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私は何かになりたかった。

ネガティブな文章です
自分の今の気持ちの整理です。

私がほしいのは自由だと思う。
心から笑い、安心して眠れ、
朝は今日もいい1日の始まりだぁ!
って思える。
木漏れ日や鳥の声や小川の音が
聞こえる朝だってどこかにあるはず。

もちろん怒ったって泣いたっていい。
そんな心の自由。
何を話したっていい。
そばに、心おきなくしゃべれる人が
いたらもっといい。

それがほしいなら、
なぜ手に入れていないのか。

そもそも、私はなんで自分を不自由にして
いるのか。

何かになりたかった。

所属感がほしかった。

ふつうの家に生まれた子供のように
甘えたり、親に世話されたり
心配されたり 
新しい服を買ってもらえたり
塾や習い事をさせてもらったり
したかった。

最低限、安心したかった。

なーんにもないから
家族の一員でいるために
とにかく、働いている母のかわりに
夕食を毎日つくって、
父や継母のグチを聞いて
弟たちの面倒みて
時には八つ当たりの的になり。
暴力も、まぁすごかった。

何かになる、人に見られても
まともに見える何かになる。

学校では当時は片親は
偏見あったから
両親がいる、ってことはよかった。
学校には休まず通った。
そこしか家からの逃げ場はなかったし。
いじめは壮絶なときもあったけど
親にも先生にも相談なんてしなかった。
生きる場所があるだけよかった。

仕事にユニホームがあるものを
選んだのもそんなことからかも。
ふつうに結婚して子供も。
その、動機のイージーさ
神様に怒られるだろうと。
何をそこまで切望したのか。

何かが変わってしまった。
人の役に立ちたい気持ちは
今は、なんだかなくなったし

ちょっと困ってる
幸せになることが
どんなことか
わからなくて困っている

何者でもなく生まれたことは
すごく尊いことなのに。
いろんなことと引き換えに
自由をなくしている自分に
気がつく。
無理なポジティブは私を嘘つきにする。

こんな波動のよくないnote
もし、読んだ人いたら
早く、美味しいもの食べたり
好きな人にハグしてもらったり
楽しいことしてほしい。








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