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全力で隠れ鬼をした思い出の話

高校2年のとき。
当時通っていた高校には2年生の学校行事として『遠足』があった。しかし、遠足とは名ばかりで実態は生徒に計画と予算組みを経験させるという謎の課外授業であった。

•遠足の日に何をするかはクラス単位で好きなことをして良い。
•予算内かつ法とマナーの範囲内であればどこでなにをしてもよい。
•ただし、遠出は県内に限る。また危険度の高いものや日没までに帰宅できないようなことは禁止(急流下りや難易度の高い登山など)。

真面目なクラスは、県内の美術館や史跡にバスで向かって遠足。ゆるめのクラスだと、観光地にバスでいって自由行動などのラフなプランが毎年多かったように思う。
意外と人気だったのは予算をすべて肉に変えて、校内でバーベキュー。

こんなに自由にしてはやらかしを招きそうなのだが、母校は個性的であることや自己主張が強いことは称賛されるが、調子に乗ってやらかした瞬間全校生徒から本人およびその場にいて諌めなかった関係者が総スカンを食らうという恐ろしい伝統があるため、やらかしはめったに出なかった。
なお、法に触れず、外部でマナー違反をしなければ割と好きにしてよいので、化粧や派手な服装で登校したり、髪をアフロや盛り髪にしたり、校内で炊飯器で米を炊いたり、校内でスイカ割りをしたり、校内に出前を頼む行為はありであった。
一応、偏差値県下2位の進学校ではあったのだが、学力と人格は無関係であることがよく分かる。
なお、私はマラソン大会に参加したくないあまり、県内の偏差値が半分より上で唯一マラソンのなかったこの学校に死ぬ気で勉強して入学したため、成績は得意科目により偏りがひどく、あまりの偏りの酷さから校内では『両極端馬鹿』の称号を取得して、担任の頭痛の種のひとつとなっていた。

閑話休題。
それで私のクラスはというと、なぜか話し合いの結果隠れ鬼を校内でして、制限時間内逃げ切ったひとおよび5人以上捕まえた鬼にはおかしとジュースが贈られ、鬼ごっこのあとちょっといい仕出し弁当を食べることになった。
どうして。
変人の多さで知られたわが校でも特に個人行動が多く協調性がないことで知られた我がクラスが、変なところで団結していた。
安全性を踏まえ、いくつかルールを追加し、35人クラスで隠れ鬼をすることになった。

•隠れ鬼は、隠れんぼ鬼ごっこのこと。隠れながら移動は可。見つかって名前を呼ばれたら負け。
•範囲は校舎内および講堂のみ。中庭、校庭、物が多い部室練は禁止。また危険物の多い理科室などの特別教室も禁止。トイレ、更衣室、土の上は全面禁止。屋上は可。
•校舎はロの字になっていて教室も廊下も窓が最大限に取られているため、向かいの校舎や上の階から他の建物やフロアにいる人を発見できてしまう。その場合、鬼は大声で叫んで、見つかった人はおとなしく投降する。
•なお吹き抜けや校舎越しの発見で相手を間違えた場合(A君だと思って名前を叫んだけど、見間違いで実はB君だった場合など)はセーフ。

鬼は5人。
すくなく見えるが、校舎の構造上、窓が非常に大きく吹き抜けや鏡も多いため存外死角が少なく、ここぞと決めて隠れるか、窓から見える範囲の角度を計算しつつ走り抜けないとすぐに見つかるため、まあ、妥当な割り振りであった。
そして当日、隠れ鬼は当初の予定通り開催となった。

