小説を書くときにカメラの位置を意識する
小説を書くときに意識していることは、カメラの位置です。小説は文字の連なりですので、カメラで撮影して映像を使うことはないのですが、小説も情景を描写するのでカメラの位置を意識します。
カメラがどこにあってなにが映っているのか意識しながら場面を文字に起こしています。
場面を映像として頭に浮かべずに書く作家の方もいるようですが、僕は頭に描いた映像を文字に起こすように書くからカメラが必要なのかもしれません。
カメラの位置によって、同じシーンでも受ける印象が異なります。映像でも撮り方によって不穏な雰囲気を醸したり、明るい感じにしたりできるように、小説でもどのような映像を想像するかで、文章が変わってきますから、カメラの位置は本当に大事です。
この方法はクリアな映像が浮かべば、その場面を文章で表せば良いので筆が進みますが、映像が浮かばないとうまく書けない弊害はあります。
明確な映像を浮かべないで書く人はどうやって執筆しているのでしょうか。
小説のカメラは外面を描写するだけではなく、内面を描写することができます。登場人物の内臓を映写するわけじゃなく、人物の心理描写ですね。
小説の醍醐味のひとつは登場人物の揺れ動く心情を表現することだと思います。映像だとナレーションで内心を表現しますが、メインの手法ではないですし、独白がないドラマや映画もあります。場面と会話だけで人物の内面を描写します。
ほとんどの小説には心的描写があります。内面の描写をするときに、風景描写と同様にカメラの位置を意識します。
カメラが登場人物の内部に入り込めば、外見だけではなく内面も書けるようになり、カメラがその自分の深部に入り込めば、その人の本音に迫れると考えるようにしています。本音に迫るということは、読者に隠し事ができないということです。
単視点一人称なら、常に同じ自分の内面にカメラを据えてずっと描写している感じです。
カメラと人物の距離によって、同じ内面描写でも、どこまで本音を書けるかを決めています。
また、基本的にひとつの場面で内面描写を描くのは一名の人物に限っています。これは、一場面でふたりの人物の内面描写を行うと、カメラの移動が多くなり落ち着かず読者が混乱するからです。
ちょっと違うかもしれませんが、映画のイマジナリーラインを意識したような考えだと思っています。
カメラの位置を意識している小説を書いている人はどれだけいるのでしょうか。
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