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【アダルトチルドレン】比べられたくないのに1番になりたい臆病者は、天秤に囚われているかもしれない話

耳をつんざくようなセミの鳴き声が、ふいに私の奥底に眠っていた、今やすっかりほこりを被った思い出の箱を紐解いた。


 小学生のころである。

季節は夏。昼過ぎに私は母と二人で寝転がり、天井を見上げていた。その日は母の機嫌もよく、二人で笑いながら他愛もないおしゃべりをして過ごしていた。会話が少しずつ減っていき、気がつくと母は眠ってしまっていた。

まだ今ほど暑くなかった時代、開け放した窓から夏の香りと一緒に生ぬるい風が入ってくる。まるで、お日様の香りがするふわふわの毛布に、母と私が包み込みこまれたようで心地よく、遠くに聞こえるセミの鳴き声までもが子守歌のようだった。


隣には大好きな母が眠っている。このとろりとした柔らかい空間と、心地よい睡魔から私は母に甘えたくなっていた。しかし甘え下手の私は、寝ている母にくっつきたくてもどうしたらいいのかわからない。

ウトウトしながら、私は自分の顔の上に愛用の麦わら帽子を乗せる。丸い部分の隙間から僅かな光が差し込むと、自分だけの世界にワープしたような安心感があった。甘えたくても甘えられないとき、私はよく「自分だけの世界」を作り出した。麦わら帽子を顔に乗せて小さな空間を作ったり、毛布や布団を寝袋のようにして包み込まれるのも好きだった。


 その世界の中では、優しく寄り添い、私がほしい言葉をかけてくれる美しい女神様がいて、一緒に楽しく遊んでくれる可愛らしい妖精たちがいた。時々、好きな友人や好きな男の子なんかも登場させたが、私に都合がいいように彼女らの性格に脚色を加えるため、もはや別人であった。
人一倍傷つきやすいくせに、自分を守るすべを知らなかった幼少期。私には「誰も私を傷つけない世界」が必要だったのである。


 “トントントントン”という規則正しい音が、私をゆっくりと現実世界へと連れ戻す。霞む目をうっすら開けると、麦わら帽子がまだ乗っていた。少し身じろぎすると、タオルケットが掛けられていることに気がつく。麦わら帽子の細い隙間から、台所で何かを作っている母の背中が小さく見えた。

タオルケットを体に巻きつけ、私は「ああ、幸せだなあ」と思った。小学生低学年の私が、「幸せ」とは何か理解していたかどうかはわからないけれど、あのとき私の中にこみ上げてきたものは間違いなく“幸せ”であった。


 タオルケットを掛けてくれたこと。
麦わら帽子をそのままにしてくれたこと。


 「私」と「私の世界」を母が守ってくれたようで、当時の私は嬉しくなったのだった。


 すっかり忘れていた記憶を思い出し、私と母の間にも“幸せな時間”はあったのだなあと思う。
もしかしたら私は、たくさんのことを忘れているのだろうか。「嫌だったこと」「悲しかったこと」「腹が立ったこと」そういったネガティブなものだけを高く積み上げては孤独を感じ、母への憎しみを育ててきたのだろうか。

なんだかBUMP OF CHICKENの「ハンマーソングと痛みの塔」という曲に出てくる、王様だか神様だか何様だかわからない人みたいである。


 
少し前に「思い出リバイバル」という小説を読んだ。ざっくり説明すると、一つだけリバイバルしたい過去の思い出を選び、それをリバイバルしてもらうという内容である。登場人物たちは、リバイバルを通して過去の自分が見落としていた事実に気がついたりするのだが、中でも第一話の“父の思い出”という話は、父親と折り合いの悪い娘が主人公で、アダルトチルドレンの私は痛いところを突かれて苦い気持ちになった。


 私の過去は、私というフィルターを通してしか見ることができない。そして、母には母の、母というフィルターを通した母だけの過去がある。


 私は長年、そのことが耐えられなかった。
頭では理解できるのに、心が拒絶して苦しくなってしまうのだった。


 「許したいのに許せない」ことへの、母への申し訳なさと、自分はなんてダメなのだろうという自己嫌悪。一方で「許せない」「許したくない」という強い憎しみに囚われてもいるのだ。
自分の心に振り回されて、現実世界では夫や他人にまで振り回されて、洗濯機に放り込まれた洋服になった気分である。


 

私が守りたかったものは、私の痛みや傷だったのかもしれない。
相手の辛さを受け入れてしまえば、相手を許してしまえば、自分の辛さはなかったことになるような気がした。

母はいつも、私の言葉と兄弟の言葉を天秤にかけては、私の言葉を軽いと判断した。そうして私の言葉はどこかへ消えてしまうのだった。
軽んじられることは「無」と同じなのだ。

そもそも成仏できていないからこんなに苦しんでいるのである。どさくさに紛れて雲散霧消にされては、幼い頃の自分があまりに不憫ではないか。


相手の気持ちを大切にすればするほど、自分が切りつけられるような気持ちになった。私にとって、相手を大切にすることも、相手を尊重することも、自分の犠牲あってのものだった。
どちらも大事にする方法が、私にはわからなかった。

 

自分の尻尾を追いかける犬のようにグルグル同じところを回り続けてきて、ようやく、「天秤にわざわざ乗せなくてもいいのかもしれないなあ」と思えてきた。天秤は重さを量る道具である。私たちの価値や感情は、そもそも重さを量って比べなければ、もう片方よりも重いと証明されなければ、大切にされないものだったのだろうか。


 

私はきっと一番になりたかったのだ。

誰かと比べられれば軽んじられてしまうから、「比べられること」が人一倍怖いくせに、誰かと比べられて重んじられる、選ばれる人間になりたいと渇望する、そんな人間になっていた。
兄弟たちと比べて一番になれそうなものが何か、幼い私は無意識に考えたのだろうか。必死になって導き出した答えが「不幸」だったのだとしたら、ちょっと泣けてくる。

誇れるものが「不幸の数」しかないと思い込んでしまった私は、熱心に「不幸」を数えるようになった。元々、人の脳はネガティブな物に敏感に出来ているのに、情熱までかけて数えられたら「幸せ」など歯も立たない。

 「幸せな記憶」や「愛されていると感じられた記憶」を消去してきたのは、幼い自分が出来る、自分を守るための方法でもあったのだ。

本田晃一さんという方がこんなことを仰っていた。「比べて苦しくなってしまうときは、縦のものさしを横にすればいい」と。

私も天秤から降りて、価値観のものさしを横にできるだろうか。

まあ、まずは私が横になって、ゴロゴロしながら日常に転がっている幸せでも数えてみようと思う。ぐうたらする為の言い訳などでは決してないことを、一言添えておく。



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