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[旅行記]2024/6/13(木) ラベンダー堤 in 久喜 from 白岡

「あぁ、今日のテスト頑張ったな」

僕はこの後、4限に控える数学の授業がとっても億劫に感じていた。

「飯でも食って考えるか」

僕は開店前の食堂に並び、値段が高くも安くもないハンバーグ定食を机に並べた。

6/13(木)。僕は6月にどうしても行っておきたいところがあった。

それは、ラベンダーを見に行きたいということだ。

大学に行ったついでに行けるならこれ以上幸せなことはないなと思って4限をサボることに決めた。

別に、僕はそんな簡単に授業をサボったりはしない。

ただ、子供の頃に見たラベンダーが

あまりに印象的だったので

足が自然とその方向を向いていたのだ。

ハンバーグをご飯と共に食す。

うん、旨い。

まぁ、僕の「味について」という作品もあるので、僕の味覚について知りたいという方はそれを読んでほしい。

cmが入ったわけだが

こんな感じで、僕の一人旅は広告が入る。

まぁ、youtubeみたいなものだ。

それはどうでもいいのだが、

僕は内心、

「俺のことだからどうせ行くんだろうな」

とずっと思っていた。

なぜなら、花には時期があるし

それを逃したら、あの時行っとけば…

と引きずりそうだからである。

でも、サボってまで行ってんじゃねぇよ

なんて、暴言を吐かれる方もいらっしゃるかもしれない。

その点は、僕は論破されても致しかたない。

でも、その重みを背負っていくのは

結局、僕になるわけだ。

…問題はないだろう

どうやら、久喜市にラベンダー畑があるらしい。

くきくき、行ってるので久喜駅に行けば最短で行けるのかと言われればそうじゃない。

実際の距離で言うと、白岡とかの方が近いらしい。(本当のところは分からない)

久喜駅は、何回か降りたことがあるので、

どうせだから、白岡で降りようという話にまとまった。

決まった時の、僕の食事は凄かった。

掃除機のように

ハンバーグを飲み込んだ。

肝心な行き方についてだが

最近、皆さんは電チャリに乗ったりするだろうか?

僕は都会の端くれに住んでいるので

レンタル電動チャリンコが此処彼処にある。

paypayで簡単に借りれるのだ。

これはありがたい。

流石に、白岡とか久喜だったら電チャリあるだろうと思って

余裕を持って考えた。

今回は、白岡の話と

ラベンダー堤の実感想の二本立てでお送りしていこうと思う。

11:30近くに白岡に到着した。

白岡駅で、今日3回目の大を流した。

鏡を見ると、疲れた顔の僕が

ホッとした顔をしていた。

そうだ、テストが終わったのだ。

僕はその解放感で、大の解放感を味わったわけだ。

そんな話はどうでもいい

意外と、普段は飄々と生きていても

心に休眠が必要なときはあるんだなと

考えながら、改札をくぐる。

改札潜っちゃえば、そんな思考は過去になる。

これから、何とかせねばという気持ちになるからだ。

さぁ、電チャリのお出ましだ。

と僕は重い荷物を軽々と持ち上げ、

コンビニを探し始めた。

ただ、僕は驚いた😱

「白岡、めっちゃ田舎!」

これは個人の主観なので、「何言ってんだ、こいつ」と思ったらブロックしても構わない。

本当に、驚くくらいの田舎なのだ。

埼玉は田舎か、都会かという論争に答えが出そうな瞬間でもあった。

僕の作品の「たまにはため息でも吐いて」

という作品の中の世界観に酷似していた。

是非、読んでほしい。

話を戻すと、

店は、特有な店ばかりで面白いのだが

ほとんど、鎧戸を閉めている。

平日の昼間だからかなぁ、

とこの頃は呑気なこと考えていたものだ、全く、けしからん。

まぁ、そんなことで苦し紛れに歩いた。

すると、大通りに出た。


大通りに出たよ👍

さぁ、電チャリのお出ましだ。

そう思ったら、本当に何もない大通りに僕はポツンと取り残された。

「えっ?」

これが最初に出た言葉だった。

そう、ここからラベンダーまで行こうとすると

10kmなので、2時間は見積もったほうがいい。

俺、大学で残ったほうが良かったんじゃね?

そんなお猿の輪が、俺の頭を縛る。

いや、待て。お前が求めるべくは過程の素晴らしさじゃない。

結果の素晴らしさ、つまりラベンダーの美しさじゃないか?

お猿の輪が僕の頭から外れる。

そうさ、そんな感じ!

