史上最大の無茶ブリ 〜前編〜
今日から何回かに分けて、自分の過去を振り返りながら、学びも含めて書いていこうと思います。興味があればお付き合いください。
20年前の貧乏学生時代
ある日、一本の電話が鳴った。貧乏だが携帯はかろうじて持っていた。電話の主はワイデン+ケネディで営業をしていたヤクザ。
「今日、オフィス来れる?」
「動ける格好してきてね。」
バイトはあったが、それまでには終わるとの事だったし、ストーリー作りに関われる機会だと思い喜び勇んで電車に飛び乗った。
オフィスに着くと、ヤクザの同僚のイケメンが待っていた。
ジャージに着替えた小僧は、ハンディカムを手にしたイケメンの言うがまま、オフィスの前の道路を走らされた。
「軽くジョッグしてみて。」
「中田(中田英寿)って知ってる?」
「中田の走り方で走ってみて」
無茶ブリがすぎる。が、小僧は必死で要求に応えた。
オフィスに戻り、イケメンがカメラをモニターに繋ぐ。
モニターの前にはヤクザがいて、隣にマフィアのボスにしか見えないクリエイティブ・ディレクターがいた。
「he’s good.」
「ウンタラカンタラ。」
当時、英語を全く理解できない小僧は何言っているかはわからなかったが、なんとなくマフィアとヤクザの笑顔から、気に入ってくれた事だけは分かった。
ヤクザが言う。
「中田に会いたい?」
「木曜出発でローマね。」
一瞬意味が分からなかった。
今日は月曜日である。
ヤクザの話を要約すると、今から3日後の木曜日の飛行機に乗り、当時中田英寿が所属していたASローマの本拠地、イタリアの首都ローマに行くと言うミッションを言い渡されたのである。
イケメンの段取りにより、マフィアがすでに乗り気になっている状況で、小僧に選択肢は用意されていなかった。
「水曜日に荷物とチケット渡すから取りに来て。」
と言うイケメンの言葉に上の空で頷きながらオフィスを後にした。
それからは、もう必死である。
小僧はバイト先の店長に頭を下げてシフトを調整し、タンスの奥に眠っていたパスポートを見つけ出し、なんとか準備を整えて水曜日にオフィスに行く。
渡されたのは、ローマ行きの往復チケット、成田エクスプレスのチケット、それに巨大なスーツケースである。
見た事がないくらい巨大なスーツケースに、衣装がパンパンに入っている荷物を渡しながらイケメンが言う。
「それ、発売前の撮影用商品だから、無くしちゃダメだよ。」
そんな大事なものを一介の小僧に渡すなよ
と内心思ったが当時のワイデン+ケネディはそんな会社である。
とにかくメチャクチャなのだ。
何が何だか分からないウチに、ローマ行きが決まってしまった。
しかも巨大な荷物を持たされて。
若さって怖い。
が、そういう要素が人生に必要なんだろうな、とつくづく思う。
この時の無茶な決断が無ければ、今の自分はいなかったのだから。
さて、出発日
クソみたいに重いスーツケース(36kg)をガラガラ引いて、指定された成田エクスプレスに乗り込んだ。
海外渡航経験の少ない小僧にとって、ドタバタすぎる工程で焦っていた。
指定席に座って時間ができた途端にソワソワしてくる。
成田エクスプレスの到着時間を確認する。
「よし、出発時刻の1時間前に到着予定だ。」
「・・・。」
「ん?」
完全に見落としていた。
チケットを手配してくれた人の手違いか、はたまた海外出張慣れでど素人の小僧のキャパを見誤ったのか、とにかく成田エクスプレスの時間は1時間ずれていた。
どうしようもない。
心臓の鼓動が早くなる。
心臓の鼓動が早くなると、急に心配性になる。
チケットを眺めていてふと疑問に思う。
チケットにはJALと書いてあるが、成田エクスプレスは成田空港第2ビル駅ではなく成田空港までである。
JALの場合は空港第2ビルで降りるはずである。
色々案内図を見てみるも、JALは第2ビル。
ただでさえ時間がないのに結論が出ない。
そうこうしている間に成田エクスプレスは空港第2ビルへ。
成田エクスプレスのスピードを呪いつつ、意を決して空港第2ビル駅で降車。
ここからは、全速力で走る。
駅の構内も、エスカレーターも、出発カウンターまでの道のりをひたすら走る。
「バキッ!!!」
「ガシャーン!!!」
ここで想定外というか想定内のスーツケースの車輪大破。
そりゃそうだよね、重いもん。
それでもこの飛行機に乗り遅れるわけにはいかない小僧。
満面の笑みを浮かべたヤクザの顔を思い浮かべながら、36kgのクソ重いスーツケースを両手で抱えて走る。
やっとJALのカウンターに到着。
間に合った・・・。
「お客様、こちらアリタリア航空との共同運行便ですので、カウンターは第1ターミナルとなります。」
JALのカウンターにいたお姉さんが、天使のような笑顔を向けながら言い放った。
「オワタ。。。orz」
絶望の中、どうやってヤクザに状況を伝えるかを必死で考え始めた。
どうすれば、許してもらえるのか。
どうすれば、責任を取れるのか?
どうすれば。。。
カウンターの天使が告げる。
「お客様、今向こうのカウンターに連絡を取りました。ギリギリまで待てるようですので、急いで向かってください。こちらで手続きを済ませておきますね。」
おーーー!
