あの名作も作者にとっての外国語で書かれてた!アゴタ・クリストフ『文盲』

娘がもうじき六歳になる。彼女はいまに学校へ通い始める。
わたしも、始めよう。あた学校へ行くのだ。二十六歳にして、わたしはヌーシャテル大学の夏季講座に登録する。読み方を学ぶためにー。外国人学生を対象とするフランス語講座である。イギリス人、アメリカ人、ドイツ人、日本人、ドイツ語圏スイス人などが来ている。最初のクラス分けテストは筆記テストだ。わたしはからきし得点できず、初心者といっしょのクラスに入れられる。
 何回かの授業のあと、先生がわたしに言う。
「フランス語、とてもよく話せるじゃないか。なぜ初心者のクラスにいるのかのかな?」
 私は彼に言う。
「わたしは読むことも、書くこともできません。文盲なんんです」
彼は笑う。
「そいつはどうかな」
 二年後、私は優秀評価付きのフランス語修了証書を取得する。読むことができる。ふたたび読むことができるようになった。ヴィクトル・ユゴーも、ルソーも、ヴォルテールも、サルトルも、カミュも、ミショーも、フランシス・ポンジュも、サドも、フランス語で読みたいものはすべて読むことが出来る。フランス語作家以外でも、翻訳で読むことが出来る。フォークナーも、スタインベックも、ヘミングウェイも。この世界の本は、ついにわたしも読み取ることができるようになった本に満ち満ちている。
 こののち、わたしはさらに二人、子供が生まれる。わたしは子供たちにとともに、読み方、綴り方、同士の活用の練習を重ねるだろう。
 子供たちからある単語の意味を、あるいはその綴を問われるとき、私は消せいて言うまい。
 「知らない」と。
 私は言うだろう。
 「調べてみるわ」
 そしてわたしは、倦むことなしに何度でも辞書を引く。わからないことを調べる。わたしは熱烈な辞書愛好家となる。

 わたしは、自分が永久に、フランス語を母語とする作家がフランス語を書くようにならないことを承知している。けれども、わたしは自分にできる最高をめざして書いていくつもりだ。
 この言語を、わたしは自分で選んだのではない。たまたま、運命により、成り行きにより、この言語がわたしに課せられたのだ。
 フランス語で書くことを、わたしは引き受けざるを得ない。これは挑戦だと思う。
 そう、ひとりの文盲者の挑戦なのだ。

『文盲』アゴタ・クリストフ、白水社、2014年


 上記は紹介なんて不要であろう、『悪童日記』の著者アゴタ・クリストフの自伝の最後に飾られたエッセイの一部。
『悪童日記』を読んで殴られたような、見たこともないパワーに打ちのめされるような気がしたもの。
あの淡々とした文体に、何がそこまでこちらを引きつける力があるのかと思うが、これを読むとなんとなく分かる一面がある。アゴタ・クリストフの作品は母語で書かれてない作品もある。戯曲を母語で書いたりしてたらしいが、『悪童日記』や続編たちはフランス語で書かれた。

『悪童日記』が語らないことで、語る逆説の小説ならば、作品自体が母語で語らないことを語るという性格を持っていた。止むに止まれず、母語でない言語で、それでも仕上げて世に出した作家のエネルギーを思うと、そりゃ生半可な気持ちで手に取ればブチのめされるわけである。

子供たちに言葉の意味を、スペルを聞かれたら決して、知らないと答えることはしまいと決意するくだり。夏季講座から2年もかけけてフランス語の読み書きを勉強する下り。こういう情熱を見習いたいもんである。


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