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セオドア・グレイシック(著)、源河亨・木下頌子(訳)『音楽の哲学入門』【基礎教養部】

800字書評は以下のページを参照:

私はこれまで岡田暁生『音楽の聴き方ー聴く型と趣味を語る言葉』と源河亨『悲しい曲の何が悲しいのかー音楽美学と心の哲学』という2つの音楽についての本を読み、今回が音楽についての3冊目の本ということになる。これらの3冊の本に共通するのは、どれも「音楽はある一定以上の知識がないと鑑賞できない』という主張がされているという点である。

その考え方についてはとても共感できる。例えば、昨年大学の創立記念コンサートでフリージャズスタイルの演奏を聴いたのだが、ジャズ、フリージャズについて全く知識のない私は、全くその演奏の素晴らしさを理解できなかった。また、私はショパンが好きなので、横山幸雄さんの入魂のショパンという、1日中ショパンのたくさんの曲を作曲順に聴けるコンサートに2年前と今年の2回行ったのだが、その時にも知識を持っているかどうかの音楽鑑賞の違いを実感できた。2年前の時はあまりきちんと聴いたことない曲もそれなりに含まれており、ほとんどの曲は自分で弾いたことがなかったのだが、今年行った時はすべての曲をその背景も含めてある程度きちんと把握しており弾いたことがある曲も何曲かある状態だった。特に、弾いたことがある曲はその曲の構成や背景をきちんと理解しているので、その曲を実際に聴いた時の「解像度」が弾いたことがない曲に比べて格段に高かった。

本書は「鳥の歌は音楽か?」という問いの考察からスタートする。本書では、歌う鳥の例としてサヨナキドリ(ナイチンゲール)があげられている:

ガンやカラスが音楽的動物であることを否定するのは簡単だが、サヨナキドリ〔ナイチンゲール〕は歌を歌うという考えは非常に古くからある。たとえば、ヘシオドスが解説した最も古いイソップ寓話に登場するタカは、サヨナキドリを歌手と言い表している。また、十九世紀のヨーロッパで最も有名な歌手であったジェニー・リンドは「スウェーデンのナイチンゲール」と呼ばれていた。

セオドア・グレイシック(著)、源河亨・木下頌子(訳)『音楽の哲学入門』p17

サヨナキドリの鳴き声をYouTubeで聴いてみると、確かにリズムやメロディの面で音楽的である。しかし、音楽的であるだけでは音楽にならない。本書で述べられている通り、音楽か音楽でないかの違いは文化を利用しているかどうかである。

ここにくると、ハイドンの「告別」交響曲、ランボルギーニ・ムルシエルラゴ、タージ・マハル、ジョン・キーツの詩、『ジャコ・パストリアスの肖像』に連続性があることがわかるだろう。確かにそれぞれに違いはあるが、どれも、それぞれの文化的伝統を体現し、それに応答しているのだ。(中略)サヨナキドリのオスがメスを惹きつけるために歌うとき、社会的なコミュニケーションはあるが、文化的交流はない。というのも、鳥の歌には、メスを惹きつける基準に関する信念・価値体系が学習によって前の世代から継承されるということがないからだ。

セオドア・グレイシック(著)、源河亨・木下頌子(訳)『音楽の哲学入門』p36

上で引用した文章の前に、音楽は文化を利用しているということの例としてハイドンの「告別」交響曲などの様々な例があるのだが、その説明は長くなるので割愛する(興味がある人は本書を読んでほしい)。他のわかりやすい例としては現代音楽があげられる。例えば、ジョン・ゲージの有名な作品に『4分33秒』という作品(4分33秒何も音を出さず、その場の周囲の音を聴くという作品)があるが、それが何も文化的な影響を受けた作品でなければ、ただの意味不明な作品である。これまでのバロック音楽→古典派音楽→ロマン派音楽→近代音楽という音楽の流れがあってこそこの曲を音楽と言えるのである。

以上のように、音楽は文化の影響を受けているので、正しく鑑賞するにはそれなりの背景知識が必要だと結論づけられ、本書にもそのように書かれている。上で述べた通り、その考え方にはとても共感する。しかし、背景知識がない状態での鑑賞も多少は大事にしてもいいとは思う。なぜなら、一度知識を身につけてしまうと、その知識によるバイアスがかかった鑑賞しかできなくなるからである。仮にその鑑賞の仕方が間違っていたとしても、知識がない状態で音楽を聴くことは知識を取り入れた後ではできない。また、ある程度の知識を身につけて鑑賞するというのはそれなりにハードルが高いことである。私がお勧めしたい音楽の聴き方は、まず、何も知識なしで色々な曲を聴いてみて、それで直感的にいいなと思っている曲を中心としてその背景知識について身につけより深い鑑賞をするという聴き方である(このやり方をやっている人がほとんどだと思うが)。その際、一番初めに思った曲に対する印象は知識を身につけた後では感じられないものであるから、その印象を忘れないようにしておきたいと思う。

本書は180ページくらいでそこまで分量は多くないが、入門書とはいえ哲学を扱う本であるので、すらすらは読めず、きちんと自分の中で文章の意味を咀嚼しながら読んでいかないと理解できないのでそれなりに読むのに時間がかかった。正直全部を理解したわけではないので、機会があればもう一度じっくり読んでみたい。

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