の光もちゃんとあることが分かるようになる気がします。

私はHSPやエンパス強いので、沢山の人のエネルギーを扱えないので、規模は小さいけどできることをしています。小さくても、無駄なことは決して無いと思っています。

そして、どのように伝えるか!
それは私のずっとテーマです。

アサーティブコミュニケーションをずっと身近な人や関わる方とのコミニュケーションで、今も練習しています。

最初から上手くは行かなくても良い、下手でも良いと思ってます。

そして特に大切に思う人とは、時間をかけて
コミニュケーションをとりたいなと思います。

自分も相手も気持ちの良いコミニュケーション
日本人は特に、自分の意見を飲み込んだり、我慢するだけでなく、
気持ちの良い伝え方をすれば

上手くいくことって沢山あるような気がします

今までの人生で出逢ってくれた皆さん
ありがとう❤

沢山失敗した私ありがとう❤

そして、気持ちの良いコミニュケーションをとれる方が増えますように👶✨✨






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