僕は、特に携帯の地図も見ずに信号を渡った。


大通りからこの道に入った

すると、道の先に大きな鳥居が見えてきた。

僕はとうとう頭がおかしくなったんじゃないかと

自分を疑った。

蜃気楼か。

いや、あれはお寺だ。

と理解するのに一瞬かかるくらい

不自然な感じでお寺があった。

じゃあ、今まで歩いてきた道は参道なのか。

暑さのせいか、その簡単な事実に少し胸を打たれていた。

鳥居を潜ると、普通に道が続いていた。

神隠しにあっても、誰も気付かないだろうなってぐらい

人気のない道だった。

肝心のお寺は、鳥居を潜って

何十メートルか行った先の

右にあった。

お寺はかなり大きくて立派だった。

ただ、僕はここでとんでもない物を見てしまう。


!!!

一瞬、素通りした。

だけど、どうしても違和感を持って戻った。


問題の絵

いやいや、どう見てもアソコやん(笑)

これが元からのキャラクターなのか

それとも落書きなのか

どちらか分からないほど、馴染んでいる

皆さんは、どっちだと思うのであろうか?

これが、今日一番面白かった。

その後、小さな公園が現れた。

公園の手前にはお洒落な陶芸のお店があって

正直な話、駅前より楽しい道だった。


オシャレな陶芸屋

陶芸品にはそんなに詳しくもなく

割ってしまったら、弁償せねばならんので

立ち寄らなかったが、陶芸に興味がある人は是非とも行ってみてほしい。

公園内

公園には、誰一人居なかった。

本当に「たまにはため息でも吐いて」のようになってるではないか!

僕は、田舎の寂しさを味わうと共に

都会も都会で良いところもある

そんな風に感じた。

公園のトイレも見てほしい。


toilet

天空の城ラピュタのトイレかよ!

と思わず突っ込んでしまうくらいの年期である。

また僕は歩く。

大通りに出た時、僕はガストを見つけた。

おお、ここに来てファミレスか!

そして、ついにコンビニを見つけた。


コンビニ発見!

「電チャリを借りる」

ということを思いだした。

また、食堂もあり

ここで昼を食べるのも面白いかなと思った。

今度来るときは、ここで食べよう。

そんな風に思った。

さぁ、電チャリを借りるため

スマホの電源を入れた。

「さぁ、借りるか」

そう思って、コンビニに行っても

それっぽいものも無かった。

正直、田舎を舐めていた。

これが正直な感想である。

後で電チャリのアプリで、分布を見てみると

白岡からぱったりと電チャリの分布が消えていた。

最近、普及したばかりなので仕方がない。

さて、ここからは

めちゃくちゃ真面目になる

何故なら、初夏の昼の太陽と

田舎の畦道という退屈を背に受けて

歩かなければならないからだ。

真面目になって当然である。

さもなければ、熱射にやられてぶっ倒れてしまう!

また、どこかで休まなければ、他の授業も休講しかねない!

こんな田舎道で熱射病になったら

誰も助けてはくれないと

そんな風に感じていた。

大学で買った、ライチのジュースを飲み干して、

コンビニで、一リットルの大きなジャスミンティーを買った。

僕はそれを抱き締めて

目的地へとひたすら向かっていたのだ。

途中で、田んぼがあった。


田んぼ発見!

別にこれは白岡にいるから

思ったとか、そうでもないのだが

田んぼの稲が綺麗に整列してるのを見てると、

小学校の頃、給食で豆を綺麗に並べていた奴を思い出すのだ。

輸入した車を並べるギャングという職業の名前が流行っていたのだが

そいつは、俺はギャングだ、なんて言ってたっけ

今ではもう懐かしい話だ。

さて、田んぼの道を抜けると

一つの木にクモの巣が大量に張ってるのが見えた。

単なる田舎の小さな景色でしかないのだが

先ほどのギャングの後だと

僕は非常に胸を打たれるようだった

「圧倒されている場合じゃないぞ、たくあん」

そんな声が、胸の内から溢れだす。

現に、この田舎の小さな風景に圧倒されている。

僕は普段何気なくやっていること、していることが一番美しいのだと言うことに気がついた。

習慣ほどの強いものは無いのではないか?

