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52歳にして急性心筋梗塞で死にかけた話~急

今回は手術が済んて入院している時の話になります。
コロナ禍真っ只中ということで、面会等は厳禁という入院生活でした。

ちなみに一番死を強く意識したのは、最初のリハビリが終わった直後でした。




CCUのベッドは寝心地最高だった

カテーテル手術が終わったあとに連れて行かれたのは、どうやらCCU(循環器疾患集中治療室)というところだったようです。

右手首からカテーテルを入れたので、点滴類は全部左手に集中していました。肘の内側に3本、手の甲に1本、点滴用の針が入っていたと思います。


で、このCCUのベッドの寝心地が最高でした(笑)
今まで泊まったどんなホテルや旅館よりも寝心地がいい。
心筋梗塞そのものや手術明けで体力が全くなくなっているということを考えても、スンバラシイ寝心地でした。

もしこの先ベッドを買うことがあったら、ぜひこのベッドが欲しいです。
(多分すごく高いんだろうとは思いますが)




リハビリと死を意識した出来事

心臓にリハビリがあるとか、初めて知ったよ(笑)

わたしの場合、次のような順番で行われました。

1日目:ベッドの横に10分間立つ
2日目:30m歩く
3日目:50m歩く
4日目:シャワーを浴びる(短時間)
5日目:半身浴(10分間)

それぞれ行う前と行った後に血圧脈拍を測って、異常がないことを確かめるようです。

「この程度のことでリハビリになるの?」
と思われるでしょう。
この程度のことしかできないくらい体力が落ちるのですよ、マジで(笑)


で、わたしが「あ、ダメかも…死ぬかも…」と思ったのは、1日目のリハビリ後のことでした。

説明を受けて、ベッドの横に10分立って、ベッドに戻って血圧と脈拍を測定…までは良かったんですが、看護師さんの表情が固くなったのをわたしは見逃しませんでした。

「ん? …ちょっと低いね」

わたしは医学的な知識なんてまるでないですから、
「ん? 低いって、なにがです?」
とか訊いたりします

「うん、ちょっと血圧が低いのよ。待っててね。」

そう言うなり看護師さんは早足でどこかへ行き、ドクターと他の看護師さんを連れて戻ってきました。みんな早足でしたね。

点滴が増やされ、しんどくはないか、とか、苦しくないか、とか聞かれましたが、別段あまり変わったような気もしないので、

「いや~、まあしんどいのはしんどいですが、そんなに変わったような感じはしないっすねぇ」

とか答えた気がします。
それでも少しは気になるわけで、

「えっと、低いってどのくらいなんでしょう?」
「60-40」
「え?」
「ほんとに苦しくない?」
「はい、別に…」

海外の医療ドラマとかだと、60-40になったあとに
「心停止!」
なんて続くことが多かったような気がしていたので、

「あ、ダメかも…死ぬかも…」

と、真面目に思いました。


退院したあとで調べたんですが、血圧が60以下になるといわゆる
危篤
という状態にあたるんだそうで・・・(汗

ドクターや看護師さん方に色々と手を尽くしていただいたおかげで、その後は低めながらも血圧は安定したようでした。




食事は美味しかった

血圧が上がりすぎちゃダメ&重度の糖尿病ということで、食事にはいわゆる減塩食と呼ばれるものが出されました。

減塩食ってくらいですから「きっとマズイんだろうなぁ」と覚悟してましたが、なにがなにが。非常に美味しくいただきました。

2日目の昼ご飯くらいまでは全部食べられなかったと思います。
その後は完食できるようになり、5日目くらいになると「もう少し食べたい」なんて思うようになりました。

さすがに「お代わり」とは言えませんでした(笑)




このあとはほぼ何事もなく(夜中に後から入ってきたおじーちゃんが騒いで大変だったことはありましたが)入院生活は終わりました。

ちなみに手術+6日間の入院で約54万円の請求書(3割負担)が発行されました。高額療養費制度さまさまです。
逆に言うと、この制度がなかったら貧乏人はそこで終わりですね。


心筋梗塞で死にかけた後、生活パターンやリズムは大きく変わりました。
薬も未だに10錠/日飲む生活が続いてますし、かなり不便なことも多くなりました。できないこと・やらないほうが良いことも増えました。

そのへんの話は、またいつか書いてみようと想います。


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