ヒグラシ

さき さなえ

私は暑さが苦手だ。朝から湿度が高く、温度がどんどん上昇してゆく真夏の日など、ぐったりしてエアコンを稼働させ、早く秋になればいいのに……そんなことばかり思って一日を過ごす。
 
少なくとも23年前までの私はそうだった。
 
 
今から23年前、私は現在暮らしている団地へ越してきた。あたり一帯が豊かな自然に囲まれていて、私にとって理想郷のような環境に一目ぼれだった。水が好き。川でも湖でも小さなせせらぎでも、とにかく水を近くに感じると嬉しくてたまらなくなる私に、何と小さな池まであった!
 

まんだら湖


南向きのベランダの前には、けやき、こならなど大木が生い茂っている。まだ小さい椿の木もある。その向こうに牧場が広がっている。何頭もの牛たちがのんびり草を食んでいるのが樹々の間から見える。そして樹々の奥で牧場の手前、ベランダの正面には、私の大のお気に入りの  さ く ら!
そめいよしのだ。

23年前、まだまだ小さかったこの桜も、今では枝を広げ、すっかり大きくなった。4月はじめ、ベランダの前の樹々はまだ葉を落としたまま幹だけの姿でそびえている。だから桜がよく見える。見事な満開の花をまとって、その存在感は圧倒的である。ベランダから、その優美な姿をうっとり眺めている私だけでなく、桜の下を通りかかる人も、桜を見上げたまま、しばしそこに突っ立って動かない。
ベランダで桜を愛でながらゆっくり味わう一杯の紅茶!
 
 
家の北側の窓を開ける。目の前に雑木林が広がっている。終の住みかと決めた我が家は、南も北もどの部屋の窓を開けても樹々の緑が目に飛び込んでくる。池は雑木林の奥にある。
 
 
 
日本には、田舎でも高原でも、とびきり素晴らしい自然はいっぱいある。きっと、今の我が家の環境よりずっと美しい場所はたくさんあると思う。

でも女ひとりで暮らすとなると、いろいろ居住条件が必要になってくる。大の自然愛好家を自認し、田舎は大好きだけれど、家の中でムカデや大きなくもを見ると絶叫してしまう私だから田舎には住めない。
車は免許証を返納しているし、自転車も今はもう乗っていない。だから日常生活を滞りなく送るために、交通網がしっかりしていなければならない。スーパー、郵便局、銀行、病院などへのアクセスも無視できない。総合的に考えると、住む場所はどうしても限られてくる。
それらの条件をすべて満たし、かつ、あたかも森の中で暮らすような今の我が家が見つかったのは、私にとって奇跡だった。23年間暮らししてきたけれど、愛着は日ごと増すばかりである。
 
 
引っ越してきたのは2000年3月末だった。そして新しい住まいで初めての7月を迎えた!
 
7月8日だった。その日私は珍しく朝早く目が覚めた。4時半過ぎ。もう少し眠っていたいと思ったが、寝付けないので起きることにした。
北側の窓を開けた。とたんに雑木林から、冷気を帯びた風と共にごおー、ごおー、ごおーとものすごい音が室内へ流れこんできた。ヒグラシの大合唱だった。一匹二匹と数えられるような数ではない。数百匹とも思えるようなヒグラシがいっせいに鳴き、互いに共鳴しあって大音響となっていたのだ!
 
私は感動のあまり窓際に立ちつくし、微動だにせず鳴き声に耳を傾けていた。まさか雑木林がこんなに素晴らしい贈り物をくれるなんて…………!
4時50分、ぴたりと鳴き声がやんだ。そのあとは一匹も鳴かない。代わってカラスや鳥たちが鳴き交わし、朝の挨拶を始めた。
 
翌日、朝4時に起きた。窓を開ける。一匹も鳴いていない。4時20分になった。すると、ふたたび、ごおー、ごおー、ごおー……といっせいに鳴きだした。ものすごい音量である。そして4時50分、また、ぴたりとやんだ。
それ以降、私は毎朝4時に起きた。そして彼らが鳴き始めるのは、決まって4時20分で、鳴きやむのは4時50分であることを知った。あまりにも規則正しいので不思議だった。
 
 
ヒグラシの存在は一大発見で、すっかり喜んだ私は、この雑木林を「ヒグラシの森」と名付けた。また愛すべき池も「まんだら湖」と呼ぶことにした。
 
この時から、私は夏が大好きになった。どんなに暑くても苦にならない。毎年、夏の到来をワクワクしながら待つようになった。数年前、台風で暴風雨のために雑木林の多くの樹々が倒れた。その時以来、23年前に比べると、ヒグラシの数は確かに減った。
 
それでも、早朝の合唱以外にも、夕方暮れなずむ頃、かなりの数でカナカナカナ……と鳴いて私を楽しませてくれる。
夏も終わりになると、ヒグラシは、早朝も夕暮れ時もほとんど鳴かなくなる。わずか数匹が、9月半ば迄か細い声で鳴き、私に別れを告げてくれる。
 
 
 私はこのヒグラシのことをいろんな人に話した。話しているとき、きっと私は目を輝かせていたと思う。でも大人も子供も、反応はまちまちだった。鳴き声がうるさいと言う人もいたし、まったく関心を示さない人もいた。何だか寂しい気持ちになったけれど………………。
きっと……金子みすゞの詩にあるように「みんなちがって、みんないい」のだろう。
 
 

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