上記は紹介なんて不要であろう、『悪童日記』の著者アゴタ・クリストフの自伝の最後に飾られたエッセイの一部。
『悪童日記』を読んで殴られたような、見たこともないパワーに打ちのめされるような気がしたもの。
あの淡々とした文体に、何がそこまでこちらを引きつける力があるのかと思うが、これを読むとなんとなく分かる一面がある。アゴタ・クリストフの作品は母語で書かれてない作品もある。戯曲を母語で書いたりしてたらしいが、『悪童日記』や続編たちはフランス語で書かれた。
『悪童日記』が語らないことで、語る逆説の小説ならば、作品自体が母語で語らないことを語るという性格を持っていた。止むに止まれず、母語でない言語で、それでも仕上げて世に出した作家のエネルギーを思うと、そりゃ生半可な気持ちで手に取ればブチのめされるわけである。
子供たちに言葉の意味を、スペルを聞かれたら決して、知らないと答えることはしまいと決意するくだり。夏季講座から2年もかけけてフランス語の読み書きを勉強する下り。こういう情熱を見習いたいもんである。