隠し通した2年間。後編
こんばんは。
少し間が空いてしまい、申し訳ありません。
しばらく、長男が寝付くのに時間がかかるようになりました。
12時まわってしまうと、私もそのまま寝てしまってます。
中途半端に学校が始まったからかなぁ・・・。
ちょっと興奮気味なので要注意です。
日中、少し時間があったので、あつ森をやっていたんですけどね、まだセーブしていない状態で置いておいたら、スプラトゥーンやりたかった長男に、カードを抜かれていました・・・。たかがゲームと分かってたのですが、結構ヘコみました。
前回から家族の話を書かせていただいています。
祖父母に長男に障がいがあることを隠し続けていた話です。
今日も、その続きを書きます。
長男の良い所だけを見て欲しかった
長男は、幼稚園入園と共に療育への併行通園が始まりました。
療育に行く日は母に次男を預けて半日留守になってしまいます。だからどうしても隠れて通うわけにはいきませんでした。
そして、障がいの事を黙っていたとしても、少しは理解して欲しいと思い、
「長男は少し言葉が遅いみたいだから、言語の教室に通う」と説明しました。
時々、大きな声で癇癪を起こしたりするのは、言葉がなかなか思うように出なくて、もどかしくて怒ったりするのだと話しました。
絶対に、「自閉症」「知的遅滞」という言葉は使えませんでした。
「言語の教室に通う」それが祖父母には大きな期待を持たせてしまいました。
「いつまでたっても、会話できないじゃないか。」
「通っていて効果は見えているのか。」
「幼稚園の同い年の子も、みんなこんな風なのか。」
3ヶ月経った頃から、そんな言葉を投げかけられるようになりました。
「大丈夫だよ。幼稚園の先生もそう言ってくれているよ。」そう答えるしかできませんでした。
もし、長男に障がいがあると伝えてしまうと一気にこの子は
「障がい児」という彼らにとってマイナスなフィルターを通してしか見てもらえなくなってしまう。それが怖かったのです。
長男はおやつを食べているときに、おじいちゃんが横にいると必ずお菓子をあげていました。
電車に詳しいおじいちゃんと一緒に電車の本を見ていてすぐに名前を覚えるのでいつも褒められていました。
日当たりの良いおばあちゃんの部屋で、一緒にゴロゴロするのが好きでした。
私は、ただ長男のカワイイところ、素直なところ、良いところを見ていて欲しかった。
自分のひ孫なんだから、さすがに受け入れるだろう。そう思われると思います。
私も一時はそう思い、伝えようかと思った事もありました。
でも、そうなると「世間の目が」とか「近所を歩けない」そう言い出すような人たちです。
信じられないかもしれませんが、90歳目前だったプライドの高い祖父母はそんな人たちなのです。
お別れは突然やってきました。
長男が幼稚園の年中になり、しばらくして少しずつ祖父の体調が悪くなり始めました。91歳の祖父はそれまで全く病気もしたことなく健康にはとにかく気を遣い、毎日近所をウォーキングしているようなおじいちゃんでした。
しかし、認知症による祖母からの攻撃的な発言や行動で、心身共に参っていたのかもしれません。
2ヶ月ほどで、数歩歩くだけで息切れをし、トイレへ行くこともできなくなってしまいました。
想像がつくかもしれませんが、かなりの病院嫌いです。入院を勧められてもなかなか首を縦に振ってもらえず、それまではずっとかかりつけの病院の往診で乗り切っていたのですが、自分自身もかなりしんどくなったのか、何度目かの主治医からの説得でようやく入院してくれることになりました。
そして入院する日の早朝、祖父は心不全で亡くなりました。
複雑な気持ちが今も私を苦しめる
告別式にはとにかくたくさんの方が参列してくださいました。
逆にそれは長男にとってしんどい場所でした。
長男がパニックを起こさないか、式中大声を出さないか、気が張り詰めまくっていました。
落ち着きを無くし始めると主人は長男を連れて控え室に戻ってくれたり、長男のことを知ってくれている近所や親戚の方がなだめてくれたり、たくさん助けていただきました。
祖父の遺影を前にして、悲しむ気持ちは当たり前のようにあるのですが、それとは別にホッとした気持ちが隠せませんでした。
告別式が終わって火葬場へ行く車の中で、私は体調を崩してしまいました。
もともと頭痛持ちだったのですが、今までにないくらいのひどい偏頭痛と吐き気、めまいが襲ってきたのです。
長男の幼稚園の行事がある度に終わるといつも偏頭痛がやってきます。
おそらく、今回も無事にお葬式が終わった事や、色んな事からの緊張の糸がプツンと切れたのかもしれません。
バレなくて済んだ。
もう、これで隠さなくて良くなる。
もう、これで長男に窮屈な想いをさせなくても良いんだ。
いろんな事から解放された安心感と、
そんな風に思う自分がなんだか悪いことをしているような気がして、今でもその思いが自分を責めています。
今、祖父は天国でどんな風に私たちを見守ってくれているのだろう。
私が小さかった頃、母や祖母に怒られると1番に泣きながら祖父の膝に座りに行っていました。
いつも笑顔で膝に座らせてくれていたおじいちゃん。
その笑顔で、息子たちを見守っていてほしいと思っています。
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