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床屋の政談、横丁の政談、タクシーの政談(4)


上記が前回記事。

自宅で乳飲子を寝かしつける昼下がり、ようやく坊やがウトウトしてきたところに、選挙カーが大音量でがなりながら流す。「〇〇(候補者名)、〇〇を宜しくお願い致します!子育て世帯に優しい政治を約束します!〇〇(候補者名)、〇〇(候補者名)です!」→びっくりして、坊やは泣き叫ぶ。。って、おい!!

選挙って、相変わらず変わらない。。いまだに「基本はドブ板」なのかしら?うさぎ跳びand声出しを推奨するかつての名門野球部みたいだな。

対して、有権者たる我々を取り巻く環境はもう目まぐるしく変化している。昭和の黒電話の時代→ポケットベル→携帯電話→スマホなどデバイスの高性能化。それらとともに電子メールやインターネットの出現と一般化にその都度あくせくしながら対応し、都度出てくるアプリをインストールして公私問わず連絡ごとに使用したり、はたまたアンインストールしたり。。(…スレッズってなんだ?!)

だもんで、「特定の期間に、自ら投票所に赴いて投票する」ことを強要するシステム自体、意味不明になりかけているのではないですかねぇ?え?ネット投票とか、無理なの?絶対出来るよね?

そもそも、自分が大好きなアーティストやパフォーマーのライブならまだしも、わざわざ時間と労力かけて特定の場所に集めること自体、いまの人にとっては、「余程」です。「余程」の事がない限り、その調整すら大変。(子供がいたなら、尚更。)そら、仕事や日常の様々な予定と天秤にかけて「余程のことではない」と判断したら、調整する労力すら勿体無いので、「ま、いいか」って、なるわなぁ。

上記の結果として、政治はどんどんと政治屋さん本位の方向に進んでいく。ここ数年で、そのフォーメーションがより盤石になったのではないかと推測。

You gotta fight for your right to party!
ビースティはかつて冗談交じりにそう叫んでいたが、30余年経った日本において、結果として我々は「パーティをする余裕」さえ失った現実というのは、とても皮肉だわね。

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