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スマブラステージ【BC.2300.アメミット】

 古代エジプト文明は紀元前5000~4000年ごろにアフリカ大陸ナイル川周辺で興った文明です。

・先史時代のエジプト
 エジプト周辺で確認された、最も古い人類の痕跡は約50万年前、そのころのエジプトは草原が広がっていましたが、約7000年前から気候は乾燥し砂漠化が進行、東部アフリカ人たちは水を得られるナイル川周辺に集まりました。
 そのころから東部アフリカ人たちの食料を得る手段は、狩猟中心から農耕、牧畜の比重が増えていき、紀元前4000年ごろのナカダ文化では農耕で安定して食料が得られたようです。ナイル川は毎年の洪水によって栄養を含んだ土が運ばれてくるので、農耕に非常に適していました。

・農耕と文明の発達
 農耕の発展によって人類は計画的に食料を作れるようになり、それによって人口は増加、農地を中心に大きな集落ができました。作物の管理や分配のための計算、農地を分けるための測量、気候を予測するための天文学、作物の交換(経済)、住民間の取り決め(法)、住民間の上下関係(身分階層)などが発展していき、規模の大きい部族(国)ができあがりました。

・エジプト王朝の誕生
 紀元前3100年ごろ、部族間の勢力争いの果てに天空神ホルスの化身とされたエジプト王(ファラオ)を頂点とする王朝がナイル川周辺を統一しました。現世の神であるファラオは、死後に冥界の神オシリスになると考えられました。

・古代エジプトの来世観
 エジプトは他の地域の文明と比べて攻め込まれにくい地形だったために、比較的安定した暮らしが可能でした。そのためか死後も現世と同じように暮らすことを望む古代エジプト人は多く、ファラオ以外であっても肉体の死後に魂が生き続けると考えるようになりました。
 死体が失われると連動して魂も失われると考えられたために、死体を保存するためのミイラ作りが活発に行われました。

 死後に肉体を離れた魂は、冥界で幾多の試練を乗り越えた末に楽園アアルにたどり着くことができると考えられましたが、生前に罪を犯しているとアアルに入ることは許されないとされました。

・死者への審判

 このスマブラステージでは死者が罪を犯したかどうかを測る様子を描いたものです。古代エジプトでは心臓に罪が記録されると考えられて、死者の心臓と法の女神マアトの羽を天秤にかけて、釣り合ったとき死者は楽園アアルに入ることを許され、釣り合わなかった場合は罪があるとみなされ、ワニの頭、ライオンの胴体、カバの下半身を持つ怪獣アメミットに魂を食べられ消滅すると信じられました。

 死神アヌビス(黒い犬の姿)は死者の魂を案内して、天秤の傾きを測る役割を持ち、知恵の神トート(鳥の姿)は死者の記録を書き残す役割を持っています。



 ステージのギミックとしては天秤がゆらゆら傾き、アメミットの口に触れると、魂は消えないまでも、ダメージを受けて吹っ飛ばされるので注意が必要です。


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