そんな風に思った。

普段していることは簡単に止めてはいけない。

それが、その人の成りを形成しているし、

性格になっていることは間違いない。

駄文で申し訳ないが、

この利害を感じさせず、自分のためにひたすら鍛練している姿は

自分の道標になるような気がするのだ。

「さっさとラベンダー見に行けよ」

そういう風に思う方もいると思うので

後の駄文はカットすることにする。

その部分は、有料で販売しよっかな(笑)

気がついたら、僕はラベンダー山と言うところにいた。

正式名称は「しらさぎ公園」だ。

僕は、しらさぎ公園のベンチに十分間くらい寝転んでいた。

今頃、大学で授業始まってんだろうな、とか

明日、どれくらいの筋肉痛になっているだろうかと

煩悩がサイダーのように沸き上がり始めた。

なので、自販機でサイダーを買った。

今日、三本目の水だ。

ちなみに、僕の詩に「サイダー」というのもあるので、そちらも参照してほしい。

今日、三本目のcmである。

まぁ、書いてる自分でも、うざいので先にいこう。

ラベンダー山は、約2000株のラベンダーが植えられているらしい。

久喜のラベンダーはヒドコート、グロッソの二つの種類がある。

で、それぞれ旬が微妙に違っていて

ヒドコートが6月上旬、

グロッソが6月の下旬、らしい。

時期的には、ヒドコートの時期である。


ラベンダー山

多分、ラベンダー山はグロッソだと思われる。

何故なら、ラベンダーが咲き誇っていなかったからである。

人も、ちらほらいたが

ミツバチのほうが多かったくらいだ。

普段、ラベンダーを見ていない自分からすれば

こんな沢山のラベンダーを見れて満足なのだが

やっぱり、ラベンダー堤に行かないと話は始まらない。

そこには、今が旬のヒドコートとグロッソの二種類があって

ブルーフェスティバル(ラベンダーの祭り)もやっているのだ。

何で、ラベンダーがそんなに好きなんだと問われる方もいらっしゃると思う。

やっぱり、香りが好きなのだ。

ラベンダーというのは、ハーブの一種で、昔は風呂に入れて匂いを楽しんだりしたそうだ。

僕は、遠い昔にラベンダーの匂いを味わったことがあるが

僕は、その匂いに一瞬で一目惚れした。

花とは、思えないぐらいの匂いかつ、

そんなに主張してこない奥ゆかしい感じが

僕は好きなのだ。

どれだけ奥ゆかしいかというと、

僕が、今、ここでラベンダーを持ってきて匂いを嗅いでも、ラベンダーの匂いを味わうことは出来ないだろう。

何千株や、何万株かあって初めて

自然の中で作られた神秘の匂いを味わうことが出来る。

それくらい奥ゆかしい。

しかも、何万株かあっても常時、匂いはしないと思う。

取りあえず、僕はラベンダー堤に行こうと思ってラベンダー山を下った。

下る際、老人ホームの方々に挨拶された。

年齢層としては僕が最下層だった。

でも、良さを分かち合える人がいることで

少しだけ元気が出てきた。



ラベンダー堤

ラベンダー堤は、ラベンダー山と比べると開けた場所にあり、解放感があった。

ミツバチやクマバチの数も先程とは段違いだ。

これはラベンダーあるあるなのだが、段々と蜂が怖くなくなる。

また、愛着すら湧くようになる。

彼らは僕ら、人よりもラベンダーに夢中で、人なんか見てもないのだ。

それも、さっきのクモの巣の話じゃないけど

自然って利害を意識してなくていいなって思う。

また、人も多く来ていて

さっきのラベンダー山であった老人ホームのおっちゃんたちもいた。

今が見所のヒドコートも多くあって

綺麗な紫色をしている。

ただ、匂いに関してはそんなにしなくて

どっちかというと

目で楽しむ方だと思う。

園内にはストリートピアノがあって

こんな時に弾けたら、

皆、気持ちいいだろうな

なんて思って、ラベンダーを楽しんだ。

途中でラベンダーの店があって

そこに入ると、ラベンダーにちなんだグッズが沢山あった。

僕は、そこで天然のラベンダーのミストを購入した。

試供品みたいのをかけてもらうと

とても良い匂いが僕を包んだ。

ラベンダーの匂いほど

素晴らしい匂いはないと

僕は豪語しよう。

ラベンダー

ミストをかけてもらった後は、

その匂いがかなり強く

周りにいる人たちが、僕のミストの匂いを嗅いで

「たまに、強いラベンダーの匂いがするね」

なんて騙されていた(笑)

でも、全く匂いが無いわけじゃないと思う。

家に帰ったあと、服からは若干いい匂いがしたし

何よりも、ラベンダーに囲まれている時間は幸せだった。

先ほどの老人ホームのおばぁちゃんたちが

「遺影にするなら、これにしようかな」

なんて、呟いている。

僕も、今、死んだらこれが遺影になってもいいな、なんて苦笑いを浮かべながら

夕日を背に受けていた。

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