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『機動戦士ガンダム 水星の魔女』12話「逃げ出すよりも 進むことを」感想

『水星の魔女』12話、アバンのプロスペラのつぶやきを聴いたとき、彼女が「母親としての碇ゲンドウ」であることを改めて思う。そしてゲンドウがシンジをエヴァに乗せる方法と、プロスペラがスレッタをエアリアルに乗せる方法の差異は、両者を隔てている時間以上の、大きな意味をもつんだなあって。

内面の世界へ逃げ込むことだけは禁じられた、紛れもない他者がそこにいる複数の物語であることにおいて、『水星の魔女』は『(TV版)エヴァ』的でもあるいは『ウテナ』的でもなく、こういってよければ、やはり紛れもなく『ガンダム』的なフィクションなのだろうと思われました。

そして、いわば「ゲンドウ的な父親」としてのデリングとそれに反抗するミオリネという父娘の側が、プロスペラとスレッタという「水星の魔女母娘」のありように向けた眼差しが、この12話のラストでスレッタに向けられたミオリネの眼差しであるような、そういう視座もありうるよなあ、とか。

あと、ここで一旦区切りになったことで奇しくも、『水星の魔女』という物語が、「PROLOGUE」とこの12話でちょうど円環を形づくるような構成になっていて、「悲劇」としての逃げ場のなさのようなもの、その円環に閉じ込められてしまっているような感覚をもたらしていて、素晴しいとしかいいようがない。

そして、その円環を招き入れている力は、それは能登麻美子の、あの「声」なのではないか?
説得力という言葉を超えた、やさしげな呪詛のような、あの言葉ではないのか?
そう考えると、いやあ新年から、すさまじい声優の仕事を堪能させていただきました、という気分になる。『機動戦士ガンダム 水星の魔女』12話はそんな回です。

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