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【真実とは】 【人間関係から見てみましょう】


これはあくまでたとえ話ですし、
最終的には概念的で哲学的な結論にまとめます。
本来そっちを言いたいだけなんですが、
身近な例から挙げたほうが入りやすいと思うので。

なにかトラブルかイザコザが起きたとしましょう。
今回あなたは第三者、解決や仲立ちをする立場です。

A「あの人はこう言った、こういうつもりだろう」
B「そして自分はこうした、こう思ったから」
C「そこでああだったからこうなったんだ」と、

あなたはあらゆる観測点から様々な情報を集めることができます。
それぞれの情報の真偽を判断する材料もあるでしょう。

もしもすべての人間に虚偽の情報を流す意図はないとして、
それでも彼らが申告している「自分の内面」や
「自分が観測した事象」ですら本来アテにならないのです。

なぜなら過去の事実というものは
①「そのとき」②「彼(ら)が見た世界」を
③「彼らの言語 (方法)で」説明されることによって観測されるから。

『真実』などというものは、それだけの
加工や風化を経て歪みうる情報から「推測される」のです。

すべてにおいて、『真理』『真実』なんてものを
人が完全に掴み取ることは永遠にできない。

どうあがいても『こうだろう』という『推測』までしかできない。
99.999999999%造影できても、100%の解像度には決してならない。

「事実」は常にひとつだけです。
『真実』とはあらゆる角度から見た事実をもとに
『見透かす』ことまでしかできない。これが「いまの」私の考えです。

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