自分の幸せと他人の幸せと
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ずっとずっと、一人暮らしのお家に帰りたかった。帰省2日目からずっと願っていた。
でも、帰らなかったのは「両親(特に母親)が悲しむから」「長期休みは帰省しないといけないものだ」という洗脳が凄く凄く強かったから。2日目以降は一人暮らしの家に帰りたくて泣いていた。
お母さんは私の一人暮らしを凄く悲しんだ。
一人暮らしが始まってから、私に注いでいた愛を代わりに、と言って大量の植物を育て始めた。
家族からは「お姉ちゃんが帰ってこないせいだよ〜」と言われた。私は必死に取り繕って「もうお母さんたら〜」と言い流した。
私が帰省しないせいで、お母さんを悲しませているんだ
私が地元に帰らないと、私を待っている人たちの期待を全部私が裏切って悲しませることになるんだ
私は1週間滞在する予定だったが、どうしても耐えきれなくなったので「ごめん、予定より早いけど帰るね」と言った。凄く心臓がドキドキした。怖かった。お母さんの反応を見るのが。
「はぁ?あんた何言ってんの!?」と言われた。明らかに悲しんでいた。そして少しだけ不機嫌になったのも分かった。
そこからはずっと、罪悪感の嵐だった。
「あー私が実家にいたいと思えたら、お母さんを悲しませずに済んだのに。」
「あー私のせいで、全部私のせいで」
と思った。
境界線を作り直さなきゃいけない時が来たんだと思った。というか、初めて作るという作業をする。
本当に辛かった。
私が「帰らない」と言えば、みんなを幸せにできた。家族に寂しい思いをさせなくて済んだ。罪悪感も抱かなくて済んだ。
だけど、唯一悲しませる人がいた。私だ。
その選択肢は、私のことを幸せにできなかった。
このまま、これを繰り返せば私は一生人の顔色を伺って生きることになるだろう。それは嫌だった。
帰るか帰らないか、それさえも親の顔色で判断する。
これまで、私は色々な選択肢を他人に委ねて来たのだなと思う。自分に対して抱かれる感情の責任が取れない、いや取りたくないから人の顔色で動く。
自分が言葉を発さなければ、私の責任は伴わない。
それが何となく楽でもあったんだろうな。
偉かった、私。沢山の罪悪感に苛まれて、目の前にいる寂しがる家族にぐっと目をつぶって、私の人生を尊重してくれてありがとう。苦しかったよね。泣きたかったよね。
他人の幸せが私の幸せだと、本気で信じていたんだよね。
それがたとえ、自分の犠牲の上に成り立つとしても。
他人の幸せを本気で望んだ。
誰かを自分の手で悲しませたくなかった。
誰かの悲しみよりも自分の幸せを尊重するのが、苦手だ。
そのせいで、何度も自分が壊れちゃったんだけどね。
何千回と爆発しちゃったんだけどね。
なんか、難しい。
これが当たり前に出来る人達が羨ましい。
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