晴れた日であった。
偶然、となりのクラスがバーベキューを選択して裏庭で肉を焼いていたため(それ以外のクラスは順当に美術館や史跡めぐりに出かけた)、『3組がまた変なことをしてるぞ!!』『まじで何してるん?』『楽しそうだし、ほっとけ』などと呆れと声援を受けながら、我々は逃げ回った。
やばめと近隣で有名なわが校であっても、遠足で本気で隠れ鬼をするというのはどちらかというと奇異な自体であったらしい。
いつも花柄の服を着ている女子がおもむろに花柄のカーディガンを脱いで、別の女子のパーカーと交換する身代わり作戦をしたり、数学が得意な男子が「計算上、ここはどこの窓からも見えないはず!」といいながら渡り廊下の死角に潜むのを横目で見つつ、そこまで必死になりたくないが、すぐに見つかるのも嫌だという変なプライドで、とりあえず私は上階に向かった。
逃げ隠れするなら、上から下への逃走のほうがあきらかに体力を使わないという後ろ向きな選択だったが、見下ろした向かいの校舎と講堂の建物のうち、講堂の外壁に張り付くクラスメイトを見つけ、私は自分の考えが甘かったと気づいた。

みんな、本気だ。

たしかに講堂の壁に張り付く行為は禁じられていない。点検用のはしごに張り付いて彼女は忍者のように壁に同化していた。
廊下をクラスメイトが、窓の外から発見されないよう匍匐前進で進んでいった。
慌てて私は吹き抜けの上の通路に逃げ込んだ。ここは隠れるところこそないが、音が響いて人の接近に気が付きやすいのと、空中回廊になっているため、手すりが高くしかも木製なので身をかがめれば下からも上からも見えないのだ。ひとまず動向を確認しつつ、人が来る気配があれば一年の教室に逃げ込もう。凝りに凝った隠れ方をしているから、後半になるほど、逆にシンプルな隠れ方のほうが見落とされるかもしれない。
作戦は成功し、まずは隠れ場所の多い教室や窓から見れない廊下の死角を鬼の方も探し始めたようだった。あちこちからバタバタ走る音や声が聞こえてくる。校舎が新しくておしゃれなデザインであることが、確実に隠れ鬼の難易度をあげていた。

私は何をしているんだろう。

何度かうっかり正気に返りそうになったが、バタバタと走ってくる音が聞こえて、私はあわててそっと教室に逃げ込んだ。シンプルに教卓に隠れてやり過ごす。廊下の用具ロッカーに詰まっていたクラスメイトと窓の死角にいて逃げそこねたクラスメイトが発見されていたが、逆にそちらを生贄に見つからずに済んだ。

40分後。
私は生き残り側に立っていた。隠れきったのは半分くらい。外壁に張り付いていたクラスメイトと、角度を計算していた計算男子は普通に見つかっていた。
ルールのギリギリを攻めるやつが多すぎる!と鬼が憤慨していたので、生き残りはやや気まずそうに明後日の方向を向いていたが、用意された昼食が思いの外美味しかったため、すべてはうやむやになった。
となりのクラスの生徒たちは、そんな我々を生ぬるい目で見ていた。
何でも逃げる側の生徒の一部が、隣のクラスの生徒に頼んで鬼を撹乱する偽の目撃情報をながさせていたとか。確かにルールには抵触していない。ルールには。
鬼たちは、ルールは禁則事項を作るのではなく可能なことを限定する形で作るべきだったと非常に悔しがっていた。
生き残りは、ギリギリを攻めた人ほど逆に捕まっていたのでルールのせいというより、疑心暗鬼で変な隠れ場所を重点的に探してしまった鬼の作戦ミスであると言い張っていた。
どちらも本気で怒っているわけではないが、隠れ鬼で感想戦があること自体が本気度の高さを物語っていた。
何してるんだろう、我々は。
商品は駄菓子の詰め合わせだったが、結局みんなで分けてみんなで食べた記憶がある。
仏のような悟りきった笑顔が素敵な担任は、今日もしずかに微笑んでいた。本当に教師というのは過酷な職業である。私ならこんなクラスは請け負いたくない。

天気の良い日だった。
ものすごく十代らしいくだらない思い出なのだが、それから十年以上たった今でもふと思い出す事がある。多分、あれが私の人生最後の本気の隠れ鬼だった。

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