見出し画像

フル・ムーン、Honey〜猫と僕の日々|#短篇小説

#創作大賞2024


Chapter6.

フル・ムーン、Honey




ここで一旦、モンが行方不明になる前の話をしたい。


モンと僕は、恋人になってから、蜜月期間を味わっていた。
猫として存在しても愛おしいのだ。人間に変身した時には狂おしいほどの想いがあふれてきた。


―――僕も、何かの魔法にかかっていたのかもしれない。


毎晩のようにふたりでシャワーを浴び、浴室から出たら笑い声をたてて、お互いの身体を拭きあった。そして、生まれたままの姿でベッドにダイブした。


あるとき、愛しあったあと、僕は両手を上げて頭の下で組み、隣りで小さく身体を曲げて横たわっているモンに尋ねた。


「―――モン。何処か、行きたいところがあるかい?」


「ん・・・」モンはまだ、余韻に浸っているようだった。くぐもった声だったが、ゆっくり顔を上げた。


「・・・行きたいところ・・・?」


「そう。この家か、その周辺しか、知らないだろう?」


僕とモンの目が合った。モンは仰向けになった。


「・・・そうね・・・。

海を、見てみたいわ。波が寄せては返す、なんて不思議なの。どんな感じか知りたい」


「海か・・・」


それこそ、蜜月ハネムーン旅行のつもりだった。モンとは、人間同士の契りを交わせない。なら、形だけでも結婚めいたことをしたいと思った。


「じゃあ今度のゴールデンウイークに、レンタカーを1台借りるよ。

海の近くのコテージに泊まろう。

朝から晩まで、好きなだけ海が見られるよ・・・」


僕が言うのを聞きながら、モンは嬉しそうににっこり微笑んだ。そしてくすくす笑いながら、恥ずかしそうにシーツを顔まで引き上げ、小さな声で言った。


「・・・ヒロキ、ありがとう・・・」



旅行の日まで、モンは「海」について一生懸命学ぼうとしていた。


僕のDVDの棚を調べて、


「ヒロキ。海が分かる映画はない?」と訊いた。


「そうだな・・・」


パソコンに向かっていた僕は、椅子をリビングに向けて腕組みをした。


「言われてみたら、海が出てくる映画って、案外少ないかな?

―――あ、『グラン・ブルー』とか」


「どんな映画?」モンは棚を見ていた。


「潜水記録を持つ主人公が、親友や彼女よりイルカのいる海を選んで、命を捧げる映画だよ」


―――言って、あ、しまった、と思った。モンは僕の表情を見て、何かを感じたようだったが、何も言わずまた棚に視線を移した。


何が「しまった」なのか上手く言えない。―――言えないのだが、頭の中に、しばらく白いイルカの映像が消えなかった。数頭が身をくねらせて、深い海の間を泳いでいる・・・それは、人間界ではなく、死の世界へいざなうダンスのような遊泳だった。


モンが僕を死の世界にいざなうなんてあり得ない。でも、もしそんなことになれば・・・今の僕ならば、モンと共に死ねるかもしれない。






モンとの旅行当日。僕は荷物とモンの入ったケージを持って、レンタカーショップへ車を借りに行った。


そして荷物を後部座席に置き、ケージを助手席に配置して出発した。



海岸線を数時間走って、島へ渡る連絡橋を通過した。


そこは、僕が学生時代に、何度も部活で合宿した素朴な島、釣りや海水浴で人気のある島だった。全然知らない場所ではなく、自分のヒストリーを感じる場所へ、モンを連れて行きたかった。


島に着いてから、左に海を眺めて、何度も曲がりながらコテージのある目的地へ向かった。


―――


コテージはウッディーなつくりで、豪華ではなかったが、リゾートの気分を高めてくれた。かすかにヒノキのような香りがした。


部屋に入ったので、ケージからモンを解放した。モンはひと声にゃあ、と鳴いたあと、しっぽを立てていそいそと中を探索していたが、洗面スペースからつながる浴室の前で、ドアを前足で引っ掻いて、もう一度にゃあ、と鳴いた。


「―――もう、シャワーを浴びるのか、モン?」


近付いた僕の足に、モンは頭をこすりつけた。





モンは乾くたび何度もシャワーを浴びて、ずっと人間の姿で過ごした。


日暮れ近くなり、モンはバルコニーに立って、柔らかな黒髪をなびかせつつ、飽きずに海を見ていた。


僕はモンの背後に行って、後ろから抱き締めた。


「―――夜になったら、人がいなくなるから、砂浜まで行こう」


僕が言うと、聞いたか聞かずか、モンはバルコニーの柵に両手を伸ばして手を置いたまま、


「風が気持ち良いわね・・・

潮の匂いがする。

空も広いし、来て良かった・・・」とつぶやいた。





晴れていたので、その日の夜空は満天の星がきらめいていた。空気は心地良く冷やされて、スパークリングワインを飲んだあとのふたりには、最高のコンディションだった。



月までも、お誂え向きの満月フル・ムーンだった。神様が、僕たちのためにこの夜を用意してくれたみたいだ。



この日に合わせて、僕が選んで買ってきた生成り色のキャミソールワンピースを、モンは着ていた。僕は麻の白いシャツに、履き慣れたジーンズだった。
白が基調の服には、記念すべき僕たちの旅行の祝福の意味を託した。





砂浜に足を取られるので、ふたりで手をつないで、慎重に波打ち際まで歩いた。あちらこちらに、ハマナスの花が少し早く咲いた様子があった。



海はたっぷりと満ちていて、絶えることなくざざ、ざざと波音を繰り返し奏でていた。


―――永遠に変わらない地球の営み。
この営みの中で、モンと僕の不思議な関係は、どんな位置づけになっているのだろう?


「ヒロキ・・・」


「―――うん?」


「私ね、感謝してるの」


「・・・・・」


「赤ちゃんの頃から、ここまで育ててくれて。拾わずに置いて行っても良かったのに・・・

こんなヘンシンする猫、家から追い出しても良かったのに、ね。

私・・・いつまで、今の姿でいられるか、分からないし。それでも、優しくしてくれて、一緒にいてくれて、ありがとう」


「・・・・・」


僕は心の底から出たモンの言葉に胸を打たれ、何も言えなかった。


ただ、モンの手を強く握った。
モンはそんな僕を見て、慈しむように微笑んだ。立ち止まって、僕の両手をそっと引き寄せた。


「ヒロキ。もし、私が居なくなっても、ずっと、忘れないでね。


また、生まれ変わる。何度でも・・・」


モンの鳶色の瞳は、月と星の影を映して、少し潤んだ涙の上できらきらと光っていた。







【 continue 】













この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?