一生に一度は観ておきたい「薔薇の名前」
「薔薇の名前」は大袈裟でなく一生のうちに観ることができて良かったと思っている一本です。
今ならU-NEXTで観られます。皆さんに機会を逃してほしくないのでこれを書いています。
あらすじ
予告 https://www.youtube.com/watch?v=GyaDwdiJaZM
ジャン=ジャック・アノーという監督
「愛人/ラマン」「セブンイヤーズ・イン・チベット」「小熊物語」のジャン=ジャック・アノー監督の1986年の作品です。
この監督は作品の振れ幅の大きさと切なくなってしまうほどの映像の美しさが特徴と言えるでしょう。
できることなら「愛人/ラマン」も観ていただきたいです。愛について考えさせてくれる一本です。
*『愛ってなんだろう』
「愛人/ラマン」「ダメージ」への私の考察です。 https://note.com/brigitte700/n/n08b0ed86b7b2
この作品の魅力
この映画で観たショーン・コネリーのカッコよさは公開当時の私には衝撃でした。
また作品の最後に、若かった修道僧が年老いて師匠ショーン・コネリーと過ごした時間・事件を回想してのフレーズも印象的でした。
「過ぎにし薔薇はただ名前のみ、虚しきその名が今に残れり」
意味は分からなかったけど響きが切なくてとても心に残りました。映画館で観た時も涙が出そうになったのをよく覚えてます。
この回想のモノローグが作品の魅力を決定的なものにしたと私は思っています。
時代背景に忠実な作品
重苦しく暗い映像、色味のない衣装、続けざまに起こる陰惨な殺人事件。明るさや楽しさから縁遠い作品なのは確かです
でもそんな世界で描かれる修道院の図書室の美しさ、時代背景に忠実な数々の調度品や文字の素晴らしさ。それらは確実に観る者の心を奪います。私の心には初見時から何十年経っても色褪せることなく全てが残っています。
殺人事件が起こった理由
殺人事件自体も14世紀の厳しいキリスト教の在り方が理由です。
キリスト教が文化のベースでない日本ではこの作品は分かり難いというのが率直な感想だと思います。
14世紀に限った話ではなく修道院では沈黙が神を讃える行為と見做されることがあります。ですので作品中の修道院でも「(本を読んで)沈黙を破り笑う者=神を嗤い信仰に背く者」となるわけです。
また、本を読む=真実を追求するという知的好奇心自体が神の存在の否定に繋がりかねないとして当時のキリスト教の上位者たちに危険視されたことも容易に想像できます。
この考え方を念頭に置くと「薔薇の名前」は日本人にも少し理解しやすい作品になるかもしれませんね。このテキストを書きながら、異文化がベースではあっても作品として観る者の心に触れてくる、というのも「薔薇の名前」の素晴らしさの一つかもしれないなと改めて思いました。
「薔薇の名前」の意味
先ほど書いたラストのモノローグには色々な解釈があります。
初見時に私が受け取ったのは、実体が消えても名前(思い)は残るという感覚でした。それって愛や人との出会いと同じだ、若い頃を回想してのこのフレーズは私には猛烈な切なさとして胸に突き刺さりました。これも確実に一つの受け止め方だと今でも思っています。
当時のキリスト教の在り方と照らし合わせての解釈を最近教えてもらいました。
ウンベルト・エーコによる原作本のテキストは「Stat rosa pristina nomine, nomina nuda tenemus」ですがroseをromaに置き換えると当時のローマ・カトリックの狭量な宗教政策が浮かび上がるのです。
そして14世紀という時代背景を考えるとこれもきっと正しい捉え方であることに間違いありません。
(この狭量さが上記の通り殺人の理由だと考えるとこのフレーズが感傷的でなく大きな意味を持つことに納得至極です)
でも時間を超えてもどちらの捉え方をしても、さらに何回観ても作品の魅力が少しも損なわれない。それこそがこの作品の素晴らしさであり監督の凄さだと私には思えてなりません。
最後に
他人(私)の説明や感想よりぜひご自身の目で観て作品の魅力に触れてください。心の底からそう言える数少ない素晴らしい作品です。
最後までお読み頂きありがとうございました。
どうか今日も皆様が人生の2時間を使う価値のある映画に出会えますように!
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