タオルケットでありたい
3歳の時に親に買ってもらいました。
今でもたまに読みます。絵本です。
親に「真理が書いてある」と渡されました。
私は基本的に「一寸の虫にも五分の魂」だと思って生きている。
そしてどんな人に対しても「一理ある」と思って人の話は聞いてきました。
私の生き方は
「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」
なので別に同調はしないです。
私は君子ではないが、小人にはなりたくない。
ちなみに小人は、中国では絶対に使ってはいけない言葉です。
日本人が思っているより重い罵詈雑言だと思ってください。
なので現代社会では日本の論語にしかない言葉です。
「温故知新」
だから本をたくさん読んで、見て触って食べて体験して、手作りもしてきました。
望遠鏡もカメラもラジオも小学生のときに、すべて作りました。
そして全てのものをバラバラにして、また組み立ててということを繰り返しました。
3歳の時にすでに ドライバーが使えたので親が一時、隠しました。
幼稚園に行く前は、暇だったので家中のものを ドライバーでばらしました。あの時は、まだ賢くなかったので、ばらすだけ ばらして元に戻せませんでした。
ちなみに 2歳の時にクリップをコンセントにさして感電 もしました。
とくに火傷や怪我はしないが痛いYO
今はAI や アプリも作っています。
私は五徳の考え方がベースにあります。
「仁・義・礼・智・信」
私がなれるかどうかは別として、そうなれるように生きていきたい。
つまり「人生の羅針盤です」
仁義礼智信(じん・ぎ・れい・ち・しん)は、儒教思想の重要な概念です。
「仁」は人間らしい情け深さや他者を思いやる心。優しさ、思いやりです。
「義」は正義や道徳的な行い、義理堅いとか、義理を欠くというのもこの“義”です。損得勘定だけで生きてはならないという教えです。義徳を積む。
「礼」は社会的な儀礼や作法。他人に対する接し方です。人は目上の人に媚びます。それは悪いことではありませんが、目下の人に接する態度のほうが人間性がでます。ただ礼儀作法を説いた話ではないです。人に優劣はない。職業に貴賎なしとか、全般に響いてくる言葉です。
「智」は知恵や理性。物事の道理をよく知り、学び続けることです、自分を律する。自分の欲望や願望を自分の意思で制御することも含まれます。
「信」は信頼や誠実さ。私が思うに、この世で1番大事なものは、愛でもお金でもないです。信用です。
信用がないやつに愛を語られてもねぇ・・・・
働くのも愛だし、自分を律するのも愛だし。
信用があって初めて人間関係は成り立つと思うわ。
愛を囁く前に「仁・義・礼・智・信」を持ってこい!!!
大体、かぐや姫と同じですね・・・
(無茶を言うタイプ)
まずは拳で語り合おう派閥です。すまんな
五常の徳(五徳)は、人が生きていく上で必要不可欠な原理原則です。
こういうような説明をされている場合もあります。
どこを切り取るかだよね。
概念だからね。
これはこれでいいなと思った。
絶対お金持ちになれない方法も「信用がない人間になる」です。
ということは「信」は人を引きつける魅力を持つことという解釈は正しいですよね。
人も集まってくるし、離れていかないと思います。
私は、タオルケットのように生きていきたい。
まぁ、それだけなんだけどね。
親に「親が子供に教えてあげられるのは道徳だけです。3食食べさせて、清潔な衣類を着せて、安全な場所で寝かせる。読み書き算盤で最低限の学力を与える。それで親の務めは終了です。なお子供は産まれた日に、親孝行を終えたので子供の役目は終わりです。好きに生きてください。親を尊敬したらだめです。小さくまとまる」と言われて育ちました。
これはマジで子供によると思う。
うちはお金も多め、多めにくれる。
「バカじゃないからあげていいのよ」と言われる。
確かに。。
親に信用されている。
「子育てに間違いはない。どう育てても持って生まれた気質がすべてを追い抜いていく。やりたいことか、やれることをやっていきなさい。それが何かは、お母さんは知らんけど。お母さんはお母さんの人生がある」
距離のある親子関係!!!笑
でも良かったと思う。