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年の瀬2.0

職場も年末感が出てきてて、取引業者さんらへのカレンダー配りや年賀状印刷などで総務さんがばたついている様子が窺える。昔ながらの製材所なので、今となってはなかなか見られない企業文化だと思うが、ある意味「失われた昭和平成の職場風景・年末編」が、ここに。

紅白歌合戦も、旧ジャニーズ勢が出ない!?等のスキャンダル関連のトピックばかりが話題となり歌合戦自体の盛り上がりはここ最近の例年通り、という感じか。

年の瀬が、とても静かでフラットになりつつある。特別何かする、ではなく、何となく普通に、いつの間にか年を越してるような。それを憂うべきとも思わないし、一抹の寂しさなども湧き上がらない。なぜなら、マスメディアが盛り上げなくても、年賀はがきが届かなくても、各々が繋がり、「新年の喜びをことほぎ申し上げ合えてる」から。

スマホやタブレットの登場で、利用者それぞれがそれぞれの「年末〜新年」を切り取りソーシャルメディアで発信して、お互いがそのメディア上で年賀の挨拶を取り合い、デバイス画面上で乾杯してお互いの健康や安全を祈り合う。これも立派な「人と人の心の繋がり」だと思うし、そこに「マスメディアが介在する意味意義」を見出せない人々というのは、むしろこの先どんどん増えるだろう。

「絆」「繋がり」などという言葉は、震災や災害があってフィーチャーされるべき言葉でなく、無事に年末年始を迎えられる喜びを普通に共有出来るくらいの温度感でもって噛み締めるのが、私は理想だと思う。そういう意味では、いまのこの在り方が本来の年の瀬であるし、新年であるような気もしている。

私は、『殊更に派手に!味付けも濃く!観る人に「インパクト」ある形で!』という情報に、飽きている。胃もたれしてる。真贋も明らかにせぬまま「ただview数」を伸ばすだけの煽りタイトルや裏張りタイトルにうんざりなのだ。それらはマスメディアの得意技であったし、それらの残党がソーシャルメディアや動画サイトに流れ落ちてそのまま垂れ流し、不安を、好奇心を、煽る。

そういう情報に近寄らず、目にしたとしてもお地蔵さんのような面持ちでただ受け流し、今年の年の瀬を静かに家族で過ごそうと心に決めた、今日この頃でありました。

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