ここからは走る。走る。走る。36kgを抱えて全速力で走る。
なんとか間に合った。
JALの天使さま、ホントありがとうございました。
このご恩は一生忘れません。
やっとの思いでたどり着いた機内。
人生初のビジネスクラス。
舞い上がって眠れない夜。
飛び交うイタリア語。
もう何が何だか分からないままイタリア上陸。
辿り着いたのはレオナルド・ダ・ヴィンチ空港。
歴史の教科書に出てきた偉人の名前がついとる。
スケールがでか過ぎてよく分からん。
そして、どこに向かうかもよく分からん。
「ん???」
そういえば、何も知らずに飛行機に乗ったが、集合場所もホテルの情報も何も持ってない。
どこに行けば良いのだ???
キョロキョロ・・・。
なんとなく、ナイキっぽい雰囲気の集団についていく事にする。
無事到着ゲートには辿り着いた。
とは言え、どこに行けば良いのか・・・。
「小僧」
イタリア語と英語が飛び交うダ・ヴィンチで誰かが自分の名前を呼ぶ。
振り返るとそこにいたのは、満面の笑みを浮かべたヤクザ。
この時ばかりはこのヤクザの顔が仏にしか見えなかった。
あぁ、助かった。。。
安心感と疲労感でホテルまでの道のりは意識を失っており、気付いたらホテルで寝てましたとさ。
2日目
集合は朝の4時。
集合したのは良いが、何をするかも理解していない。
何せただの小僧なのだ。
まだ夜中と言っても良い時間帯に、50人はいるであろう撮影隊が所狭しと駆け回っている。撮影のための準備をしている様子だけは小僧の目にも明らかだった。
手持ち無沙汰を紛らわすように、ロビーのすみに置いてあった濃いだけで味のしないコーヒーを一気に飲み干した。
「ペラペラペラペラ、コゾウ、ペラペラペラ」
撮影隊の一人が微かに自分の名前を読んだ気がした。
遊び相手を見つけた子犬のようにかけよる。
なまりのキツい英語で話しかけてきたのは、撮影現場を仕切っているプロダクションマネージャーだと思われる。
身振り手振りでかろうじて指令を汲み取り会議室へ。
そこには、自分が日本から持ってきた、車輪の壊れたクソ重いスーツケースが開かれていた。
無言で渡されるまま、その衣装をみにまとう小僧。
真剣な表情でお兄さんが衣装を吟味し、次から次へ手渡してくる。
その度に、ポラロイドで写真を撮る。
何度か繰り返した後、お兄さんは小僧を置いて会議室を出て行った。
しばらくしてお兄さんが大勢連れて戻ってきた。
大勢の中心にいるおっさんに先ほどのポラロイドをいくつか見せて、色々相談している。
雰囲気的にこのおっさんが偉いのだろう。
沈黙の時間が流れる。
いくつかの言葉を残して偉いおっさんはまた大勢を引き連れて出ていく。
お兄さんは、また小僧に衣装を手渡す。今度は着替えてポラロイドで撮影して、終了。
どうやらスタイリストなお兄さんが、撮影監督の偉そうなおっさんの了承を得て、衣装が決まったようだ。
しばらくして、外がうっすらと明るくなった頃にヤクザが登場。
ようやく状況を説明してくれた。
ミッション
ナイキのテレビCMを撮影するためにローマにいる。
出演者は中田英寿。
シーンはほぼ中田英寿がローマの街中を走っているシーン。
ただ、シーズン真っ只中(しかも優勝争い中)で忙しい中田英寿から撮影隊に与えられた時間はわずか。
わずかの時間を有効に使うため、どの場所で、どのアングルで、どう撮影するか、をあらかじめ決めておきたい。
そこで、小僧の出番。
今(日の出)から、ローマの街中を中田英寿の衣装を着て、走る。
限界(日の入り)まで、撮影隊が満足いくまで、走る。
何も言わずに、ただ、走る。
ようやく状況を理解した小僧に、当然のことながら拒否権は無い。
言われるがままに走り出す。
周りには、スクーターの後部座席に乗ったカメラマンと、
別のスクーターの後部座席に乗った偉そうなおっちゃん。
その他にも数台のスクーターが隊列となって、小僧の後ろを追いかける。
あっちへ曲がれ、こっちへ曲がれ、と初めてのヨーロッパをひたすら走る。
スペイン広場も
トレビの泉も
コロッセオも
フォロ・ロマーノも
パンテオンも
テベレ川も
名前も知らないテレビで見た街並みも
ありとあらゆるローマの名所を横目に、ただ走る。
最終的にサンタンジェロ城に向かう橋まで、とにかく走り続けた。
この間、道を曲がったりくねったり
戻ったりまた進んだり
良さげな路地で何度も行ったり来たりを繰り返し
何時間も走り続けた。
人生でこの時以上に走り続けた日はないくらい走り続けた。
この日のハイライトは、沿道でのこと。
ローマっ子たちが声援を送ってくれた。
道ゆく人たちみんな、手を振ってくれる。
なんなら撮影隊に並走して握手を求めてくる。
撮影部隊が制止するほどの熱狂ぶりである。
みんな声を揃えて声援を送ってくれる。
「ナカータ!」と。
そりゃ、中田の格好をして、撮影隊を引き連れている日本人はみんな中田に見えると思うが、それにしても熱狂がすごかった。
おかげで、疲れも忘れて走り続ける事ができました。
今の私があるのもローマっ子たちの熱狂のおかげです。どーもでした。
その日の記憶は、夕日に暮れるサンタンジェロ城で途切れているので、おそらくそこで終了し、ホテルで爆睡したのだろう。
〜後編へ続く〜
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