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床屋の政談、横丁の政談、タクシーの政談(3)

「全ては、混じり合い、交わり合って渾然となる。」…これは、誰の言葉かは知らないけれど、真理というか止めようのない事実です。空気も、水も、人の流れもそうなっちゃう。それが早いか遅いか、それだけの話であって。物事の大前提。

とある建築(住宅系)の本にも書いてましたが、昨今注目される「住宅の断熱性、気密性」というのも、外気とお家の中を気密シートや断熱材で「遮断」することで気温を保つと思われがちだが、厳密には「遮断」ではなく、障害物をたくさん作って「交わるスピードを遅くしている」だけとのこと。(空気の粒子はそれでもお家の中と外を行き来しているそうなのだ。なるほどー。)

昨今のコロナウイルスに関しても、結局はその医療対応キャパを鑑みて「感染スピード」をどのくらいに抑えるか、またそれを実現するべく政府として国民にどこまで行動制限をかけるか、がポイントだった訳で。完全に止めることは難しい、というか、無理なのだ。

そういう、表題の「自然の摂理」に対して、何か意味や名目を持たせて堰き止めたり、解放したりする事で経済効果や影響力を持たせて「見せる」のが文化であり、政治であるのかもしれません。

政治とは、「大局を見て、そこに対して大胆な決断をして国民を導く」、と言えば大層なように思えるが、所詮は風見鶏のようなモノ。そんな演出の最中も世界の混ざり合う渦はどんどん加速し、マーブルになっていく。元々幅をきかせていた規範やルールが古びて意味をなさなくなってきているどころか、物事を刷新する上でとても邪魔な存在になっている。何なら国境や国籍ですらその意味意義が問われる時代が来てるのかも。

少し前の話。コロナ禍の真っ只中に、ミュージシャンの星野源さんが「うちで踊ろう」という曲をYouTubeにアップした。それら楽曲に、有名無名問わず様々なクリエイターや一般ユーザーが「フリー素材」のような形で活用して、動画や楽曲に合わせて踊ったり、楽器を伴奏したりして各々が発信した。とても面白い取り組みだと思った。そしてどこかで噂を聞きつけた当時の首相・安倍さんが、その動画に乗せて国民へのメッセージをアップした。

結果、広がりを見せていた「クリエイターの創作の輪」が、この発信が元で「台無し」になってしまった感があった。「乗っかった」という行為、また、その動画のセンスのなさに閉口した。(星野さんのオフィシャルツイッター(かインスタ)で、「この件に関して一切の相談や連絡は受けていない」点をコメント。)

何だかそういう危なっかしさが、最近の政治に思うというか、感じているところではある。同時に、「センスのないのが、政治家がやること」だとも思っていたというか、そんなに期待はしていなかった。でも、あの乗っかりは良くない。踏み行って欲しくない領域ではあったものの、「全ては混ざり合い、渾然とする」のだから、止めようがない。。(いや、周りが止めろよ)

上は、以前書いた記事です。私が生まれ育った地域で私が培った政治に対するイメージやスタンスは、「我々の上の世代の大人たちがするもの」。なので、自分は今40代だが、感覚はかつてのまんま。親世代がやるとばっかり思っている。今でも、私でない誰かがやるモノ、そういう認識。そりゃいけませんよ。

「他人任せにしていた20余年」が、私が今暮らす日本の現状に至る最大の原因なのか。
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