言の葉の砂

ゲリラ物書き屋の自称ラッパー

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最近の記事

今日という日に何が相応しいだろう

私はこれまで自分を蔑ろにしてきた方だと思う。ここで言う蔑ろとは、自分の好きや感覚に沿ってきてないということで、何が好きなのかの感覚がぼやけていることにより自分より他者を優先する傾向にある。 その反動が自分に返ってきた部分もあったし、返ってきてないところもある。返ってきてないどころか良かったと思うのは、わたしには特定の推しがいないことで色々な世界を知れたこと。推しがいたらどんなに楽しいだろうと思うことは多々ある。韓国のアイドルに現を抜かしている人たちをみて、嫉ましい気持ちが湧き

    • 31

      31になってまで何やってる 閉店なんて言わないで連れ出して 夜のドライブ我愛你 どうかしてる 小倉行ける? 年相応もいいけど遊び心 忘れたくないからたらたらしてる パンダのぬいぐるみ抱きしめてる みたいにまだ 抗っている 戦っている 一体わたしなにができる 吐いた息の先もう32 流れ流れてゆく意外 視界の先きらり光るサイン この生き方に正解はない だから時に不安に だから時に不安に 我愛你 31になってまで何やってる 閉店なんて言わないで連れ出して 関係ないけどユナイテ

      • グッドバイ、またな

        今年になって仕事場が同じになったシンガポール人の友人が自分の国へ帰っていった。 私たちはここに引っ越してきて2年経つけれど友達という友達はいなかった。 仕事中の他愛ない会話の中で、友達があまりいない人同士だと分かり夫とわたしと3人でよく遊ぶようになった。 私たちは良く飲みにいったり、雪が降る日に近所のスナックへいって夜の街に馬鹿でかい歌声を響かせたりした。大人になってからできる友達はそう多くはなくて、馬鹿みたいなこと言って笑ってダンスできる友達が出来たのが本当に嬉しかった。そ

        • 坂道

          コトコが幼い頃住んでいた家は、坂道の上にあった。うどん屋さんみたいだね、とよく友達に言われるのは、古民家を改装したような黒い木と白い漆喰でできた家だったからだ。いつも白蟻の駆除の話を母がしていて、いつか家ごと蟻に喰らい尽くされるのではないかとコトコは思っていた。 幼いコトコはそんな家が嫌だった。友達が住んでいるアパートに遊びに行くと、狭い空間だけど家族が住むべき家という感じがした。健康な空気が満ちていて、コトコは家に帰る道すがら、いつも立ち止まった。コトコの家は三人の家族の家

        今日という日に何が相応しいだろう

          愛してるって最近言わなくなったことについて

          愛してるって最近言わなくなったのは本当にあなたを愛しはじめたからってかの有名なゴスペラーズの歌詞があるけれど、いやいや愛してるって言ってくれ(トヨエツ懐かしい)とか言うつっこみも見たことがあるんだけど、どうやら言葉にならないものというのはあるようで。 それはきっと誰かと長く生きてゆくとみんなに訪れるのではないでしょうか。それは怠惰とかじゃなくて、ぴったりくる言葉がないくらいに複雑な要素が入り混じっているのではなかろうか。逆に愛してる(love)と言う西洋の借り物みたいな言葉で

          愛してるって最近言わなくなったことについて

          はじめましてシェイクスピア

          シェイクスピアのテンペストを読んだ。シェイクスピア自体初めてだったのに、マクベスやオセロといった有名な悲劇ではなく、テンペストという赦しの物語が最初だというのも、シェイクスピアってこんな感じ?と、暖簾に腕押し感というか、予想外の読後感だったのかもしれない。この作品はシェイクスピア単体では最後の戯曲らしい。だから赦しという達観した雰囲気の物語になっている。 読書会のおかげで、植民地の問題や当時流行っていた理性というものをこの作品に取り入れてることなどを知ってさすがシェイクスピア

          はじめましてシェイクスピア

          流れの中

          固い殻に守られすぎていた心にひびを入れる言葉がある。その言葉は、昔からずっと頭に残っている解けない謎のようなものもあるし、刻むLINEの中で流れるように送られてきた一言のときもある。それらを頭の中で遊ばせていると、ある日どかんとそちらへ向かうような大きな渦ができて、その流れに乗ることになるのだ。 自分の、心が動き出すのがわかる。 それに胸がときめくんだから、やるしかない。 年齢が、とか家族が、とかお金が、は全部言い訳だったことに気がつく。もしくはそこまでやりたいことじゃない。

          星座のような切れ毛

          星座のような切れ毛をぷちぷちやっている。 そんなことをしている時が1番幸せかも知れないということ、もういい加減認めてみようか。 何も意味の無いこと、もっと意味のないようなことがしあわせなんて。 こたつに入ってごろごろと、何も生み出さない尊い時間を。 みんなが何かしようとしているとき、意味のあることを発信しているとき、ただそれを享受しているわたし、枝毛をひたすらにちぎってるわたしの中には快楽と暴力が同時に存在している。鍼の先生に言われた、アクセルとブレーキを同時に踏んでるとはこ

          星座のような切れ毛

          季節の結び目

          久しぶりにベランダに出て、夜風を感じたくなった。それは風が冷たさを帯びてきたせいだった。風は情報であり記憶だ。月日はわたしという人間の人生そのものだけど、そこに風がなければ、わたしの人生はなんとのっぺらぼうだったろう。この記憶は、苦しみも内包しているというのに、この風の前では胸をきゅうとしめつけはするものの、甘酸っぱい過ぎ去りし思い出にしてくれる。 10代の頃、夜、部屋を抜け出して男の子に会ったりしていた。その子にはもう別れたあとでも何度も夜に会った。 家の近くの外を散歩する

          季節の結び目

          書きはじめる

          すぐに書きはじめる。 と言うボタンを押して、書きはじめました。 一年前に拠点を大きく変えて、大切なものや大切な人を優しく抱えながら、でもぽとりぽとりと落ちていったものも多く、あ。と気づいて泣きそうになりながらも、今目の前にある自分が選択した結果である今に納得もしている。だいぶ少なくなったと思う。 椎名林檎の『月に負け犬』に共感していた20代、好きな人やモノが多すぎてみはなされてしまいそうだ。なんてことをデコログに書いたことを思い出した。そう、あの頃の私より見放されてしまいそう

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